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圧倒的な存在に出会いたかった ー 旅紀行と共に ー

先々週になるが、北海道へ行ってきた。札幌で探求クラブメンバーとワークをやって、生まれ故郷の小樽へ。

小樽運河。

宿泊していたホテルから、早朝の街を散歩した。小樽運河は有名だが、地元民からしたら、さほどありがたいものではなく、

僕的には「埠頭」だ。観光地の小樽運河は、僕が小学生の頃に完成したもので、物心ついた時はもっと汚くて、ドブ臭い川のような場所だった。

もちろんそれが良かったとは思わないが、いわゆる「小樽運河」が、さも明治時代からの景観のような顔をしてることには違和感はある。

しかし、埠頭。港は昔からあまり変わってない。

駅近のホテルから港まで歩いていける距離だ。

そして僕の生まれ育った実家も小樽駅から徒歩5分。海がいつもそこにあった。ただし、海と言っても、僕にとっての身近な海は「港」だった。

朝日と、海。

「港」って、いわゆる荒々しい海岸や、自然そのままの状態ではなく、人間の手によって作られたもの。でも、海の水自体はもちろん天然自然なもの。人口と自然の、中間にあって、陸と海の境目。街と街以外を境目。知ってる世界と、知らない世界。

海のこちら側と、海の向こう側。僕はこの境目をいつも見ていて、こちら側にいる自分のもどかしくて、早く“あちら側”に行きたかった。境目を越えたいと願っていた。

港の埠頭の奥に、防波堤がある。防波堤の外側は波が荒れていても、内側は比較的穏やかだった。防波堤の内側での作業をしやすくするための仕掛けなのだろう。

防波堤の向こうは、果てしない海が広がっている。

僕は「圧倒的なもの」に弱い。弱いというのは、語彙が足りなくて上手く言えないのだが、圧倒的なサレンダー(降参)があり、決して敗北感のそれではない。

自分の無力さを感じ、自分のちっぽけさを痛感しつつ。でもそこに組み込まれている自分が嫌いでないどころか、愛しくなる。

その圧倒的存在と、ちっぽけな自分のどちらもが、愛しく、そして同時に恐ろしい。その恐ろしさは、自己の消失への恐れ。

とにかく、僕は圧倒的なものに弱い。

その前に旅の話に戻る。

この日は午前中からとにかく歩いた。

何年かぶりに墓参りをした。

僕は“スピリチュアルな人”と思われてるし、作家としても“スピリチュアル作家”というジャンルに組み込まれている。

しかし、別に世間のイメージするような先祖崇拝とか、墓参りの重要性を説くタイプではない。

むしろ先祖への想いは強くあれど、墓参りという行為にはあまり関心がなく、数年来てなかった。

しかし、今年はなんだか行きたくなった。家族がいなくて、一人だったのもあるかもしれない。北海道へは毎年来るが、大抵妻と息子と一緒だから、まったくいつもと気分が違った。

数年ぶりに訪れた墓は、雑草が生い茂りずいぶん荒れていたが、別に嫌な感じはしなかった。むしろ自然で良いとすら思った。僕の主観なので、仏教徒の方や、多くの方が非難するかもしれないが、仕方がない。僕はそう感じるのだ。

草をかき分け、コンビニで買ったロウソクと線香に火をつけ、観音経や般若心経、あわの歌などを唱える。なんでも良いのだ。「声」そのものと、“想い”が響けばいい。先祖をないがしろにしてるつもりはない。さまざまな意見があるだろうけど、墓地に行くことが先祖のためとも思わない。大事なのは先祖への感謝の気持ちではないだろうか?

とにかく、墓地で過ごした時間は僕にとってとても良い時間となった。「先祖」とか「時の流れ」とか。これも僕にとって圧倒的なものの一つかもしれない。

徒歩20分ほどで、展望台がある。

下はおたる水族館。

この展望台は父のお気に入りの場所だった。子供の頃から、数えきれないくらいに来た。真夏の午後も、冬の朝も、星降る夜も、父は僕を車に乗せて連れてきた。

僕が結婚して、妻ができ、息子が生まれてからも、僕らをここに連れて「ほら、いい景色だろ?」と、景観を自慢し、妻にあれこれと蘊蓄を披露してた。

思えば一人でこの景色を眺めるのは初めてだと気付く。しかし、父と二人で眺めてるような、そんな気もする。

水族館のアザラシたちがくつろいでいる。時間が合えば「トド」のショーなんかも遠目に眺めることができるし、夜に来るとトドの鳴き声が暗闇に響き渡るのも耳にできる。

「父親」というのは、息子にとってはある種の“圧倒的な存在”だ。そして僕の父は筋骨隆々で、強く、みなから「かっこいいね」と言われる親父だった。

子供の僕には圧倒的であり、尊敬し、大好きだったけど、畏怖する存在だった。

街へ戻り、懐かしの街を歩き回った。

街の中、実家のあった場所、神社。通っていた幼稚園。

母が好きだった「美園のアイスクリーム」。創業100年。
小樽といえば、やっぱ寿司は行っとくでしょ(笑)

