
「本を読む」ということ
本を読む。
本を読むというのは「体験」である、ということを何度も語ってきました。自身が物語に入り込み、主人公や登場人物たちの体験を共有する…。
しかし、どうして共有体験となるのか? 読者に何が起きているのか?
実はこれは作者との「コラボレーション」なんです。
著者はあくまでも「文字情報」しか作者は提示できません。文字は記号であり、記号の組み合わせです。
記号自体には意味がなく、記号を“読み解く力”がないと情報になりません。それはまずは「言語」としての理解ですが、さらに「長文理解」の能力が必要です。
実際のところ、「1年に本を2冊以上読む人」は、全人口の10%という統計があります。だから長文を読める人って、実は少ないし、140字以上の文章を“正しく”理解できる人は、日本人では14%という驚きのデータもあります。
だから「本を書く」とか、こうしてnoteのような媒体で「文章を書く」というのは、全人口の10%〜14%に向けて、ということになるのですが、さらにそこで「小説」となると、さらに枠が狭まります。
なぜなら「想像力」が問われるからです。小説は、テキスト的な文章で「〇〇は▲で、□である」という説明文とは違うからです。
アニメや映画なら、物語はもちろん、映像、音、間合い、などがすべて提示されています。もちろん、深い洞察はいくらでもできますが、受け取る側の負担、つまり想像力を駆使するというエネルギー消費量は少ないです。
だからどんどん動画コンテンツが主流になり、しかもショート動画が主流になっているのは、ある種の必然です。
だって「楽」だから。全部与えてくれるから。
そこに「洞察」も交えないのであれば、映画やドラマを二倍速で見る若者たちのように、ちゃちゃっと、時間もコストもかけずに情報だけを受け取ることが流行っています。
しかし、小説は想像力を駆使します。だって文章情報だけですからね。そこで自分の頭の中でキャラクターを動かし、喋らせ、風景をイメージさせ、さらに「心」を使い、主人公の心理や、情景や描写を“感じる”ことになる…。それを昔から「行間を読む」なんていいますね。
しかしだからこそ、読んだ人それぞれの解釈がばらつきます。だって、そこで起きていることは半分は著者、あと半分は読者の想像力。
それが合わさって、その人の中で生まれる「感覚・感情・情動・気づき」があるのです。だからコラボレーション。共同創造です。
「KYOMU」
この度出版した新刊、小説「KYOMU」、たくさん感想をいただいて、Amazonのレビューも入ってますが、胸アツ、かつ、この人の思想や哲学の深さを垣間見るレポートを読みました。
「夢から醒める」という言い方があります。
あれは一体、「何が」夢から醒めるのでしょうか?
「私」が?
その「私」と言っている「それ」は、果たして莊子の方なのでしょうか? それとも「蝶」の方なのでしょうか?
あるいは、そのどちらでもないのでしょうか?
まさしく、物語の本質をついてます。ぜひ、こちらのnoteをお読みください。
読んだ?ちゃんと読んだ?すごい深いことをさらっと書いてるよ?僕は連続で3回は読み直した。
ちなみに上さまはこちらのYoutubeにも出演してくださってますが、
カウンセラーであり、言語化のプロフェッショナルであり、そしてプロの読書家です。
もう一つ言うなら僕にとって、貴重な同年代、同性の友人です(女友達はたくさんいるんですけどね)。
僕のような業種の人間は、とにかく本を出したらとにかくインフルエンサーに献本しまくるってのが基本ですが、今回はあまり献本はしなかったのです。ほら、なんだかお互い紹介し合いっこになって、なんだかウソくさいじゃないですか?僕はそういうの嫌なんですよね…。その方が戦略的、マーケティング的に大事ってわかりつつ。
でも、上さまはこうしてコラボ対談なんかもしてますし、なんつったて本当に「本が好き」な方なので、献本させていただきました。
でも、実は怖かったんですよ…。
いやね、だってガチで本を読んでる人からの評価って、怖いですよ。
