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延命治療とか、命の話

先日、北海道へ行ってきた。

オレの生まれ故郷だが、別に里帰りでも、旅行でもない。昨年10月に父が死んだことで、残された母が重度の身体障害者なので、一人息子のオレが、何かとやるべき事が多い(兄がいたけど、6年前に亡くなっている)。

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海が綺麗だった。晴れててよかった。

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小樽市の一番札幌よりの小さな街の病院。

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中学生の頃から、母は脳神経外科などに入退院を繰り返していた。オレにとって「入院病棟」は、一つの青春の場所でもある。十代の頃、毎週末、病院に行かねばならなくて、オレはその時間が苦痛で仕方なかった。青春って、甘酸っぱいものばかりではない。苦くて、エグみのあるのもまた、青春なのだ。

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(今年は雪は少なめだ)

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母は数年前に、気道切開し「人工呼吸器」と「胃ろう」という、我が国が誇る最新医療によって延命措置されて、生きている。

うん、もちろんこれは皮肉だ。『医療は進歩してる』と言われているが、機械や科学技術は進歩してるかもしれないが、『医』はむしろ後退しているのではないのか?と、常々疑問に思うほどだ。

母が体調を崩し始めたのは、俺が中学1年生の頃。最初は慢性的なしびれや頭痛や倦怠感、とにかく、確実におかしくなっていた。病院に行っても、原因はよくわからない。そして、中学2年になってすぐくらいに、体の自由が本格的に効かなくなり、即入院。神経系統が機能しておらず、命の危険もあった。

ずっと、医者の言うままに、大量の薬を処方され、それを信じ、依存し、病気は治るどころか、どんどん病状を悪化させていった。「多発性硬化症」という病気だが、その病名が着くまでに3年くらい、色んな病名をつけられ、その度、薬の種類が変わった。

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