探求文庫 #52〜54 (過去記事)
2021年の8月から始めたnoteサークル(現在はメンバーシップという名称に変更されたけど、サークル(輪)という言葉が気に入っている)、「探求クラブ」内での「探求文庫」。
探求クラブ内でも、「過去記事が全部掲示板をスクロールしてさかのぼるので読みづらいとご指摘をいただき、過去記事もすべてマガジンにまとめることにしました。
過去のもので、途中まではメンバーでない方も読めるようになっています。もしご興味ある方は、掲示板を読める「探求読書コース」もあります。
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探求文庫 #52 「惰性」と「可能性」
オンラインの瞑想会や、リアルワークショップ、そして探求文庫でもいろんな「ワーク」を紹介しています。
それらはすべて「自己への目醒め」へ向けた、さまざまな角度からのアプローチです。
ただ、一つご注意を。
ワークは「繰り返し」です。一回二回でどうこうなるものではないです。瞑想もそうですが、習慣にしてなんぼです。しかし、この習慣化が、逆に意識を狭めることもあるってことを、知っておいてください。
それは「惰性」です。
「切実さ」や「真剣さ」がワークに臨むに必要な意識であり、そこには常に「今」に向かう意識が重要です。
日常の生活レベルで考えるとわかりますが、例えば食事でも歯磨きでも、掃除、洗濯、皿洗い。僕もなかなかできませんが、どうしても「惰性」になります。他のことを考えていますし、慣れた動作の「記憶」でやっています。
もちろん、そうやらないと作業効率的に間に合わないこともあるし、四六時中集中しているなんてこともできません。ただ、この意識の在り方は、まず「過去」が主体であるということ。過去のリピート再生であり、「今」にいないということです。
そしてオンライン瞑想会でもお話ししましたが、「〇〇をすれば〇〇になる」という思考や動作は、「自分に枠」を作る思考であり、自分を制限しています。
身近な例で“皿洗い”で例えましょう。
「お湯を出してスポンジに洗剤つけて皿を擦ればきれいなる」という記憶をベースに行動する。もちろん、そうなんだけど、ほんとは皿を落とすかもしれないし、意識的に叩き割ることもできるし、皿はきれいにならないかもしれないし、皿が削れるくらい磨けるかもしれない。
「可能性」です。あらゆる可能性があるのに、「〇〇になる」という意識が、その可能性を消しています。
皿洗いならともかくですが(実際叩き割ったら困るし笑)、これがスピリチュアルや精神的なワークになると話はかなり変わってきます。
ワークもそうで「瞑想して〇〇になる」、なんて本来わかりっこないのです。僕もワークや祈りで「〇〇になる」的なことを言いますし、そういう効果を期待してもいいのですが、あくまでも「可能性」の一つとして受け止めて、「今」この瞬間、何が起こるか、何が起きているのか?何を感じているのか?そこに意識を向けてください。
僕らは可能性の世界に生きています。「世界は選べる」というのが、この世界の「愛」です。愛があるから、可能性があるのです。自ら可能性を狭めて「私は〇〇になりたい!」「〇〇さんから愛されたい!」「〇〇って思われたくない」など、制限をつけるのは、この宇宙の愛の法則を利用していないどころか、大いなる愛を受け取っていないことにもなります。
瞑想会で伝えた通り、あなたは「自由」です。可能性に溢れています。
もちろん、現象や物質世界では「手に負えない」こともあるでしょう。大事なのは、そこで“何を思うか?、何をするか?”が自由だってことです。しかし、その意識の在り方が、この世界で実際に自由に振る舞えることに繋がっていきます。
探求文庫 #53 準備ができると浄化が始まる
僕はよく「癒しの段階、浄化の段階、創造の段階」の話をします。
癒しと創造は、ある意味正反対の状態で、とてもわかりやすいのですが、間の『浄化』というやつがなかなか曲者です(笑)。
すごく長く続くこともあるし、短期的に強く出ることもあるし、常に起こってもいます。また、癒しながら浄化され、創造しながら浄化されるので、どちらの段階にも関係があります。
いろんな浄化がありますが、一番わかりやすのがなんと言っても「怪我・病気」でしょう。体に溜まった毒素の排出と共に、潜在的なカルマや抑圧されたエネルギーを分解、放出しているのです。
サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。