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深夜の公園でホームレスのおっちゃん達と、ブラジル人と酒を飲んでべろべろになった夜。

深夜の公園でホームレスのおっちゃん達と、ブラジル人と酒を飲んでべろべろになった夜


この頃、自分が都心のあたりを夜にうろうろしないせいか、そもそも都心にほとんど行かないせいなのかわからないが、昔よりも「ホームレス」って減ったような気がする。

調べてみたら、東京は2020年の東京オリンピックに向けて、対策という名の“排除”をしたとか、お隣の川崎市では、多摩川沿いホームレスたちに対して、大規模な支援をしたとか。

とにかく、都内では昔に比べてホームレスはかなり減少していて、かつての西新宿のガード下の段ボールハウスや新宿公園のカオスっぷりや、多摩川沿いのブルーシートとベニア板で作った住居が乱立する風景など、今の子供たちにはわからない光景になりつつあるようだ。

僕はかつて東京都北区赤羽に住んでいた。北区には飛鳥山公園という大きな公園があり、春はよく花見をして夜通し酒を飲んで騒いだりしていた。

花見シーズンでなくても、なんとなく仲間と酒を買ってうろうろしてたこともある。

そんなある夏の夜。

東十条駅前あたりで軽く飲んで飯を食って、終電を過ぎた時間に、友人数名と歩いて飛鳥山公園まで行った。たまに外で酒でも飲もうという話になった。

公園内で手ごろな場所を探していた。もちろん、人はほとんどいない。

「おい、あそこで、あいつらと酒飲もうぜ」

突然、仲間の一人が言い出した。彼は何かとトラブルメーカーだったが、いつも突拍子もないアイディアを出した。

そんな彼の指さす方向には屋根付きのベンチがあり、誰がどっからどう見繕っても『THE・ホームレス』という感じのおじさん達が4人いた。夏だったから、深夜でもその辺で雑魚寝できる、彼らにとっては良い季節だったに違いない。

「おいおい…、あれは、段ボールハウスを発明した方々では?」

「ホームレスって言えよ」

そんなくだらない話をしながら、僕らはその友人の提案に乗ることにした。いや、彼は多分僕らがNOと言っても話しかけたのだろうけど。

とにかく僕たちは刺激に飢えていた。刺激さえあえればなんでもよかったのだ。そして僕は僕で、そういう人種と関わったことがないので、単純に興味や好奇心はあった。

「でも、どうやって?」

「酒飲ませるって言えば乗ってくるんじゃね?」

安易な推測をし、刺激に飢えた図々しい友人は彼らに話しかける。

「すいませーん」

と声をかけたが、そのおじさんたちは話しかけた瞬間、かなり警戒色を示して、中には荷物を持って逃げ出そうとしてるのだろう、すでに中腰になってるとしているおじさんもいた。

当時は「ホームレス狩り」なんて事件もあったし、こちらは20台の前半の若者4人。しかも僕の身なりは当時金髪ロン毛ピアスだ。警戒されるのも無理はない。

「大丈夫大丈夫!本当にただ飲み会したいだけっすよ!人数多い方が楽しいじゃなっすか?酒ならありますんで、一緒にどうっすか?」

友人は明るくそう言って、コンビニのビニール袋から、缶ビールや日本酒の紙パックを取り出して見せる。

彼らは僕らに聞こえないように、顔を見合わせてボソボソと何か話し始めた。どうするか相談しているようだ。

「つまみもあります。もちろん奢りっすよ!」

「ほ、ほんとうか?君たち、何か、よくないこと考えてないかな?」

一人が不安そうに言うが、僕らは「いえいえいえ!とんでもない!」と答える。

「坊やたち、見てわかるとおり、俺たち、何も持ってないぞ?」

メガネをかけたおじさんは、僕らを盗賊か何かだと思っているのだろうか?

「な、なあ、酒、飲ませてくれんのか?」

一人、丸顔のおっさんだけは完全に乗り気だった。酒好きらしい。

「もちろんっすよ!ビールと日本酒と…、あ、なんならコンビニで追加しますよ」

一人酒という餌に釣られた乗り気なおっさんが周りのメンバーを説得した。そしてテーブルを囲んで、4対4のホームレスたちのその奇妙な“飲み会”は始まった。4対4とか書くと合コンのようだが、まったく合コンのそれとは違うのは想像しての通りだ。

ちなみに「浮浪者」と言ってしまうとかなり不潔な印象だが、彼らはそこまで不潔でもなく、かと言って清潔さとはかけ離れていた。

僕の印象だと「ホームレス」と言うと“浮浪者”よりはもう少し真っ当で、電車で漫画とか集めて回っていたり、日雇い労働くらいしてる、ただ「家のない人」だ。たまに銭湯や漫画喫茶でシャワーくらい使う。

しかし「浮浪者」となると、完全に世捨て人で、残飯を漁ったり、物乞いして生きている人だ。風呂も入らず、衣服もずっと変えないので悪臭を放つ。

彼らはホームレスで、丸顔のおっさんだけ、やや浮浪者寄りな印象を受けた。

酒を酌み交わしながら、色々と彼らの話を聞いた。話してみると普通のおじさんであり、向こうも警戒色は取れて、リラックスして話してくれた。

丸顔のおっさんはとにかく「久しぶりの酒だ!」と、日本酒を旨そうに飲んでいた。そして彼は明らかに酒で人生を崩したタイプだと、話していて分かった。酒飲むために働いて、酒飲んでる時だけが嫌なこと忘れられて…。

