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お魚、キレイに食べるんだね

「お魚、食べるの上手ですね」

若い女性に言われた。感心してるようだった。

その日は午前中に仕事の打ち合わせがあった。昼過ぎにはせっかくなのでお昼でも、という話になり、近くの定食屋にランチをしに行ったのだ。

僕は旬の秋刀魚の定食を食べ終えた時に、若い女性スタッフからそう言われたのであった。

僕は彼女に「ありがとう」と答えてから、ずいぶん昔のことを思い出した。

まだ20代前半の若造の頃だ。

「君、お魚、キレイに、食べるんだね」

と、やはり秋刀魚定食を食べ終えた後、上司の女性に言われたのだ。

彼女の言い方がまるで記号めいていて、その意味を理解するのに数秒かかり、さらに言葉の意味を理解してからも、なんと答えていいかわからず、

「は、はあ…、ありがとうございます」

と曖昧に返したのだけれど、それが褒め言葉だったとして、自分がとんちんかんな返答をしてしまい、女性上司に変に思われたのではと、やきもきしたのを思い出した。

彼女は美人で、かつ厳しい上司だったので、ただでさえ緊張していたのに突然の言葉に頭が一瞬真っ白になった。

その美人上司の言葉は褒め言葉だったのか、ただの事実を述べた描写か、感想のようなものだったのかは結局わからないけれど、どうやら自分は魚を上手に食べるのだと知ったのは、それからさらに数年経ってからだ。

「お魚、綺麗に食べるんだね」

まだ新婚と呼べる時期だったと思う。当時の妻にもそう言われたのだ。

ところで焼き魚を食べる間柄って、なかなかありそうでないものだ。外食で焼き魚を一緒に食べる機会は少ない。

だが、一緒に生活するとなると話は違う。その時は、朝食のアジの開きを食べた時だった。

そこでようやく理解した。どうやら僕は、魚を綺麗に食べることができるらしい。

いや、僕にとっては当たり前のことだったのだけど、どうやら世の中、魚をうまく食べられない人の方が多いということに驚いた。

☆☆

「あー!違う違う、骨は、ここから小骨が出てて、ここに肝があってな…」

父は魚の食べ方にうるさかった。イワシ、アジの開き。秋にはサンマ。

それらはよく食卓に上ったが、子供の頃ははっきり言って嫌いだった。肉がいいと、母にぼやいたりしていた。

子供には骨を取り除くのが難しいのだ。

そもそも父はイワシやニシンの小骨など、まるで気にせず食べるが、子供の僕には骨が口内に刺さり、小骨を取り出すのがすごく嫌だった。だから父の口の中は、母の持っている本革の財布の皮のように硬いのではと想像した。

ただでさえ食べづらいのに、父が食べ方にうるさいから、食卓に魚が出た日は、味が美味しいとか美味しくないの前に、とにかくめんどくさいという気持ちが勝っていた。

だから母からたまに「今日は何が食べたい?」と聞かれたら、十中八九「肉!」と答えていた。

しかし、そんな僕も三十路を過ぎる頃には、ラーメンより蕎麦。肉より魚というタイプになった。

脂っこくて味の濃いものより、食材の素材の鮮度や、出汁なんかに美味さを感じるようになった。

まあ、順当に大人の味覚になっていったのかもしれない。

焼き魚も好きだ。そして何より、父と同じように、魚の小骨がちょっとくらい口にあっても、モノともせずに米やらなんやら、放り込まれた他の食材と共に咀嚼することができるようになっていた。

人間、歳を取ると口の中が頑丈になるのか、その小骨すら旨味と捉えてるのかは定かではない。

とはいえ、魚をキレイに食べれるのは、親父のおかげだろう。

当時は口うるさくて煙たく思っていたけれど、魚の食べ方はしっかりと身についている。

ありがたいものだと思う。せっかくの命をいただくのだ。どうせなら、余す所なくこちらの命の糧にして、魚に感謝したい。

親父にそのことを教えてくれてありがとうと伝えたいところだが、父は数年前に亡くなったので、心の中でうつぶやく。

こうやって、魚の食べ方を誰かに褒められた時なんてなおさら、父に感謝だ。案外、育てくれたこととか、学費を出してくれたとか、そういうことよりも、こういう日常の中にこそ、家族や親子としてのつながりやありがたさを感じるものだ。

“親父の小言と冷酒は後から効く”、なんて諺があるが、

「魚をキレイに食べれない人間は信用できない」

「結婚相手を選ぶときは、魚の食い方を見ろ」

こんなわけのわからない格言めいた小言も、真意のほどはともかく、妙に僕の意識の深く残っている。まあ、人の人格を魚の食べ方に結びつける気はないが…。

ただ、僕もあの日の親父と同じように、息子にサンマの食べ方を教えている。

願わくば、息子が魚をキレイに食べれる男になってほしいと思っている。

終わり

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