田舎暮らし小説 「水脈」
都会から田舎へ移住した人が、田舎暮らしの生活の中で、生きるヒントに出会う短編小説。
今回のテーマは「パートナーシップ」です。
☆
「水脈」
「水はまだあげないでいいのよ」
夏子さんはそう言ったけど、
「でも、最近雨降ってないし…」
と反論した。せっかく育てた夏野菜の植物たち。苗を定植し、畑ですくすく育っていたけど、今年の空梅雨で、雨がしばらく降っていない。みんな、どことなく元気がなさそうだった。
「水をあげるとね、そりゃこの子たちは喜ぶわ。あげたくなるよね」
「ですよね」
「でも、夏に美味しい野菜を食べたいのなら、まだあげない方がいいのよ」
「どうしてですか?」
「どうしてだと思う?」
夏子さんは私を試すように、質問に質問で返してきた。
「うーん」
私は腕を組んでしばらく考えるが、正直意味がわからない。植物には太陽の光と水が必要なはずだ。特に、今目の前にあるナスなんて、水分が必要だって聞いたことがある。
「カイトはさ」
夏子さんは青空を見ながら話し始めた。太陽はちょうど雲に隠れて、日差しが遮られて涼しくなった。ちなみに、カイト、というのは夏子さんの旦那さんだ。
「一時期、仕事もしないで、ダラダラと過ごしていたのよ。酒ばっか飲んで、グチばっかこぼしてさ。元々、前の仕事が不況で外資系に買われてね、それで居場所なくしてこっち来たようなもんだったから」
「え?そうなんですか?」
意外だった。カイトさんは現在ナチュラルワインの輸入の会社のオーナーで、インターネット販売で大成功している。雑誌に取り上げられたりもしてるのを読んだことがあるし、先月、都内に直営店もオープンした。
「そう。あの頃はひどかったのよ。まあ、半端に貯金があったかし、ほら、あの家だって元々うちの親の別荘じゃない?だから家賃もかかんないし」
夏子さんは別荘地区に住んでいる、10年前に移住した、田舎暮らしの大先輩だ。私は夫と子供二人と昨年都内から移住したけど、もう少し地元集落に近い場所にいる。
「最初はね、ただしばらくの間、休むだけかなぁって思ったら、もう日に日に腐ってくのがわかるわけ。子供たちもその様子に何だか不審に思ってたし、家の中の空気も険悪だった。夫婦喧嘩もしょっちゅうしたわ」
私は黙ってそれを聞いていた。風が吹くと、野菜の苗が葉を揺らす。
「それで、どんどん貯金は減っていくわけ。でも、ダラダラとパソコンで職探しみたいのやってるんだけど、なかなか動かないの。それでもう、これじゃダメだと思ってね。私、どうしたと思う?」
「そうですね…、夏子さんが、働いた、とか?しばらく、家計を支えるために?」
と、私が考えから言うと、
「ぶっぶー」
と夏子さんは楽しそうに口を尖らせる。そして、思いも寄らなかった内容を答えた。
「私ね、お金使いまくったの」
「え?」
意味がわからない。
「だって、貯金がなくなっていったって…」
「そう。だからね、もう全部つかったれ〜って。好きな服買いまくって、子供たちと旅行行ったり、家の修繕やったり、家具を新調したり」
「そ、それで、カイトさんはどうだったんですか?」
「私、それで預金通帳見せてね、ほら、もうこれだけだね。そろそろやばいよ?って言ったの」
「怒らなかったんですか?」
「いや、怒るどころか、びびってた。青ざめていたもん」
日焼けした顔を輝かせ、楽しそうに夏子さんは話し続ける。
「でも、カイトの性格だとそうなると思ってたの。予想通りよ。そして、彼もやばいよ、どうするどうするって」
そりゃそうだ。そんな奥さん、私が夫だったらどうしよう。
「そこでね、私はカイジにあなたならできる。これくらい大したことないでしょ?あなたにできることがあるし、あなたは家族を立派に豊かに養える。信じてるからねって、言ってやったの」
「え、ええ〜!?」
「正直ね、私も勇気が必要だった。でも、信じてみた。いや、信じるって決断した自分自身を、信じたの。私の選んだ男は、こんなもんじゃないって。本気出せば、すごいんだって」
「そ、それで…」
「最初はね、ちょっと離れてるけど、県内のワイナリーでバイト始めたのよ。ほら、私たちお酒好きでしょ?だから、好きなことに近いことを仕事にしようって。給料は安いけど、そんなにお金かけない生活もできたから。でも、そこで半年も経たない頃にね、普段、通販で買っていた輸入ワインの業者の人と直接知り合うことができて、その業者の人が親の介護とか、いろんな事情があって辞めるって言うの。で、個人だったから会社をたたむこと自体は問題ないだけど、長年開拓してきたフランスやイタリアの仕入れのルートが勿体無いって…。そこで、カイジは一念発起して、その仕入れルートを引き継いだの」
そこまで話すと、夏子さんは一息付いたように、目線をキュウリの茎と支柱に向けた。
「それで、今あんなに大成功しているんですか?」
「まあ、大成功かはわからないけど、うまく言ってるわよね。時代の流れが、ナチュラルワインとか、クラフトビールとか、私たちが好きだったものが流行って来たからね」
「なんか、すごいですね…」
私は素直にそう言った。私の夫がそんな風になってしまったら、彼のことを信じて、すべてを託せるだろうか?いや、私自身を、信じれるかどうか…。私ならなんとか私が働いて、家計を助けようとしてしまうと思う。
「人ってさ」夏美さんがしゃがんで雑草を抜きながら話す。「時には誰かにそうやって背中を押してもらわないと動けない時もあるのよね。そして、ただ安定や安心の中にいても、それは徐々に弱っていく。だから、干上がって動けないくらいになると、自分の力で水脈を見つけるのよ」
私はそこでハッとする。ようやく、夏美さんの言いたいことがわかった。
「わかりました。それって子育てなんかも、同じですよね」
「そう。甘やかしても、確かに育つ。むしろ、甘やかす方が親は安心よ。でも、その子が自立して生きるためには、その子自身が生き抜く力がないと生きていけない。雨が降らないなら、誰かから水をもらうんじゃなくて、自分で根を地中深くに伸ばして水分を集めるし、日差しがなければ、その分茎を伸ばして、葉を広げて、光を集めないとならない」
私は、自分の育てている植物たちを信じてみることにした。もちろん、人の手で育ている以上、なんらかの手入れは必要なのだろう。でも、ベテランの夏美さんがまだ大丈夫と言うんだから、過保護にして、この子たちの生命力を鈍らせるような真似はしたくない。
そして何より、自分自身にも。私自身が、もっと深くに水脈を見つけて、人生に花を咲かせ、豊かな実を実らせたい。
「さ、お腹すいたね。そうだ、新しくオープンしたカフェ、行ってみない?シフォンケーキが絶品らしいよ」
雲が移動したのか、太陽が移動したのか、再び畑に日差しが降り注いだ。夏子さんのよく日に焼けた笑顔に、私は目を細めた。
終わり
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