連載小説 「父へ」 #6 (無料記事) 第10話 柿崎潤 2 第11話 自分を生きる(終章)
連載小説 「父へ」#1 第1話「僕と父について」 第2話「父の影に出会う」 第3話「母を訪ねて」
連載小説 「父へ」#3 第5話 「父が呼んでいる?」 第6話 「心斎橋」
連載小説 「父へ」 #4 第7話 「チョウ・ソンジュ」
連載小説 「父へ」 #5 (無料記事) 第8話 メール 第9話 柿崎潤
10 柿崎潤 2
僕は頭を整理しようとする。
(この人が、火を点けた?では、父のタバコの不始末ではなかった…)
「ずっと、言い出せませんでした…。許してください…!」
僕はその告白に対して、どう思うべきなのかを、まるでわからなかった。腹は立たなかった。いや、僕はよく後になってから思い出して腹を立てることがあるから、今は頭が混乱しているだけかもしれない。
しかし、まずは父のタバコの不始末という大きな疑惑が晴れた、という事実が大きかった。
「頭を上げて、席についてください。もう30年前のことです。僕自身は当時何も知らなかったし、実は父のことをこうして知るようになったのは、つい最近なんです。ですからあなたに対して許すとか許さないとか、そういった感情はありません」
「ごめんなさい…」
「さあ、とりあえず、飲み物を飲んで落ち着きましょう」
僕は彼の肩に触れて、体を起こす。彼は震えていた。きっと、その罪悪感で、30年間苦しんできたのだろうと思うと、むしろ同情すらした。なぜなら、僕の一つ年上ということは、当時5歳だ…。
そこでふと思い出した。まるでフラッシュバックのように、ある光景が脳裏をよぎった。
あれは中学1年生の頃だ。確か、一つ年上の生徒で、周りの不良少年たちにいじめられている生徒がいた。不良の少年に、蹴りを入れられていた。虐められている少年は泣いていた…。
「ジュン!、さっさとジュース買ってこんかい!」
という言葉を、よく覚えている。たしかに「ジュン」と言った。どうしてはっきり覚えているかというと、僕と友人でそれを見て、先輩たちが怖いと思い、中学生になったばかりの僕にかなりのインパクトを与えた出来事だったのだ。いじめられっ子の顔は、確かに今の柿崎潤とかぶるものがある。
(ひょっとして、彼は火事の罪悪感を抱えたせいで、卑屈になったり、気弱になり、いじめの標的にされたのでは?)
僕はそんなことを考えながら、彼をテーブルに着かせて、汗のかいたウーロン茶のグラスを手渡すと、彼は一口それに口をつけた。
「つかぬことをお伺いしますが、柿崎さんのご両親はご無事だったのですか?」
「はい…。父は仕事に行ってました。継母と、腹違いの義理の弟は、阪急デパートに買い物に行ってたんです…」
父のことを話したときとは、また別の表情を見せた。僕の推測だけど、彼はすでにその頃には、継母からなんらかの喜ばしくない対応を受けていたような気がする。
彼には彼の事情があったのだろう。5歳の子供が親のいないところで一人で火遊びをするって、ちょっと普通じゃない。
(それで父の分まで生きろって言われたのは、辛かっただろうな…)
彼がウーロン茶のグラスを持ったまま涙をこぼして静かに嗚咽しているのを見ながら、僕は冷静に思った。
「辛かった、でしょうね…。父の分まで生きろと、言われたんですよね…」
僕は思ったことを口にした。彼はうなずいて、それからすぐに首を大きく振って、
「僕には、そんな資格、ありません」
と答えた。
「僕も、ずっと言われてきました。お父ちゃんの分までがんばるんよって…・正直なところ、父の記憶はほとんどないので、そんなことを言われるのが苦痛でした。でも、柿崎さんは、さぞ辛かったと思います」
僕の言葉に数秒間の沈黙を起き、
「僕が、悪いんです…。本当は、すぐに言わないとならなかった。でも、あの時火傷を負って、煙を吸い込んだせいで、2日間意識がなかったんです。目が覚めてからもぼうっとしてて…。いや、言い訳です…。すべて、言い訳です」
と嗚咽まじりに答えた。
「柿崎さん、本当に、僕はあなたを責める気はありません」本心でそう思った。「もう済んだことです。もう、気にしないでください。だって、柿崎さんも当時5歳くらいでしょう?5歳の子供に責任なんてありません。誰一人、あなたを責める人などいません」
「すいません…。すいません」
僕はいたたまれないような気持ちになり、どうしていいのかわからずビールをぐいっと飲み、枝豆をつまんだ。するとまた彼は話を続けた。
「うちの継母は、僕をいつも煙たがってました…。父も、僕と遊ぶと継母が怒るので、明らかに僕には冷たかった…。そんな状態で、周りの子供たちからも…」
僕は黙って聞いた。思った通りだ。
「コウジさんは、本当に優しかったです。みんなに好かれていました。僕も大好きでした。いつも一人でいた僕のことを、気にかけてくれました。コウジさんが、人見知りの僕を、ソンちゃんとか、和江さんとの間を取り持ってくれたし、僕の父とも話をしてくれました」
なるほど、父は本当に優しかったのだなと思った。しかし…。
「でも、チョウ・ソンジュさんから聞きましたが…」
僕がそう言いかけたところで、
「いえ、それは違います」
僕が説明する前に彼は顔を上げてきっぱりと言った。
