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「杜人」を観て。我々は“流れ”を取り戻すか、このまま決壊するのか?

身体動作、心理作用、思考という内的なものから、一つの楽曲、映画や小説などの物語、あらゆるアート。さまざまな探求を重ね続けた中で、僕は「流れ」に出会った。

流れは、「システム」とも呼べるし、これは大いなる宇宙の法則であり、いわば「神の法則」であり、神そのものでもある。

世界は流れている。例えば、水は高きから低きへ。熱は、低きから高くへ。

人生にも流れがあり、1日単位でも流れがあり、発する言葉、動作はもちろん、心の流れ、思考の流れなど、常に我々は「流れる存在」だ。いつかも書いたが、それこそが「流(りゅう)」であり、龍たる原初のシステムであり、宇宙の根源だ。

世界はとても繊細だ。だから常に流れている。流しながら、均衡を保ち、調和を図り、バランスを得ている。あらゆる天体が、鉱物が、動植物が、それらの流れに従って「生命」を輝かせている。

しかし、唯一と言っていいのだけど、この大いなる神の「流れ」を滞らせたり、止めることのできる存在がいる。それが「人間」だ。なぜなら聖書にもあるとおり、神は我々を似姿として創造し、分離した神だから、そんなことができてしまう。

「人は皆仏」と仏教でも解かれ、神道でも拝殿には鏡があるのは、そこに手を合わせて拝むのは“自分自身が神”という教えだ。人は神のごとく、世界を創造し、破壊もできる。

今日、こんな映画を観てきました。「杜人(もりひと)ー環境再生医、矢野智徳の挑戦

監督の「前田せつ子」さん、矢野さんに出会った時、
「ナウシカのような人に出会った」
と思ったそうです。

その意味がわかります。世界中の人に観てほしい。本気で思います。(予告動画はこちら↓)

実は矢野さんのことはもう10年以上前から知っていた。僕が八ヶ岳へ移住し、「自然農」を実践し、学んでいた頃だ。

矢野さんの講座を受けたという方から、いろいろとお話を伺い、大地の「流れ」の話は聞いていて興味があったし、僕なりに、それを取り入れたり、真似事はしていた。

いつかワークショップか講演会に行こうと思いつつ、なんだかんだでいかずじまいで、自分も畑や田んぼをやめて、土に触れることがあまりなくなってしまった。

しかし、矢野さんの密着ドキュメンタリー映画が、今年上映されることになった。春に観に行こうかと思いつつタイミングを逃していたけど、ちょうど僕自身が、身体のエネルギーの「流れ」を強く理解、意識するようになり、以前よりもさらに興味増した。

で、世界中の人に観てほしいと思うくらい、本当に、観てよかった。

空気の流れ。水の流れ。それらを堰き止めるから、おかしなことが起きている。

例えばどうして「砂防ダム」を日本中に作るのか?

川の土手をコンクリートで固めるのか?

川の土手をまっすぐにするのか?

古代から、人類と「治水」の歴史はセットであり、それほど、水の流れは人間の暮らしにとって扱い難いものだった。しかし、古代エジプトではナイル川が定期的に氾濫することで、肥沃な大地だ育まれ、支那大陸の黄河や長江もそうだし、文明は大きな川沿いにできるのは、大地が飲み水の確保はもちろんだけど、なにより洪水が運ぶ栄養素で土が肥沃になるからだ。

日本には大河はないとはいえ、山岳国家なので洪水や氾濫は起こるし、海洋国家なので津波もある。その中で折り合いつけながら、バランスをとってやってきた。

例えば戦国時代の名称武田信玄は、甲府盆地の荒れ狂う川を、さまざまな知恵を使って整備することで、甲府を豊かに発展し、富国強兵ができた。

しかし、近代はすべてコンクリート化し、巨大化した。山を切り崩し、砂防ダムを作り、大地をアスファルトで閉じ込めた。

水は本来、自由に流れるし、時によって、流れは変化する。本来、川は蛇行している。しかし、人間の生活の都合で、極力真っ直ぐに真っ直ぐに土手を固められた。

あなたの体の中にも、太い血管や毛細血管が流れ、血液が流れ、細胞膜にはリンパ液が満ちているが、活動してる時と寝ている時、健康な時、不調の時、常に変化している。それをガチガチに固めてしまったらどうなるだろう?

