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「おい! 小池!」 後編

前回の続きです。

「おい!小池!」 後編


僕は小学校高学年から中高生、大人になっても「反体制」なロックな生き方をしてきたと思う。

もちろん今は違うけど、以前、特に20代の頃くらいまでは、常に学校とか、教師とか、社会に対して、アンチな立場であり、そこに従うことは「自分を殺すこと」とさえ感じていた。

前回の冒頭に書いたけど、僕は素直な子供だった。しかし、どうしてそんな風に見事にひねくれたのかと言うと、小池の影響は大きかったと思う。

もし小池がいなかったら、僕は多分、その後もとても素直で従順で、学校の勉強になんの疑問もなく打ち込んでいて、今とはまったく違った人生だったのでは?と思う。もちろん、歴史に「IF」はないけど、そう思う。

しかし、小学3年生。9歳で一気にモノの見方が変わってしまった。

小池という一人の人間はクソだったけど、それに付随、関連するあらゆるものがクソだと思うようになった。

学校の勉強はクソだと思ったし、それは「教師」という職業や、「大人」という漠然とした存在へのある種の絶望感であり、それまで呑気に人を信頼してた性善説的な思考から、「人間はクソだ」という、性悪説の可能性を、僕に植え付けるには十分だった。

学校や教師もクソだったけど、一番クソだと感じたのは、そんな小池に従い、気に入られるために密告をし、手駒になって働くやつらだ。

まあ、今となってはまだ彼ら彼女らも8、9歳だったから、自分を守るための「生存戦略」のための仕方ない対応だったのだろうけど、当時の僕はそこもまで考えることはできず、とにかくクソだと思った。

もちろん楽しいことがなかったわけではない。小池は最悪でも、基本小学生の子供だ。子供というのはどんな環境下でも、楽しいことを自分たちで探し、今できること、今ある材料を使って「楽しむ」ことができる。だから休み時間とか、体育とか、学校生活がすべて「闇」だったというわけではない。

それでも、

「小池のやり方は間違っている」

僕はそう思いながら過ごした。

何がどう間違ってるとか、うまく言葉には言えなかったけど、絶対に小池は教師として、人としてアウトな部類だと強い確信があった。だからしょっちゅう些細なことで吊し上げられ、不毛な説教をされ、クラス中から糾弾されつつも、「悪には屈しない」と、心に決めていた。

それは正義感なのか、単なる意地なのかわからないけど、どんなに向こうが強くても、絶対に負けたくなかった。魂の声、と言うと大袈裟だけど、それくらい強いものだった。負けたくなかった。

これは生まれつきとか、天性の性分というより、小池という強力な権力のおかげで生まれた、この社会を生き抜く闘争心であり、今後、僕の半生を支えていく強さの一つになった。

僕の人生を一つ決定づけた出来事で、カンニング事件をとりあえげたけど、もう一つある。僕の闘争心や打たれ強さや信念を貫く信条が生まれたきっかけであり、こちらの方が僕の性質を決定づけた出来事かもしれない。

今度は「国語」の時間だった。

国語の教科書の中には、題材となる物語がある。低学年なら童話とか昔話、高学年になるほど、文学的な作品を取り上げる。

国語の時間は、その物語を生徒たちで音読をする。声が小さいと怒られたり、つっかかってばかりだと怒られる。上手に読める子と、全然読めない子の差が歴然とあったと思う。

その物語の舞台は「海辺」で、「砂浜」があり、「貝殻」とか「波音」、「浜の奥に丘がある」みたいな描写がある話だったと思う。実は内容は覚えていない。何の話だったんだろう?

その物語を、一人ずつ立って音読する。全部読み終えて、ちょうど最後に読んでいた生徒に小池が尋ねた。

「おい井上、お前は今、どこにいる?」

井上は質問の意味がわからず一瞬キョトンとするが、

「え?、教室です」

と答える。そりゃそうだ。ここは教室だ。すると、

「お前は馬鹿か!あったまわりいな。もういいそこでずっと立ってろ!」と、なぜか怒られる。

クラス中ぽかんとなる。ちなみに小池はよく「あたまわるい」という言葉を使った。

「次、吉田。お前はどこにいる?」

「えーと、〇〇小学校」

「お前もか?どいつもこいつも頭わりいなぁ!なにもわかってない!立ってろ!次」

さすがに、普段は小池の腰巾着の連中もみんなオロオロとする。正解がまるで見えないのだ。

クラスの端から、順繰りに質問され、同じように数名に罵倒が浴びせられたあとで、クラスで一番優秀なシノハラの番。

「僕は今、浜辺にいます」

そう答えると、

「よし」

小池は満足そうにうなずき「座れ」と言った。

この答えにクラス中が、

(そういうことか!)