「確かに、彼のお母さんと、そういう関係はあったと思います。それは否定しません。だって、コウジさんはみんなに優しかったですし、カッコ良かったです。でも、ソンちゃんが学校で馴染めなかったのを、コウジさんが周りの大人たちと話し合って、色々と助けたんです。あの長屋や、近所でも、ソンちゃん親子を外国人だからって、差別する人がいたんです。でも、コウジさんがそれに怒って、親身になって相談に乗って、僕の親とか、和江さんのお母さんとか、色んな人と話し合ったんです。喧嘩したわけではなく、コウジさんのユーモアと、明るい、気さくな性格で、さりげなくあの親子をサポートしてたんです」
「そ、そうなんですか…?、でも」
「ソンちゃんはそのことを知らないと思います。コウジさんは、ソンちゃんにはそれがわからないように、密かに遠巻きで話をしてました。僕も最初の頃は知りませんでした。小さかったし。ただ、後になってから父から聞いたんです。僕が高校で大阪の全寮制高校に入る直前のことでした。ソンちゃんはコウジさんを逆恨みしてたから、どうしてもっと早くそれを言ってくれなかったんだと、父に初めて僕が怒鳴りつけた時だったので、よく覚えています」
「そう、だったんですか…」
「本当に、素晴らしい人でした。そんな人を死なせてしまっ…」
「いや、それはやめてください。今の話を聞けただけで僕は救われました」
僕は正直に言った。
「父の分なんてどうでもいいです。もう、やめにしませんか?」
「やめにする?」
「父は、そんなことを望んでるはずありません。俺の分まで生きろなんて、絶対に思っていないと思います。もう、自分を責める必要もないし、誰かの分まで生きるなんて、やめにしましょう。僕も、あなたも」
「守さんも、ですか?」
「はい、僕もです。子供の頃から、周りの大人たちからそう言われたことに対して、違和感や反抗心を持ちつつ、どこかでそれが引っかかっていたんです。それが逆に、勝手な強迫観念というか…」
彼は何も言わず僕の話に耳を傾けている。僕はビールを一口飲んで続ける。
「僕は結婚してます。そしてついに子供ができたんです。でも、いざ子供が生まれると思うと、僕はまるで父になる自信どころか、子供と対面するということが、怖くなってしまった…。自分が父を知らず、ただただ父の分まで生きろと言われ続けて、そんな人間が父になれるはずがないと…。それで、父のことをきちんと知ろうと、色んなヒントを辿って、吉田和江さんや、あなたに会ったのです」
「そうですか…」と一瞬考え込んでから、「あなたなら、いい父親になれると思います」
と、泣きはらした目で柿崎潤は言った。もう声は震えていなかった。
「それは、コウジさんの息子さんだから、ということではありません。あなたは、人の気持ちを考えれる人です。人の心を、自分の心で感じ取れる人です。きっと、お子さんにとっても、素晴らしい父親の資質をお持ちだと思います」
「いや、なんだか、お世辞でも照れますね」
面と向かって言われると恥ずかしいものだ。自分では、人の気持ちはおろか、自分のことすら何もわかっていない。
「お世辞?僕はお世辞は言えない人間ですよ」
彼は気まずそうに笑いながら言った。
「そうですね。そんな感じがします」
と言ってから、失礼なことを言ってしまったと思ったが、彼は「ぷっ」と吹き出した。初めて、彼の笑った顔を見た。
彼はウーロン茶を飲み、落ち着いた声で話す。
「とても、楽になりました。あなたのおかげです。あなたが許してくださらなかったら、僕は…」
「やめにしましょう。もう、終わりました。誰の人生でもなく、これからはお互い自分の人生を生きましょう」
そう言ったところで、スマートフォンが着信した。妻からだった。
「もしもし」
「生まれそうだよ!」
電話は妻ではなく義母からだった。大きな声で耳が痛いくらいだ。
「生まれる?ついに、陣痛ですか?」
「さっき破水して、今お父さんの車で、病院に着いたところ!分娩室用意しているわ!守くん、どう?来れそう?」
僕は腕時計を見る。21時だ。まだ新幹線はある。
「わかりました!すぐに向かいます!」
僕が電話を切って柿崎さんに状況を伝えようとすると、彼はそれを手を上げて制して、
「すごく声が大きかったので、全部聞こえてました」とにこやかに言った。「今すぐ行ってください。あなたの人生のために。そして、新しい家族のために」
「わかりました!ありがとうございます!またゆっくりお話ししましょう」
僕が財布を出そうとすると、
「そんなものはいいですから、早く行ってください!はい、またどこかでお会いしましょう」
僕は素直にそれに甘えて、店から文字通り転げ出るように外に出て、やって来たタクシーに飛び乗った。
多分、もう2度と彼とは会わないような気がするなと、タクシーの中でふと思ったが、それで良いと思った。
11 自分を生きる
新幹線の中で、会社の上司に明日と明後日は休むとメールをしたが、いつでも電話が鳴ってもいいように、スマートフォンを握りしめていた。連絡がくるかもしれない。
子供が、生まれる…。
男とは不思議なものだ。まるで実感はない。これは僕に限らず、すべての男性が同じような感覚なのではなかろうか?
