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憧れの野球帽

「昨日のナイター、阪神戦観た?」

なんて会話が時折、小学校の教室で繰り広げられていた。もちろん、男子生徒だけの会話だ。

僕が小学生の頃だから、1980年代の話だ。当時はサッカーよりも圧倒的に野球が人気があった。

漫画やアニメでも、サッカーは漫画の「キャプテン翼」くらいしか情報なかったけど、野球は「ドカベン」「キャプテン」「タッチ」など、有名なものが多く、ナイター中継が毎晩のようにどっかのチャンネルでやっていて、野球チップスも人気だった。

(ちなみに上記に挙げた漫画、すべて個人的に大好きである!)

男の子たちの間で「野球帽」なるものが流行った。

僕の小学校や地域だけかもしれないけど、小学生にとっては自分の目に見える社会が「世界」なので仕方ない。

「俺は巨人」「やっぱ阪神」とか、圧倒的にその二チームが人気があったが、広島や中日、近鉄や大洋ホエールズなどの帽子を被る子供もいた。

僕はプロ野球チームに、好きも嫌いもなかった。思い入れはなかった。父は野球が好きだったが、特に「〇〇ファン」というのがなかったのも関係あるとは思う。

僕自身は、自分で投げたり打ったりするのは好きだったけど、ナイター中継も面白いと思ったことはなく、それどころか水曜7時のアニメ「ドラゴンボール」がナイター中継で中止になったりして、むしろ「ナイターの馬鹿野郎!」となっていた。

ここまで書いて思ったが、本当に今の時代とまるで違うな(笑)。

今はテレビの時間に縛られることも無く、個人の端末を使い、Youtubeで観たいもの、観たい時に観れるのだ。

その自由は素晴らしいけど、同時に失ったものも多いと思うのは、僕だけだろうか?

話を戻そう。

自分で贔屓のチームも、好きな選手もいなかったが、同級生たちの「野球帽」は、かっこいいなと思っていた。

しかし!

僕は一度も、野球帽を被ることはなかった。

なぜか?

母が許さなかったからだ…。

僕の中の野球帽ブームは2度ある。

1度目は、小学1〜2年生。とにかく、周りの野球帽のクラスメイトが羨ましかった。みんな被っていた。

まだ時代は昭和だ。昭和の田舎の小学生だ。ジャージ着て野球帽。毎日同じ格好の男の子が多かったと思う。

だけど、我が家では禁じられていたものがある。

それが、一つは「ジャージ」で、もう一つが「野球帽」だ。

父はどうだったかわからないが、子供の着る服はすべて「母親」が決めるのが通例。我が家もそうだった。そして、母は野球帽やジャージが大嫌いだったのだ。

「ダサい!」

という、超独断と偏見で、僕にはそれらが許されなかった。

ジャージに関しては、当時は確かに今のようなadidasとかNIKEのようなおしゃれブランドなどなく、「イモジャー」と呼ばれるくらい、かなりダサいものが多かったと思う。

でも、小学生だ。僕はゲームも好きだったけど、外で遊ぶのも大好きで、やはり動きやすい方がいいに決まっている。その点ではジャージは優れものなのだが、

「そんなカッコ悪いものは着させない」と母は言った。

「みんな着てるよ?」

この「みんな」は、幼い子供がよく言い訳に使う「みんなだって〜」のそれとは違って、本当に「皆」だった。

「みんなファッションセンスないから」

いやいやいやいや!小学1、2年生の男子相手に、おしゃれもファッションもねえだろ!

とは言えなかった。いや、言ったのだけど、母は唐突に「キレる」人だったので、あまり強く言えなかった。

ちなみに、兄はその傾向を良しとしていた。彼は常に「人と違うこと」に重きを置いて生きていたから、母の趣味とある意味気があった。

しかし、当時の僕は、人前で目立とうなどと考えるタイプではなく、「みんなと同じもの」がいいと思っていたのだ。

だけど、みんなと同じ、にはさせてくれなかった…。

そして野球帽。母はジャージよりも忌み嫌っていた。

「こんなもの、絶対に被らせない!」

と、はっきりと、スーパーの帽子売り場でねだる僕にきつい口調で言った。

幼い僕は諦めるしかなかった。代わりに、母の言う「おしゃれな」帽子を被らされた。普段はかぶりたくないが、遠足の時とか、渋々その帽子を被り、わざと泥だらけになったり、ボロボロになるような遊び方をした。

その後、僕の中で野球帽ブームは大人しくなるが、再び熱がついた。

小学3、4年生の頃だったと思うけど「プロ野球ファミリースタジアム」、通称「ファミスタ」が流行ったのだ。

僕くらいの世代なら「懐かしい!」と思う人もいるのでは?