ランチもして、散々歩き回り、その後、フェリーターミナルへ向かった。

新日本フェリー「らべんだあ」
子供の頃から眺めてた船。

乗る理由は、探求クラブの掲示板に書いたので、ここでは省略。

フェリーの時間はかなり快適だった。最高だった、と言ってもいい。

ざっと、船内を紹介しておこう。

通路。

中は広い。当然だ。ちっとやそっとの波では揺らがない新日本海フェリー。

ツーリストA

僕は一番安いツーリストAという寝台。しかし、むかしらB等寝台という雑魚寝部屋もあった。今はないらしい。

中はこんな感じ。シーツなどが足元に置いてある。
カプセルホテルより広い。

高校生の頃、実は何度もフェリーには乗ってる。しかし、どこかへ行ったわけではなく、清掃のバイトをしてたのだ。

「これに乗って、このまま新潟とか舞鶴とか連れてって欲しいなぁ」と、よく思ったものだ。

大浴場。22時まで。朝は6時〜8時。

風呂はなんとサウナもあり、展望露天風呂もある。かなり贅沢だ。サウナに水風呂がないのは残念だが、火照った身体のまま、露天風呂で海風を浴びるのは気持ち良かった。

そして食事。

サッポロクラシックとサラダ。

レストランがあり、カフェもある。売店もある。慣れてる人の中には、あれこれ買い込んだものを食べてる人も多く、クーラーボックスに大量のビールや酎ハイを運び入れ、酒盛りしてる人もいた。

アクリル・パネルは日本の常識。

注文はタブレットだ。チェーン店の居酒屋のようだ。実際にメニューも
定食ものから、刺身やおつまみやらお酒やらもかなり豊富だ。

新潟名物「栃尾の油揚げ」をおつまみに。

北海道と新潟、双方の名物を取り入れてるのも面白かった。

船のデッキは前方と後方にあり、僕は後方の存在を知ったのは朝になってからだったがけど、前方のデッキに何度も出た。

圧巻だ。圧倒的な景色だ。当たり前だけど、なにせ周りはすべて「海」だ。

圧倒的存在に対してのサレンダーが心地良いように、圧倒的景色が好きだ。

その辺のスケールの大きさは、やはり外国の方が多い。エジプトで見たどこまでも続く砂漠の荒野とか、中国上空の飛行機で見たどこまでも続く山谷と荒野。これも飛行機だけどヒマラヤ山脈もすごかったし、北部から見た山脈の圧倒的な雄大さもすごかった。

アメリカ、セドナにて。“圧倒的”な荒野の山々。

子供の頃から“星空”をいつも眺めていたことも、その感覚が養われた要因としてあったのかもしれない。圧倒的な風景と、そこに取り込まれた自分。そしてそんな自分を無くしていく“自分”。

今でも「山」に入るのが好きなのは、なんと言ってもそこには自分では太刀打ちできない「圧倒的自然」があるからかもしれない。

夜、デッキで星空が見たかったが、残念ながら雲が多かったし、案外ライトや照明が多く、晴れていても星空は難しいと感じた。親父は何度もフェリーで見た圧巻の星空の話をしてくれたが、昔とその辺も違うのか、後方デッキの方が照明が少ないのかはわからない。

でも、夜のデッキもなかなかのものだ。波飛沫を立てながら夜の何もない海を疾走する大型フェリー。圧倒的な暗闇が広がり、闇の向こうに外国がある。そう考えるだけでもなかなか爽快な気分になるではないか。

圧倒的存在の前に感じるサレンダー(降参)は、やはり「生と死」がある。大袈裟に聞こえるかもしれないが、僕はこの圧倒的な存在に対して、「死」のイメージが起因する。

例えば、大海原。僕がフェリーから飛び降りたらどうなる?間違いなく死ぬだろう。

それは荒野でも、どこまでも続く山々でも、それら圧倒的な存在ともし僕と存在が万が一にでも“敵対関係”になってしまったら?

