体験とは何か? その2 「仮想現実」
お知らせ
・9月19日 京都鞍馬山にて「歩く瞑想の会」
・9月26日 東京上野、下谷神社会館にて、瞑想会「静寂」を行います。
・瞑想サークル「探求クラブ」(上記のイベントも優待価格になります)
詳細、募集はまもなく
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こちらのnoteの続きです。
映画「竜とそばかすの姫」では、仮想現実の世界が描写されていた。そして、ムーンショット計画の話から(こちら)、「体験とはなにか?」という話をした。
しかし、あなたが今見ている、感じてる、「現実」だと思っているこの世界そのものこそが『仮想現実』だとしたらどうだろう?
例えば「夢」は「非現実」と呼ばれる。起きている時が「現実」で、眠った時に見る非現実の妄想や空想とも…。
しかし、夢を見ている時も、痛みや匂い、心地よさは感じるし、感情もある。夢の中でほっぺをつねって、「痛くなかったら夢」だなどと昔のアニメであるが、夢の中でも痛いものは痛い。
俺は定期的に明晰夢のような、かなりリアルな夢の世界に迷い込むが、そこではこの現実とほとんど変わらない質感がる。
古代の中国の思想家「荘子」の『胡蝶の夢』の話にあるけど、夢の世界は僕にとってかなりの高確率で、そんな感じです。
(もちろん、空想の延長線上や、日常の記憶がただ流れるような夢もあるよ。それは脳のお掃除だと、脳科学では説明されています)
夢が現実なのか?現実が夢のなのか?
この世が「仮想現実」かもしれない、という推測はたくさんあるし、スピリチュアルや霊性のマスターたちで、古代からそのようなことを述べている。
(今日の話はマニアックなので、マガジン限定です。)
僕自身、一種の覚醒的な体験をした時に感じ、垣間見たものは「世界はデータ」だった、という事実だ。
「空」と呼ばれたり「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれたり、そのような視点から見えた世界は、
すべてが夢だった。
ということ。でもそれってつまり、
すべてが現実だった。
ということでもある(笑)。なんともおかしいが、そうなのだ。
地球人アバターで、三次元生活をやっていると、どうしても「二元論」で生きてしまう。
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言葉を紡ぐ、心を繋ぐ
アーティスト、作家・大島ケンスケによる独自の視点からのエッセイや、スピリチュアルなメッセージを含むコラムを、週に3回以上更新していきます。…
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