探求文庫 #84〜85 (過去記事)
2021年の8月から始めたnoteサークル(現在はメンバーシップという名称に変更されたけど、サークル(輪)という言葉が気に入っている)、「探求クラブ」内での「探求文庫」。
探求クラブ内でも、「過去記事が全部掲示板をスクロールしてさかのぼるので読みづらいとご指摘をいただき、過去記事もすべてマガジンにまとめることにしました。
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探求文庫 #84 木が倒れるという前兆。
こんにちは。最近とても良質な高価でビタミンBサプリを飲んでいて、おしっこがとんでもなく黄色くなるケンスケです。しかも長時間!やっぱ今までのとは一味違う。ただ、おしっこが濃くなるってことは、それだけ体外に流出しているってことですけどね(笑)。でもビタミンサプリはそれくらいたっぷり摂取しないと体に吸収されないそうです。
さて、今日は「前兆」「サイン」について。
先月のことですが、自宅マンション敷地内の大きな桜の木が倒木しました。
実はちょっと不思議なことがあったんです。まず、その日は北海道へ行く前の晩でした。翌日の荷物をまとめ、あとは寝るだけ。
僕はリビングに座り、いつもの体操、内観、瞑想、祈りと、やっていました。
瞑想しているとキッチンの方で妙な音が聞こえました。大きな音ではないのですが、何とも言えない音なのです。聴いたことのない音です。
(冷蔵庫かな?)
と思って耳を澄ませても、冷蔵庫ではない。機械的な音ではなく、もっと「木」とか「石」とか、そういうアナログな音色なんです。
(はて?なんだろう)
僕は気になって立ち上がり、キッチンへ行きました。
キッチンにはベランダへ出れるガラス戸があって、そこから外の様子が見れます。
僕がキッチンへ行くとその音はしなかったけど、今度は外から「みしっ、みしっ、みしみしみし…」と音が聞こえます。
(あれ?外?)
と思い、ガラス戸に張り付くと、距離でいうと三十メートルほど向こうでしょうか。桜の木がみしみしみしみしっ!!と音を立てて倒れたのです。その下が駐車スペースになっていて、その辺りに停めていた車2台のボンネットに乗っかり、隣にあったブランコの支柱なんかもひしゃげて倒れていました。
その桜の木は、春先はいつもベランダからよく見えて、「お花見だねぇ」なんて、妻といつものどかに眺めていた桜の木でした。
それが、目の前で激しい音を立てて倒れたのです。
出来事としては、それだけなんですが、すごく気になっちゃいますよね(笑)
(なんのメッセージがあるんだろう?)って思ってしまいます。
ちなみに、そのあと台所から変な音は一度もしていません。一体なんだったのでしょう?木の軋む音とは違いました。そもそも確実に室内で鳴っていたし。
ただ、あの音がなかったら、僕はあの倒木の瞬間を見てはいないです。「どすーんっ!」と音がしたので、倒れた後になって見たんでしょうけど、倒木のまさに瞬間を見たのです。
幸い深夜12時過ぎていて誰もおらず、下敷きになった2台の車は残念ですが(うちの車はそこおより4台分向こうで無傷)、なかなか貴重な瞬間を見れました。
「大きな木が倒れる」しかも、根っこからで、途中も折れていて、いわば「根こそぎ」倒れた瞬間。なかなか見れるものではないです。
そんな珍しいことが起きた。これはきっと何か「前兆(サイン)」であり、暗示があるのかも?と、思ってしまいますが、なんとなく予感したのは「自分の価値観が根こそぎひっくり返る」というイメージです。
翌日から北海道へ行き、「兄の影響」という、大きな気づきがありましたが、まだまだ続くと思います。いつも「兄」が絡むと、しばらく余韻とか波紋のように、現象が続きましたから。
もちろん、それが実際に何が起きるとか、「いつ」とか、そんなことはわかりません。何も起きないかもしれないし、そもそも前兆でもなんでもなく、ただん偶然かもしれません。
でも、なんだか僕の中で「価値観や常識が根こそぎひっくり返る」というイメージは強いです。きっと遠からず、そういうことが起きるような気がします。それは社会的、世界的なものかもしれないし、あくまでも個人的なものかもしれないけど、とにかく、根こそぎ倒れるようなことが。
きっと、これを読んだ探求クラブのメンバーも、僕と共鳴しているわけなので、そういうことが起こるメッセージかもしれません。この話は「書かないでおこう」とすら思ったけど、なんだか「書いた方がいい」気がしたのも、そういうことかもしれません。
前兆(サイン)って、後になってわかるものですけど、やはり人生にはちょいちょい、そういう暗示的なことって起きたりします。
倒木、のようなわかりやすいものから、小さなシンクロニシティまで、世界は暗示と前兆で満ちていますね。
探求文庫 #85 思考と感情
昨日のオンライン瞑想会で「色んな種類の瞑想やワークを伝えるのは、人それぞれ違うから」とお伝えしました。
これは本当に大事なことで、僕らはみんな体質や思考の癖、偏り方、辿ってきた歴史、今いる場所、段階、あらゆるものが「違い」ます。
サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。