妻は、いや、女性は一体この時をどんな気持ちで迎えるのだろう?10ヶ月かけて大きくなるお腹と胎動を感じながら、準備を始めていたのかもしれないし、そんなことを考える余裕もないかもしれない。でも、腹を括っているのは確かだと思う。
妻は立ち合いを望んでいる。僕自身は、なんだか怖いような、そんな神聖な場に僕が入っていいのかと疑問に思うが、彼女が望むのならそうしてあげたい。
しかし、京都から広島までの新幹線、そこから乗り継いで、タクシーに乗って…。到着は深夜になる。その瞬間に立ち会えたらいいが、とにかく二人とも無事であればいい。願うのはそれだけだ。男は多分、どちらにしろ無力だ。
僕は先ほどほとんど何も食べなかったことを思い出し、新幹線の車内販売で弁当を買い、少し迷ってから缶ビールを買った。こんな時に酒を飲むのもなんだかためらわれるが、斜め前の席にいる大きな声の初老音男性二人組も、自分と同じく京都から乗ったのだが、座るなりさっそく缶ビールを開けて、旨そうに飲んでいるのが目に入ったからかもしれない。
ビールは、美味かった。先ほどは、味のわからない炭酸水で喉を潤したようなものだったが、今は晴々とした気分で、何か大きな仕事を終えたような清々しさだ。本当の仕事はこれからが本番だというのに。
新幹線に揺られながら、窓の外の夜の景色が猛スピードで流れていく。ぼんやりと眺めているだけで、とにかく良い気分だった。「これから大変だなぁ」と、不安がなくなったわけではないが、温かい気持ちで考えることができた。
弁当を食いながら、3人の話を思い出した。三者三様に、言ってることは多少の食い違いはあれど、父の人物像がおぼろげにイメージができた。そして3人とも、命を助けられたことで、長年何かしらの苦しみを感じていたということもわかった。チョウ・ソンジュも、いつか父を、そして自分自身を許せる日が来るのだろうか…。いや、きっと来る。何の確信もないが、そう思う。
ちなみに、複数人の人から話を聴いたが、結局のところ父が「どういう人だったのか?」なんてわからなかった。ただ、“一言では言えない男”だったのだとわかった。非常に面白味のある、人間臭く、やさしく…。
そもそも、人間というのは、一口ではわからない。一言でなんてわからない。そんなものではないだろうか?
僕だって、一言では言えないような男でいい。どんな父親になるのかなんて、それこそ父親になる前に「良い父親」なんてイメージを持つ方が無理がある。僕もきっとこれから、良い部分もどこかしらあれど、それでも悩んだり、だらしなかったり、人に迷惑をかけたりしながら、成長していくのだろう。
(そうだろ?それでいいよな。お父ちゃん)
と、ビールを口に運びながら、心の中で父に声をかける。こんなことをするのは初めてのことだった。あまりそういうことを信じるタチではないが、今はこうして、父の魂とやらに話しかけたい気分であり、本当に父がそれを聞いてるような気がした。
(そうだろ?俺は俺なりで生きてくよ)
「そんなもんやで。お前はお前のやりたいようにやればええやろ」
え?と、僕は思わず固まってしまったが、なんてことはない。斜め前のおじさんたちの一人がでかい声で話しているのを、たまたま耳に拾っただけだ。まるで、僕の問いに父が答えたかのような絶妙なタイミングで。
「おい、自分、声デカいで」
もう一人のおじさんに諭され、声の大きい方は「がははは」と笑った。どうやら、新幹線に乗り込む前にすでに出来上がってるようだった。
(本当に、父が答えたのかもな…)
なんて思いながら、僕は広島へ向かった。僕は僕を生きる。僕は僕のために、家族に会いに行く。
終わり
あとがき
今回は露骨なスピリチュアルな内容はありません。しかし、実はこのストーリーにはとてもスピリチュアリティがあると思ってます。
それぞれの視点、感じ方、出会い、浄化、覚悟、許し。
夏くらいからチマチマと書いていたのですが、発表の場として、noteに連載させていただきました。
お読みになっていただきありがとうございました。
また、良質な小説も書いていこうと思います。