ちなみに僕が運営するコミュニティ「探求クラブ」のメンバーも読書家が多く、けっこうひやひやしましたが、今のところ良好なレスポンスが多く(おもしろくない!とは言えないだろうけど笑)、安心してます。
「人の評価なんて気にしなくていい!」と言ってますが、やっぱ作品の評価って、気になるなるもんです。なんつったって我が子ですからね。仮に、たくさんの人から認められてなくても、「見る目がある人」から酷評をされたらって思うとね…。
でも、こんなに熱いレポートを書いていただき、感謝です。
また、彼のメッセージに、深く共感するものがあります。
この本は「スピリチュアルノベル」というジャンル(?)になるそうです。
しかし昨今、「スピリチュアル」という言葉ほど、それが指し示す意味合いが多様化しているものも珍しいと思います。
以前からある「ニューエイジ思想」と呼ばれるようなものから、「悟り」系や、引き寄せの法則に宇宙の法則、思考は現実化するといった願望実現系のもの、神社や神道等の日本古来からあるもの、はたまた龍神や精霊、守護霊といった目に見えない存在のことや、オカルト、陰謀論系にまで及ぶ、実に様々なジャンルを包含する言葉となっています。
個人的には、このように感じていて、だからこそ、できればあまり使いたくはない言葉になっているんですね。
そして、そういった様々なジャンルに共通する事柄として、僕は「夢を見ている」状態だということが言えるのではないかと思っています。
どういうことかというと、「ない」ものを「ある」と言い、「ある」ものを「ない」と言う幻想を見させている。
つまり、眠りを深めてしまうものが大勢を占めているということなんです。
別に正解があるわけではありませんが、僕が思う「スピリチュアル」って、「リアリティーの世界」「夢から醒めた状態」のことを指し示す言葉だと思っていて、「ない」ものは「ない」と言い、「ある」ものは「ある」と言う、実にシンプルで当たり前のことだと考えています。
それと照らし合わせると、昨今使われている「スピリチュアル」という言葉って、その真反対、つまり「夢を見させる」「眠りを深める」方向性のものがとても多いように感じます。
まさしく、ですね、昨今の「スピリチュアル・ジャンル」の本質を物語っている思います。
しかし、最後にこうして、
それともまた違う、本格的なSFミステリー作品と言ってもいいと思いますし、それこそ、映像化されるに値する完成度の高さだと思いました。
あ、アニメの方がいいかな。
いやでも、やっぱり「小説」という形だからこそ表現できるものがたくさんあったと思うので、まずは実際に手に取って読んでみることを強くオススメいたす。
これは「目醒めの書」だ。
と〆ていただいたのは嬉しい限りです。
想像力は視覚化
ちなみに、けっこう感想で「映像が浮かぶ」とありました。これこそが想像力ですよね。
今月亡くなられた坂本龍一さんが、以前何かのインタビューが対談で話していたのだけど、
「聴いた人に、視覚的なビジョンを喚起させるような音楽」
をいつも作っていたし、自身も常に音楽と共に、映像として感じていたそうです。
物語を、読んだ人の中で「映像化」させる。これこそがある意味「文章表現の技術」だとは思っています。
コロナは概念がベストセラーになった、漫画家であり、友人の「片岡ジョージ」氏も、

「映画を観てる感覚に近かったかな」と書いてますが、嬉しいです。僕も執筆しながら、実際にそういうイメージはありました。頭の中では常に映像があり、映画のコンテを作っていくようなイメージ…。
ただ、映画っても、実写よりアニメかな。僕って「少年ジャンプ世代」なので、いまだに頭の中が少年ジャンプなんですよ(笑)
まだ読んでない、と言う方は、ぜひ僕とコラボレーションしていただけると光栄です。 こういうレビューもある通り、

小説慣れしていなくても(そこそこ)読みやすいとは思います。
周波数も上がるらしいぜ!

感想やレビューなどあったら、教えていただけると嬉しいです。
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