(それが正解か!)

とほっと息を撫で下ろしたのがわかった。

「次」

また、席順に当てられていく。

「私は今、海にいます」

「よし、次」

「僕は今、海にいます」

と、みんなそれを真似し出して、うまくやりおせていたのだが、数人続くと、

「……おい、お前さっきのやつの真似してるだろ?」

と言われ、

「何も考えてねえな!!立ってろ!次」

確かに真似は真似だが、じゃあどう答えればいいのか?クラス全員、また頭を捻るが、誰かが、

「えーと、私は…丘の上で、海を眺めています」

「よし」

こんな感じで、物語の中のシーンをアレンジして答えていく。これをクラス全員にやり、難を逃れていく。

(バカげている)

そう思った。今でも思う。バカげてる。

小池も、それに答えるクラスメイトも。全員、バカげてる。クソ教師のクソ授業と、それに従うクソ生徒。

普段、僕と一緒に小池に反抗的な仲間も、まったく興味もない国語の教科書の話に合わせ、うまく答えて難を凌ぐが、全員バカげている。

前半に当てられた生徒や、途中で真似を指摘された生徒。彼ら彼女らは、ずっと座ることを許されず、このバカげた茶番劇以下の横暴を、傍観しながら座れずに立っている連中も、バカげている。

僕の順番は、席の関係で比較的最後の方だった。だからずっとそのバカげたやりとりを見守っていた。怒りが沸々と湧いてくる。この不自由かつ、不自由に甘んじるしかないこの状況全てに、怒りが湧く。

しかし徐々に、順番が迫ってくる。

(どうする?)

「はい、私は海辺で貝殻を持っています」

「砂の上に立って波を見ています」

白々しい言葉がクラスの四角い空間に吸い込まれる。クソだ。全員クソすぎる。

(どうする?)

僕に選択肢があった。それは「この場に流され、小池の意向に従うか?」もしくは「正直に、自分がどこにいるかを伝えるか」だ。

悩んだ。ただ従順に従ったふりをすればいい。みんなと同じように、うまく、要領良く、この場を適当な言葉でやり過ごせばいい。それが最も波風を立てず、この場を上手く切り抜ける最善で最上の方法だ。みんなもそうやってる。普段反抗的な連中ですらそうやってる。それが賢いやり方だ。クソのふりをすればいい。

(わかってる、それが一番、いい手だ)

「大島、お前は今どこにいる」

ついに、僕の出番が来た。立ち上がった僕の膝は、震えてた。

「……ニッポンです」

クラス中が、冷たく凍りついたのをはっきりと感じた。もちろん小池も。そして彼はあまりの予想外の答えに、ぎょっとさえしてた。

「おい、お前今、なんて言った?」

さすがに、小池も動揺を隠せない。

「僕は、ニッポンにいます」

そう答えた。2回目でクラスから数人の笑う声が聞こえて、それが広がり、クラスが笑いに包まれた。僕は足が震えていたし、声も少し震えていたけど、みんなが笑ってくれたことで何かが救われた。

しかしすぐさま、

「バカやろー!」

小池の怒声が飛ぶ。

「お前ら何笑ってんだ! 誰だ、今笑ったの奴全員反省ノートだからな!」

クラスはまた静まり返る。全員、顔を伏せる。

そして小池は僕に向かって言う。

「いいか?もう一回聞くぞ? 大島、 お前はこの教科書読んだな? 聞いてたな? で、お前は今どこにいるんだと、俺は聞いてるんだ!」

小池は珍しく椅子から立ち上がり、こちらに怒鳴りながら、肩を怒らせながらやって来た。

怖いに決まっている。恐ろしい。大人の男が、9歳の子供に怒りながら向かってくるのだ。

しかし、もう後には引けない。

「教室です」

また、クラスで何人かが吹き出したのが聞こえた。

小池は一瞬息が詰まったような顔をして、言葉が出ないようだった。そしてもっと怒鳴るかと思ったが、

「…はっ、お前は、ほんとどうしようもねぇやつだな。お前の兄貴もどういようもねぇバカだったが、お前はもっとバカだ。頭おかしい兄弟だな。どうしようもならないな」

そう言って呆れて引き下がり、椅子にまたふんぞり返って座り、

「次」

と、僕の後ろの生徒の名を呼んだ。僕は立ってろとも座るなとも言われていないので座った。足が震えていたけど、やり切った自分が誇らしかった。

(心が殺される)

