僕らが旅に出る理由 ー 山と瞑想の日々 ー
今日のnoteには「僕らが旅に出る理由」なんていうタイトルをつけた。お気づきの方もいるかもしれないが、小沢健二の2ndアルバムの中の楽曲で同名のものがあり、個人的にとても好きな歌である。
歌は、遠くに旅をした恋人と手紙のやりとりをするとか、そんな話なんだけど、「旅に出る理由」って、そんなものあってないような、微妙なニュアンスが僕の中にあるし、きっとそれぞれの中に言葉にできない感覚があるんだと思う。
僕が旅に出る理由。なんだろう。「新たな自分との出会い」とでも言っておくか。しかし、理由なんて必要ないのかもしれない。
さて、先週も1週間ほど家を開けて、京都、神戸、それから北海道は札幌、小樽、新潟を経由して自宅に戻ってきた。
「歩く瞑想の会」や「調う(探求クラブメンバー限定)」という調整、ヒーリングのなどのお仕事も兼ねてだが、僕の場合は仕事がメインではなく、旅がメインだ。
探求クラブのこちらの掲示板にも理由は書いたけど、ただただ「フェリー」に乗りたかった。年内に行こうとは思っていたけど、今回の北海道行きは急遽決まった。
父との果されなかった約束…。などと大袈裟に言いたくはないが、僕の中では父とフェリーに乗りたいと、ずっと心残りだったのは事実だ。「絶対に行こうな」と父は中学生の僕に言った。「絶対に行こう!」と、僕は言った。そして父は死んだ。
「一人旅でさびしくないんですか?」と何度か尋ねられたことがあるけど、それはない。なぜなら格好の話し相手がいるからだ。
その話し相手とは「自分」だ。自分相手に愚痴をこぼすし、どんな話にも耳を傾けるし、相槌を打つし、寄り添ったり、ときに議論を交わす。
そして、今回は自分を通して、主に「父」と語り合ってた気がする。父からの返答は「沈黙」であり、しかしその中にさまざまな温もりがあった。
もちろん、そこでリアルタイムで出会う人々もいる。今回はメンバーとの交流もあったし、それ以外にも入ったお店の人とか、ちょっとすれ違う人とか。それは常にLIVEであり、自分の人生にやって来て、そしてまた過ぎていく。
そんな僕は今でこそこうしてあちこちに旅をするが、僕が「旅人」になったのは2014年からだ。
それまでは自慢じゃないが、どっこにも行ったことがないくらい、旅行に縁がない人間だった。
妻は若い頃から旅行好きで、海外も何度も行っている。その影響で、彼女に出会い、結婚してからは、ちょくちょく伊豆や長野、秩父などの関東近郊の温泉旅行に行くようにはなっていたけど、それは「家族旅行」であり、「旅」というスタイルではない。
ちなみに僕の中で「旅」とは、やはりなんと言っても「一人旅」である。
そんな僕が初めて「旅」に行ったのは、2014年の11月に戸隠へ行ったのが始まりだった。
その頃は長野県富士見町という、八ヶ岳山麓に住んでいたので、いわば「県内旅行」である。それを果たして「一人旅」とどれほど呼べるのかは疑問だが、当時の僕にはかなり大きなことであった。
早朝に最寄駅の「信濃境」から、電車で「松本駅」へ行き、そこから「長野駅」、善光寺をさくっと観光して、そこからさらにバスに乗り換え、念願の戸隠へ到着。
戸隠は神社が有名だ。とりあえず神社巡り。全部で5社があり、戸隠5社巡りなんて言う。下から、
宝光社(ほうこうしゃ)、 火之御子社(ひのみこしゃ)、中社(ちゅうしゃ)、奥社(おくしゃ)・九頭龍社(くずりゅうしゃ) とあって、なぜか昔から「戸隠へ行かねば!」と、強く思っていた。しかも「一人で!」と。
だから、一人旅へ行こう!と決断したとき、行き先は「戸隠」と迷わずに決めた。
しかし、こう書くと簡単に見えるかもしれないが、いろんな意味でドキドキだった。
まずそれまでは、その手の行動、特に金銭が絡むと、すべて妻の管理下にあったので、基本的に当時の妻は一切合切僕への個人的な楽しみは許してくれなかった。ものすごい少ない小遣いの中でしか認められなかった。
