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ああ無情
7月29日(月)
ああ、無情
なんて聞くと、この歌を思い出すあなたは、
多分もう若くはないでしょうけど(笑)
世の中って「無情」だなと思うことありますよね?
人の世の冷たさ、儚さに、あなたもこれまで何度も枕を濡らしてきたことと思います。
今日はちょいとくだらない話を踏まえ、僕の体験談をシェアします。
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高校生の頃、バンドをやっていた。
定期的に地元のライブハウスでライブ活動をしていたんだけど、当時はバンドブームで、たくさんの同年代の高校生バンドがいた。
当然、友人関係もバンド仲間が多い。
さて、その中でやはり「モテる」ヤツがいる。
オレの世代では、ギター弾き始めたり、バンドやったりするヤツの「動機」なんて、モテたいとか、目立ちたいという理由から始めるものだが、実は誰でもモテるなんてことはない。バンドやってもモテないやつはいる。
そんな中で、オレにとってかなり親しい友人の一人で、そいつはとにかくモテる男だった。いわゆる「イケメン」だ。そしておしゃれだった。家も裕福だったと思う。だから何かと「余裕」のようなものが滲みでいてた。
そいつはかなりモテるくせにというか、モテることが災いしたのか、相当オンナ好きで、頭の中はすけべなことばかりだった。
だからオレと仲が良かった。ちなみにオレはモテなかったが、頭の中の大半はそればっかだったので、目的は一致していたのだ。
ここでは安易なネーミングとして、そいつのことを「ヤリ男」としておく。
ヤリ男はバンドではボーカルだった。そもそもヤリ男は楽器を弾けなかったし。
ヤリ男は確かに「音楽が好き」ってのは嘘じゃなかったと思うが、明らかにそいつの目的は、「目立ってモテたい」というのがみえみえだった。
実際に、打ち上げで女の子をひっかけるのがステージよりもメインの活動だったような男だ。
だがしかし、天はヤリ男に二物を与えなかった。
なぜならヤリ男は、超絶歌が下手くそだった。
仲が良いので直接は言えないが、明らかに歌は才能がないというか、やめた方がいい、というレベルだった。
でも、やりたいと言うなら止める理由もないし、そもそも誰がどこで下手くそな歌を歌おうがどうでもよかったということもある。ヤリ男の他にも、下手くそなやつらはたくさんいたし。
まあ、オレはヤリ男とは合コンやナンパはしても、一緒に音楽活動をやることはなかった。オレはオレで、音楽には真剣だった。
当時のオレたちがやっていたバンド活動は、主に「ライブ」活動のことを指す。
どんなライブだったかと言うと、例えば日曜日の16時〜20時くらいの間に、ライブハウスで対バン形式といって、同じライブイベントに出演するバンドが、30分とかの時間枠で順繰りと演奏するのが通常。トリには、地元の人気のある先輩バンドが立つ。
当然、自分が出演する日に、他の音楽仲間も出演するのことなんてよくあって、リハーサル、楽屋の中、終わった後に打ち上げも一緒に過ごす。
そんなある時、ヤリ男のバンドと対バンになった。
オレは当時から、一応地元でも「実力派」なバンドだった。
オリジナル曲をガンガンやっていたし、地元の音楽好きな高校生たちからそこそこ人気はあったと思う。三年生の頃、北海道単位だが、ちょっとした大会で優勝して、ラジオに出演したりとかもあった。
だが、モテ男の方が、圧倒的に女子たちから人気があった。まだその時は、オレは大会で優勝とかしてなかった頃だった。
その日ライブで、モテ男はビートルズの名曲「Hey Jude」を歌った。ピアノはいないバンドで、ギターアレンジでロック調な演奏だった。
しかしビートルズを愛するオレからすると、
「おいおい、名曲を汚すな!」
ってくらい、超絶下手くそで、オレの耳には耐え難き雑音でしかなかった。
ところがなんと! ステージを見上げるヤリ男のファンの中に、その調子っぱずれの歌声に感動して泣いてる女の子がいたのだ。
泣いてる女の子は一人だったけど、みんなうっとりして、羨望の眼差しでステージを見ている。
(こいつら、耳腐ってんじゃねえべか?)