そこには「死」がある。それは幼く、小さな自分と父親という、大人の男性もそうだ。もしその大人の男が(まして父のような筋骨たくましい男が!)、牙を向いて攻勢に出たら、確実に死ぬ。

こんなことを考える僕が大袈裟だし、悲観的だし、もはやここまで来ると変態性も帯びているかもしれない。しかし、そう感じる以上仕方ない。

しかし、そこには同時に「生」がある。死を感じるということは、生を体験している瞬間なのだ。だから僕は圧倒的なものに出会うのが好きなのかもしれないし、圧倒的な存在を思い、多くの人がまともに生活していたら気付けない当たり前の物質や現象の中に、なんらかの圧倒的なものを探し、見つけることが好きなのかもしれない。

だから芸術にも、圧倒的なものが欲しいし、そこには「生」、ないし「死」を感じさせてくれるものが好きだし、自身もそういうものを紡ぎ出したいと思う。

ああ、これを書いていると、なんだか最近、圧倒的なものにあまり出会ってないかもなぁと思えてくる。現状に不満なんて何もないのに、何一つあるわけないのに、自分が今、ぬるま湯に浸かってるのではない? 何か大切なものを失ってやしないか? そんな焦燥感を感じてしまう。これは男ならではの「冒険心」のようなものだろうか?

フェリーの話に戻ろう。

ミニスポーツジム。

そうそう、こんなサイクリングマシンとウォーキングマシンがあり、ついつい遊びでやってみた。10分自転車を漕いで「キャンディー1つ分のカロリー消費」と出た。

長い夜、時間だけはあるので、こうして軽い運動するのもいいと思う。ただし、船内はかなり歩き回れるくらい広いので、あえてこんなものに頼る必要はないが、僕は普段から食後に軽く散歩とかするタイプなので、楽しく利用できた。

揺れはほとんどない。ただずっとエンジンの唸り声というか、モーターの振動のようなものはある。その中で眠れるか心配だったが、けっこう普通に眠れた。夜中に何度か目を覚ましたけど、安眠を妨げるものではなかった。

翌朝。5時半に目覚ましをセットした。朝日を見に行こうと思っていたからだ。

ちなみに前方の甲板デッキは前夜22時の消灯時間からずっと閉鎖されていた。星が眺められるかと、何度も外に出て様子を伺っていたが、

たしかに風は強かったけど、そんなに荒天ではなかったのだけど、こればかりは仕方ない。

しかし朝になっても閉鎖されたままで、これはかなわんもフェリーのクルーに「外に出れないんですか?」と尋ねると、後方にもデッキがあることを教えてもらった。夜にも出たかったので、もっと早く知りたかった。とほほ、聞くはいっときの恥。

とにかく、朝の空気を感じたく、後方のデッキへ。

しかしご覧の通り、

生憎の曇り空。まあ、昨日の夜からわかっていたのだか……。

ただ、やはり気持ち良いものだった。10月なのでそこそこ寒かったが、上着を着ていれば我慢できない寒さではない。同じように、カメラを持って待ち構える人たちもそれなりにいた。

6時過ぎに、日が上り、朝日を拝む。これもやはり圧倒的な光景だ。太陽。朝日。ご来光。生命の躍動。

朝風呂に入ってから、実はさして腹は減ってなかったが、せっかくなので…、

シャケ、納豆、ご飯、味噌汁。すべて単品で注文。

朝食をレストランで食する。カフェでは焼きたてのクロワッサンなんかもあった。

朝9時15分に新潟港へ。定刻通りだった。

新潟港。

トラック運転手、車の旅行者や移動者、ペット同伴の人など、さまざまなタイプのチケットがあり、僕のようなシンプルな乗客は一番最後に降りる。混んでる気はしなかったけど、オフシーズンの平日にも関わらず、予想してたよりは人が多くて驚いた。

チケットはこんな感じ。

冬場は日本海は荒れるらしいので乗るかわからないが(そもそも雪の北海道に行かないと思う)、また暖かくなったら行こうと思ってる。フェリーの船旅、おすすめです。

僕もまた必ず乗る。今度は息子を連れて来たい。

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イベントのお知らせ。

11月27日(日)歩く瞑想、弘法山 
https://innerpeace-kensuke.stores.jp/items/63567cfb4aed194aee86494c

12月4日(日)女性性を巡らせる“音体験” in 大阪 
https://innerpeace-kensuke.stores.jp/items/6357bc455976207314a25532

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