まあ、僕が結婚前に借金があったことと、仕事も途中から社員からバイトになって、「小説を書きたい!」と言い出したのも、原因であり、その結果「じゃあお小遣いは〇〇円だけね、稼ぎがないんだから」という状態だった。
とにかくお金に異常なくらい潔癖だった妻との価値観の不一致と、それを対話せずに放置していたことで、結婚生活6年、完全に尻に敷かれっぱなしだった。
だから一人旅をする際のハードルは「自分のためにそんなにお金を使っていのか?」と「自分だけ楽しんでいいのか…」という点だったと思う。
だから、妻に「一人旅に行きたい!」というのはかなり勇気がいた。でも、当時はすでに息子の不登校問題から、さまざまなぶつかり合いと対話が始まっていたので、そこはスムーズに話せたし、すんなりと認めてくれた(そもそも断られる道理はないのだけど、当時は自分でそう思い込んでいた)。
そして、念願の一人旅がスタート。もちろん一人で宿に行き、食事をして、そして寝泊まりするなんてことも初めてだったので、すべてがドキドキだったのは言うまでもない。
当時の僕は、今でこそ活用しまくっているトラベルサイトの「じゃらん(ゴールド会員)」や「一休(ダイヤモンド会員)」など知らず、戸隠へ行ってから“飛び込み”で宿に行ったのだから、今となっては驚きだ。
戸隠へ着いてすぐに泊まる宿を抑えて、午後いっぱい神社を巡り、夕方に宿に戻り、風呂で汗を流す。そして、お楽しみの夕食タイム。
しかし突然の飛び込み宿泊だったせいか、「食事、広間でご用意してあります。お名前の札のところで」と案内された先には…。
大島だよ!
いやいやいや、てゆーか「小島様」て…(笑)。ちゃんと「大島です」って言ったし、大島で記帳したんだけどなぁ…。
アンジャッシュの「コジマ(児島)だよ!」のギャグの、逆バージョンだが、あえて何もツッコまず、その夜は「小島ケンスケ」として過ごしました。
戸隠、といえばなんと言っても蕎麦。実は昼にも食べたのだが、夜ご飯の「シメ」に、まさか手打ち十割蕎麦とは驚きだ。初の一人旅、一人飯は、胃袋の許容量が130%くらいになったので、「一人旅、恐るべし!胃袋が足らん!」という感想を得た。
ただ、その日は戸隠5社の一番下にある宝光社から、そこから5キロメートルほど登った先の奥社まですべて回ったので、運動量のおかげかたっぷり食べれたのかもしれない。
初めての、見知らぬ宿での一人の夜。本をたくさん持って来ていたので、とにかく読書。しかし、この本をたくさん持っていたことは翌日に激しく後悔した。それは次回。
それにしても、見知らぬ土地で一人で夜を過ごす。なんとも不思議な気持ちだった。自然農法の合宿は行ったことあるが、そこは団体だったから、一人で初めて訪れる土地で眠るのは人生で初だった。元々環境が変わると寝つきが悪くなるタイプだったので、眠れるか不安になった。
ちなみに当時のFacebookにも投稿していた。
投稿の通り、メインは翌日の「戸隠山」への登山だった。この頃すでに、山にハマっていたので、噂に名高い戸隠山へ登りたかった。
ただ、戸隠山は奥社からが登山道スタート。それなのに、何も知らずに飛び込んだ宿坊は、宝光社よりも下にあるので、再び徒歩で5kmほど歩いて(上り坂)奥社へ行き、そこから登山せねばならくなったので、かなりの歩行距離だった。
だが、問題は歩行距離ではなく、御神体である戸隠山そのものだった…。
つづく…。
☆ イベント予定。
10月23日(日)『声』女性性をひらく、めぐる音楽、音体験 東京
11月上旬 探求クラブメンバー限定 リトリート 満席
12月上旬 『声』女性性をひらく、めぐる音楽、音体験 大阪(予定)
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