と、その光景を見ながらおぞましく思い、北海道弁でつぶやく。
ステージの上でも下でも、かなり醜悪なものを見せられた気がしたが、「ファン心理ってこえぇべ…」と、何か恐ろしい事実を目の当たりにしたと思った。
だって、音楽ライブなのに、ファンというか、ヤリ男が好きな女子たちにとっては、そこで聞こえる歌や音楽の良し悪しなんてどうでもいいんだから。
ヤリ男のバンド、そして自分のバンドの出演も終え、イベントが終わった後、仲の良かったオナ中(同じ中学って意味だ。深読みするな)の女の子が来てたので、
「おお、来てたんか?どうだった?」
と聞いたら、
「ヤリ男くんのHey Jude、すごくよかった〜」
が第一声だった。
オレとしては「オレのLIVEはどうだった?」と聞いたつもりだったんだが…。
その女子も、確かにヤリ男のことをいつも「かっこいいよねぇ〜」と言っていた。
その女の子は仲が良かったし、
「大島くんの歌、好きだよ。応援してるよ」
と、オレが中学生の頃から言ってくれたのだ。そして、その娘はけっこう音楽好きで、好きなバンドの話とかで盛り上がったことも何度もあったのに…、
それなのに…
ブルータス、お前もか…!
と、使い方が合ってるかはわからないが、信頼していた女友達にも裏切られた気分だった。
オレはその現実を目の当たりにして、こう思った。
「この世は、無情だ…」
それまでも、何度も世の儚さと、社会のえげつなさを体験していた。
病弱だった自分。家の借金。親の介護。
理不尽で不平等なことは、10代にして散々味わってきたが、この日、オレは痛感したのだ。
ああ、無情…
おわり
********
と、やや脚色はしてなくもないが、ほぼほぼ事実の話を書いた。
無情だ。どんなにオレが一生懸命歌って、練習しても、
モテる男の方が圧倒的に賞賛を得る!
という事実。
これは、実はファッションセンスが、着る服の内容より、「誰が着るか?」で決まっていたという事実に似ている。
そういう統計データがある。超おしゃれな服を着たブ男と、イケメンにどう見てもダサい服を着させて、女性に「服のセンスが良いのはどちらか?」を選ばせたら、圧倒的にイケメンの方が「おしゃれだよね」という結果になったという…。
世は、無情だ…。
しかしこれ、今のビジネスの世界もそうではないか?
「何を売るかではなく、誰が売るか」
商品力より、その商品に関連するストーリーや、売ってる人のキャラクターが重視される。
発言もそうで、「何を言うかより、誰が言うか」がポイントだ。
もちろん、商品力、実力が伴う場合もあるし、そうでもない場合もある。
上のヤリ男の場合は、完全に実力や内容ではなく「誰が」だけで、田舎町のLIVEハウスで、女の子たちからの賞賛を得ていたわけだ。
その女子たちにも耳はあり、鼓膜はある。でも、「好き」とか「かっこいい」が脳みその大半を占められているので、歌の良し悪しによる判断基準は何も影響していなかった。
まあ、とにかく今の世は、そのように残酷であり、無情なものである…。
しかし、その辺の思考の仕組みを変化していきたいと思ってる。
誰が、よりも、「何を」が大事だ。商品なら商品のクオリティ、言論ならその真実性。そして何より「愛」だ。
もう、時代はそっちへ移行している。そろそろ、思考のシステムをアップデートしないとね。
そのためには、思考の世界から、感覚や体感の世界へ。
今日はこんな瞑想会でした。
月曜日は体のワークです。思考を変えるのは、思考ではないのです。体や感覚から変化させる必要があります。
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