そう思った、と後になって思う。その時はなんだか必死だった。「ニッポンです」と言ったのは、僕の思考を超えていた。だって、頭ではうまく切り抜けることが最も得だと思っていたのだ。でも、僕の言葉は、思考を超えて、恐れの感情を超えて、もっと深い部分から出ていた。

感情的にもならず、ずっと冷静だった。怖くて膝が震えている自分のことも、よく理解できたし、クラス全体の雰囲気や、密かに僕を応援している心の声も聞こえていたのだ。

授業の後、クラスメイトの大勢から称賛をもらった。みんなすかっとしたのだ。しかし、それはまた誰かに密告されて、クラス全員罰として宿題を増やされたという記憶がある。そう、それでも密告し、小池に媚びへつらう奴らはいたのだ。

しかし、この出来事とは僕の何かを決定づけた出来事だった。僕は時に、闘争的になったり、怒りに身を焦がして、どうしようもない絶望の事態を今後乗り越えていくことになるのだけど、その力はこの時に養われた気がする。

それと、密かに兄への感謝もあった。兄も小池に徹底的に嫌われていたので(兄は他のすべての教師に嫌われていたが)、僕もそこで早々に諦められたようだった。こいつに言っても無駄だと。

☆☆

その後も、僕は終始反抗的に過ごした。小池はずっと威圧的で、サディストな傾向は何も変わらず、僕はずっと嫌われていた。

そんな小学3年生の一年間はとても長く感じられた。だってずっと戦っていたのだ。4年生になって担任が変わった時は、数人で歓喜の雄叫びをあげた。

4年生はとても素晴らしい、人徳のある担任のおかげである程度癒されたし、3年生の頃とのギャップのせいか、とにかく毎日天国のようだった。そして指導力がある教師だった。

しかし、やはり小池という怪物に、あれだけ抑圧されたものは爆発するのだ。

5年になり、またクラス替えと、担任が変わる。僕は5年生の高学年から、手のつけられない悪道になっていた。いや、僕だけじゃない、小池クラス出身者は本当にひどかった。

5年生の頃の担任は、新人の女性教師だった。僕らはそこで牙を向いた。

学級崩壊という言葉はなかったけど、完全にそれだった。担任はノイローゼになり入院した。あまりに授業崩壊っぷりに、うちの小学校、というかうちのクラスが新聞に取り上げられたほどだ。(本当です)

喧嘩騒ぎはしょっちゅうで、いじめ、万引き、カツアゲとか、小学生でやっていたくらいだ。ませガキで、覗きとかすけべ行為もひどかった。

まあ、小池のせいで「グレた」なんてのはただの言い訳で、僕が単にそういうやつだったというか、そういう傾向があったのだろう。

しかしどうしてこれを書いたのかというと、自分のもっと内面というか、思考のシステムに、この当時のことが強く影響していると気付いたから、改めてまとめてみようと思ったのだ。

それについてはまた別途書くとする。

にしても「クソ教師」と冒頭に書いたけど、本当にすごい教師だったなと思う。

今の世なら、まずあんな担任で、恐怖政治のような仕組みを作ったら、子供が「不登校」になるだろう。

でも当時はそんな“選択肢”がなかった。

僕らが子供の頃は、いじめられようと、どんなに辛かろうと、先生がクソでも、子供は学校に行く“しか”なかったのだ。

今の時代は、子供にいろんな居場所が与えられているので、そこは素晴らしいなと思う。

そうそう、最後に一つ訂正。

「小池は体罰はしなかった」と書いたが、実は一度だけ、僕は思いっきり引っ叩かれたことがある。

それは6年生の時だ。

小池はサディストでサイコパスだが、「音楽教師」でもあった。ただ、メインはどこかの担任を受け持っていて、当時は音楽教師は別にいた。
(その音楽教師も怖かったし、体罰受けまくったなぁ…)

ある時、その音楽教師が不在の時に、代理で小池がやってきた。

さて、こちとら問題児集団も6年1組。小池に屈するようなやわなやつは、僕を筆頭にほとんどいない。

そんな中で当時こんなギャグが流行ったのをご存知だろうか?