一人、メガネをかけた人が一番まともそうだった。後の2人は、当たり障りのないというか、僕があまり話さなかったせいか、印象はあまりない。

メガネをかけたおじさんは話し方も知的な印象を受けたし、他の3人とは明らかにタイプが違っていた。

こう言っちゃぁ悪いが、他の3人は「なるべくしてなった」と言いたくなる一面もあった。

図々しい友人は「ねえ、おじさんたちなんでホームレスなの?」とド直球に尋ねると、やれ社会が悪い、会社が悪い、時代のせいだ、政治のせいだ…。

つまり自分達がこのような境遇になったのは、自分には責任がない!と言わんばかりだった。

一番のインテリ風メガネのおじさんはそうでもなかった。自分がバカだった…と、過去を悔いているようだった。聞くと、なんだかけっこうイイ企業に勤めていて、家族もいて、かなり裕福だったようだった。

「へー、昔はちゃんとやってたんだね〜」

と友人が言うと、

「まあな、良い時代だったよ」

とメガネおじさん。

「でも、今はホームレスの自由人じゃん!」

と、酔っ払った友人が言う。半分冗談、だけど、半分はからかっていた。そういうヤツだった。世の中のすべてを馬鹿にして生きているようなヤツだった。

「ああ…、なにもかも、失くしちまった…」

メガネおじさんは泣きそうな顔でうつむき、持っていた紙コップに入っていた酒を煽った。

なぜだろう。僕は彼に激しく同情していたのは事実なのだけど、彼の一連のドラマと、この夜のシチュエーションに笑いがこみあげそうになる自分もいた。昔から、「笑ってはいけない」という状況になると笑いたくなる悪癖がある。

しかし、今思うと僕も周りの悪友(あえてそう呼ぼう)同様に、世の中を斜に構えてみて、必死に見下すことで自分のプライドを保っていた、哀れなミュージシャン気取りの阿呆だったのだ。

そんな混沌な夜の宴は、案外盛り上がった。何を話したかは詳しく覚えていないが、なんだか知らんが酒が進み、時間は深夜2時を過ぎに、夜は深まって行った。

そんな中ふと、横をみると、背の高い外国人がこちらを観ていた。黒人というか、ラテン系というか。

別に威嚇した感じで見てるというより、興味がある、という視線だった。もぞもぞとして、こちらに話しかけたいような、素振りもあったので、

「おーい、どうした?」

と話しかけると、

「タノシソウデスネ…」

と、カタコトの日本語で言った。

「おし!来い!ビール飲め!」

ってことで、謎の外国人も参入。

聞くとブラジル人で、カポエラ道場をやってると言ってたが、詳しくはわからない。ただ、背が高く、「サッカーとかやったらやばいんじゃない?」という風貌だった。

「ニホン、イイクニデス」
「ニホンジン、ヤサシイです」

彼は日本の生活がお気に入りのようだ。外国人からそう言われるとやはり嬉しいもので、酒を追加して、とにかく明るくなるまでホームレスとブラジル人と酒を飲んで騒いだ。

ただ、途中でちょいちょい、ブラジル人にはやはり故郷への郷愁のようなものや、慣れない異国での暮らしの辛さ、孤独感など、ちょっと辿々しい日本語で語っていたのは覚えている。

ブラジル人の底抜けの明るさがあるから平気だけど、やはり外国で暮らすって大変なんだろうなと感じた。

そんなわけで、ブラジル人は途中参戦とはいえ、ホームレスたちは全員やたらめったら酒が強く、大量のアルコールを消費した夜になった。明け方は僕もべろんべろんで、途中から記憶が曖昧だ。どうやって赤羽の家まで帰ったのか覚えていない。歩くと30分くらいかかる距離だったというのに。

その後、彼らに会うことはなかったが、なんとも不思議な思い出である。後にも先にも、ホームレスとブラジル人と酒を飲んで語り合ったのは初めだったし(何を話したか覚えてないが!)、おそらく今後もそのようなシチュエーションはないであろうと思われる。

この夜の出来事に、僕はなんの教訓もなかったし、なんの学びもなかったと思う。だからなにかを「得た」わけではない。ただただ刺激とか、何か面白いことがないかとうろうろしていたしょうもない若者の、ちょっと変わった出来事だった。

しかし後になってから、あの夜に出会った人たちと、多少なりとも触れた人生のドラマに、言葉では言い表せない“なにか”を受け取っていたと気付いた。なぜならそこには「リアルな生」があり、「人間」がいたからだ。

世界は混沌としていて、人生は「多様性」なんてしたり顔で語れないほどの多面性があり、善悪も美醜も超えたドラマの中に、人としての温もりがあり、その温もりだけがこの世界で唯一の光のように思えたりもする。

上っ面の職場の関係や、遠慮し合いながら刺激しないように付き合う人間関係や、忖度しまくって愛想笑いするような関係よりも、リアルで、温かいものだったと、確信している。

『深夜の公園でホームレスのおっちゃん達と、ブラジル人と酒を飲んでべろべろになった夜』

文字通り、公園でホームレスのおっちゃん達と、ブラジル人と一緒に酒を飲んで、べろべろに酔っ払ったというエピソード。

エッセイタイトルはそのまんま。他に思いつかなかった。

終わり。

ちなみに、どうしてホームレスとの夜のことを書こうと思ったかと言うと、

Youtubeにこんなコメントが入ったから思い出した。

まあ、この人は一体全体、動画の何を観たのか知らないが、(多分タイトルだけで判断したんだろうな)

「あー、おれ、ホームレスのおっちゃんたちと酒飲んだことあったわ」と思い出したのだ。別に反論のために書いたわけではなく、面白いエピソードだったので書いてみた。

で、書いてから気付いたが、以前もどこかでこのエピソードを書いた気がしなくもないが…、まあ、それはよしとしようではないか。それも「人間」ってことで。

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LIVE予定。
生歌アコースティック
8月21日(日) 東京
8月27日(土) 大阪

Youtube更新。


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