映画を見てもらえればわかるが、水も空気も循環している。しかし、その流れを堰き止めているのだから、必ずどこかで決壊する。コンクリートで固めていない場所で、とんでもない量の土砂と共に。近年の水害が多いのは、雨量よりも、人災によるところが多い。人が「便利」な暮らしの名の下に、大地の呼吸を奪ってしまったからだ。

もちろん、砂防ダムとかを壊せと言ってるのではない。矢野さんの話では、ところどころに「抜け」を作ることで、大地に水が流れ、空気が流れる。大地は再び再生すると。

しかし、その考えがなかなか理解されるのは難しいかもしれないと思った。なぜなら、矢野さんのやった「成果」が出るのは、何年か、何十年か、何百年か経ってからだからだ。

人は「すぐ」を求める。雨が降ったら川が増水して溢れる。だからコンクリートで高い堤防を作る。すると、次に雨が降ったらまず氾濫はしない。人々は喜ぶ。その迅速な成果と結果に。

しかし、その下で土壌は死に、有機ガスが発生し、生物はいなくなり、水も空気も通らない。だから、想定以上の雨が降ると、すべてを破壊するくらいの災害が起きる。ご存知の通り、今地球では「想定外」のことが起き続けているのだ。

作家で現役僧侶の「玄侑宗久 げんゆうそうきゅう」さんも映画には出てて、彼のお寺を再生するシーンもたくさんあった。玄侑宗久さんは僧侶なのに小説書いて芥川賞作家であり、禅の大家である。やはり一般の人とは違う視点を持っているので、矢野さんにお寺の土地の再生を依頼し、そこに資金をかけているけど、まだまだこういう考え方はマイノリティーだ。

それでも2011年の「311」以来、自然を征服するのではなく、共存するという意識が芽生え、そこから矢野さんが注目され始めたが、全国各地で講演会が行われたり、彼の意思に賛同する人は増えた。

しかしまだまだ声は小さい。

「今だけ、金だけ、自分だけ」

の価値観で生きる限り、永遠に矢野さんの大地の再生には意識が向かないだろう。

便利で、早くて、すぐに結果が出る。そんな資本主義経済の思考は地球を破壊しているのは一目瞭然にもかかわらず、上部だけのSDGsとか、脱酸素で、それらは結局金融資本家達の懐に最終的に利益が行くような、皮肉だけれど「お金の流れ」ができていて、美辞麗句を並べて、感動ポルノ的な環境問題として、人々の目をくらましているとさえ思う。

自然は剥き出しであり、生々しくあり、そこには「生」というリアルがある。綺麗な言葉をいくら並べても、実際に行動に移さない限り、人々の、あなたの意識が変わらない限り、地球は本来あるべき「流れ」を失い、美しい自然は滅ぶ。

今だけ、金だけ、自分だけ。

資本主義経済と書いたが、この思考法は本来相反するはずの精神世界にまで及び、いかに得をするか?いかにして早く幸せになるか?どうやって願望を叶えるか?を、システマティックに論じる宗教やスピリチュアルがあり、それらが支持を得るのもこの思考だろう。もはや人間の持つ先天的な弱さとも呼べる。

しかし、本当にそれでいいのだろうか?今、人類は喉元にそれを突きつけられている。

では今、我々に何ができるだろう?誰かがやってくれるのか?矢野さんがやってくれるのか?違う。先ほども書いたが、まだまだ声は小さい。この映画だって、上映スケジュールを観れば一目瞭然だけど、小さな映画館でしかやってない。当然、大きな宣伝もできない。

巨額の広告費を動かせる、今、感情を揺さぶるゲーム的なアトラクション映画の方が、そりゃ人々の関心は向くだろう(そういうのも必要だよ。僕も映画は大好きです)。

しかし、それでも一人でも多くの人に、この映画を見てほしいし、日本の大地に起きていることを知ってほしいと思います。そして、まずは一人の意識から、つまり、あなたの意識から。

あらゆることは、自分の中とつながっている。あなた自身の「流れ」を整えるためにも、立ち止まって、今ある生活の中を、丁寧に生きていこう。

そして、ぜひこの映画のことをシェアしてほしいと思います。ご協力お願いします。

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