志村けんの「だいじょうぶだぁ」という人気お笑い番組で、

「小池バカタレが!」

と、志村けんが、指を振り上げて甲高い声で言うのだ。確か志村けんのマネージャーの名前で、よく叱ることをネタしてたらしいけど、とにかく「小池バカたれが!」のギャグは流行った。

当然、これは僕らにとっても格好の「ネタ」になった。

廊下で、小池にすれ違ったりするときに、志村けんの真似をして、「バカたれが」と、小池、の部分を省いて言ったり、時々、外にいる小池に聞こえるように、

「小池ばかたれが!」

とでっかい声で言う。こちらを振り向く前に全員隠れるし、もし見つかっても言い訳は簡単だ。

「え? テレビの真似ですけど? なにか問題でも?」

小池も相当腹が立っていたはずだが、僕らはあの頃の復讐と言わんばかりに、「小池バカタレが!」を利用した。

ところが、それがエスカレートしたある日の音楽の授業。ついにそれについて言及してきた。

「お前ら、テレビのギャグなんだろうが、人の名前言われバカタレバカタレ言われていい気はしねぇぞ、おい!」

と、音楽の授業そっちのけで、僕らに詰め寄った。

「なあ、大島、お前、俺だとわかっていつもいつも言ってんだろ?俺のことナメてんだろ?」

小池は僕の前に立ち、見下ろしながら詰め寄るが、

「は? なんのことですか? 志村けんの真似をしてるだけですけど?テレビで流行ってるんですよ?」

と、すっとぼけて答える。この頃にはだいぶ肝も据わっていた。

しかし、そこで小池の後ろで、仲間の数人が、無言で「小池ばかたれが!」のジェスチャーをしまくるのだ。後ろを向いてるのをいいことに。

僕はそれに気付いて、思わず吹き出してしまった。すると小池は自分が笑われたと思ったのだろう。

「ナニ笑ってんだコラぁぁぁ!」

いきなりすごい形相になりフルスイングでビンタをしてきて、僕はのけぞり椅子から落ちそうになった。

「お前はほんとにクズだな! どうせロクな大人にならんな!」

とかなんとか怒鳴り散らしていたが、

(お前みたいな大人になりたくねぇよ)

と思いながら向き直り、僕は鼻で笑った。痛かったけど、これくらいのビンタやらゲンコツをする教師はいたし、親父からも何度も喰らってるから平気だ。

しかし、ついに小池が僕にカッとなって手を上げた。それは僕にとって意味のあることだった。

なぜなら小池は基本的には常にクレバーというか、いつもニヒルな態度を崩さなかったのだ。だから怖かったし、強かったとも言える。

しかし、その小池が初めて感情的になり、感情の任せて、ある意味こちらの“挑発”に乗って、暴力を振るったのだ。

僕は殴られた顔がじんじん痛かったけど、何かに「勝った」ような気がした。実際に、僕は殴られた頬を押さえながら小池の顔をじっと見つめていたが、彼は目を逸らし、その話題は終わった。

そのせいなのかわからないけど、小池はその後、何かおとなしくなった気がした。ちょうど、小池ばかたれが!のギャグも、テレビでも、僕らの間でもブームが過ぎ去ったというのもある。

その後はあまり関わることなく卒業した。

これは後から風の噂で聞いたが、その後どこかの小学校で集団的な訴えがあり、小池の指導が問題になったらしい。遅すぎる、と思ったが、そのまま「刑務所とか行けばいいのに」と、当時は本気で思った。

しかし、そんな小池のおかげで、僕は「負けん気」が育てられたし、「不正に負けない」とか「嘘をつかない」という意志を持てた気がする。

びびりながら、足が震えながら、自分を貫いたあの時のことを、誇りに思う。

おい!小池! お前はマジでガチで最低なクソ教師だったけど、お前のおかげで俺はこんなに強い心を持てた。感謝するぜ!ありがとう!


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