このゲームはとても画期的だった。選手一人一人の個性や能力があり、チームは実際の野球チームを模して作られていた。

このゲームはかなりやり込んだな…。

ここで初めて「贔屓のチーム」ができる。僕は巨人より阪神だった。なにせ、初代ファミスタの阪神のラインナップは、1番まゆみ、2番おかだ、3番かけふ、4番ばあす、という黄金のクリーンナップ。

みんな、ゲームと現実がごちゃまぜになりつつ、野球が流行ったし、そこでみんな野球帽を被るのだが、やはりその時にも、

「やめてよ!そんなダサいもの!」

と一蹴。とにかく、絶対に許されなかった…。

今思っても不思議で仕方ない。どうしてそこまで頑なに野球帽を許さなかったのだろう。

母は大量に衣服を持っている人だった。ヤマハでヴォーカル講師をしていて、定期的に自分のLIVEも行っていた。そういう職業の人はおおむね派手好きなものだけど、とにかく「病的」なくらいだったと思う。

父も服は多かった。二人とも本当の意味での「おしゃれ」かどうかはわからないけど、とにかく「ファッション」にうるさかった。

家族で出かけるとなると、僕の記憶では8割型夫婦喧嘩が勃発するのだが、その理由は「相手の服装」なのだ。

「あなたのそれ、似合ってない」
「お前の方こそ、こっちに合わせろ」

と、お互いのファッションを貶し合い、何度か着替えるので、ほぼほぼ予定してた時間より遅れるし、何より険悪ムードで家族のお出かけになる。だから、いつしか僕は家族で出かけることが嫌になっていた。多分、兄もそうだったと思う。

母だけ、父だけ、ならいいのだが、二人揃うともうダメだ。毎回最悪な気分で出かけ、二人の機嫌が治るまで、こちらも気を使わないとならない。

父は服装に関してはあまり言わなかったが、髪型には文句をつけられた。小学校の頃、強引に髪を切られて、おかっぱ頭になってしまった。

しかも、それがちょうど卒業アルバムの製作時だったから、見事に「有名人に似てる人」という項目で、「大島くん=たまのボーカル」と書かれてしまった。すぐに髪を短く揃えたから、たった1日のことだったのだが…。

母はとにかく服装だ。ある程度、こちらも言い返せるようになった、小学校高学年になるまでは、とにかく着る服はすべて母が決めていて、ド派手はものとか多かった。赤いズボンとか、ピンク色のトレーナーとか…。

なんで男の僕に、そんな服ばかり着せるのか?

母はいつも言っていた。

「女の子が欲しかった」

だから僕が小さい頃、着せ替え人形のようにしたかったのだ。

ちなみに余談だが、母は産婦人科で僕を産んだ時に、

「男の子ですよ」

と産婦人科医に言われ、

「えー!また男!」

と言って、ひどくがっかりしたそうだ。そして婦長さんにお尻を叩かれて、

「なんてこと言うの!」

と叱られたそうな…。(生まれた瞬間にがっかりされた俺って…笑)

母は娘と、友達同士のように、おしゃれをして、女の子らしい遊びをたくさんしたかったのだ。しかし僕は残念ながら見た目は男々しくはないものの、体を動かしたり、ゲームをしたりと、普通の男の子だった。服装なんてクッッッソどうでもよかった。

だが、母は僕に「男子の限界」のような服を着せるのだ。

僕はその服装のせいで何度もからかわれたし、それこそ「おい!小池!」で書いた、サイコパス教師小池にも「女みてぇな服着やがって!」と、今の時代なら一発でコンプラ的にアウトはことを言われたこともある。

それを訴えても「そんなことを言う連中の方がおかしいのだ。センスがないのだ」と言う始末。

センスよりも、普通でいたかったんだが、その願いは聞き遂げられず…。

そんな母だから、とにかくジャージと、そして野球帽を我が子が身につけるなんて許せなかったのだろう。

母も若かったし、未熟で幼かった。だけど、自分の子供を自分の思い通りにしようとすることは、完全に間違っている。でも、多くの人がそれを「良かれ」と思ってやってるからタチが悪い。

でもこのYoutubeで話したんだけど、

僕は「目立ちたくなかった」と、気づいたのはつい最近でしたが、小学校高学年くらいから、「目立ちたい!」というエゴが芽生えて、率先して目立つことをするようになった。

だからその頃には、むしろみんなが来ているジャージを着たくないし、野球帽なんて被りたいと思わなくなっていたから不思議だ。そして「目立っててよかった」と思ったりもした。

でも、結局はベースにあるのは「目立ちたくない」に、最近戻ったんだけどね(笑)

両方知ってみて、両極をやってみて、いろいろわかるものです。

まあ、今は野球帽なんて被りたくないけど、そんな風に両親から抑圧されていたことって、みんな大なり小なりあると思う。それが両親のエゴだろうが、愛だろうが。

そこは一度向き合うべきだと思う。そして、解き放ちたいならやるべきだし、胸に収められるなら収めればいい。でも、気づかないのは、ずっとめんどうな火種が燻って生きるようなもので、それは定期的に暴発したり、臭い煙を出す。

あなたも、こんな思い出ありますか?

ちなみに、野球帽への「憧れ」なんて、きっかけは同級生のそれがカッコよく見えて羨ましかったのと、途中からは「ないものねだり」でした。欲しいと思っているもんなんて、そうやって周囲の影響で勝手に作られていくもんですね。

だから、それが手に入らなくて「傷ついた」なんてトラウマも、すべて幻想です。

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7月27日 瞑想力を高める瞑想会  in 京都

8月3日  感覚解放ワーク ニュータイプセミナー 東京
8月10日 visionセミナー 東京(オンライン配信、アーカイブあり)

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7月21日。「目覚め=Awakening」新大阪

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