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やっちまった話…。

人は誰しも「失敗」をする。失敗によって、多くを学ぶ。

以前、こんなnoteを書いた。

俺が高校生の頃にやらかした話だが、今回もまた、俺のやっちまった談をシェアしておこう。笑っていただけると幸いです…。

俺は自他共に認める「健康オタク」であり、健康のことを語らせたら、いくらでも語ることができる。分厚い本を書けるくらいの情報量と体験談がある。

しかし、なんでそうなったか?それは、俺が子供の頃から虚弱体質で、アレルギー疾患で、原因不明の呼吸不全と、うつ病で死ぬ思いをしたからだ。それが大きな大きなギフトとして、気づきや学びを与えてくれた。

だが、はっきり言って、今でこそ、健康にはうるさい俺だが、若い頃は“病気になるような生活”をしていたのは事実だ。つまり、自業自得だった。

俺が本格的に「健康です!」と言えるようになったのは、やはり「食生活」は大きい。慢性の喘息やアトピーなど、「治らない!」とされるアレルギー疾患まで完治したのだ。ひどい鼻炎や扁桃炎も、医者からは「手術が必要です」と宣告されたが、それもまったく支障ない。手術どころか、一切の薬、治療と呼ばれるものはしていない。

しかし若い頃は、俺は本当に健康に無頓着で、

「根性があればなんでもできる!」

という、超体育会系の父の影響で、本気で「精神力」だけでなんでもなせると信じていた。

20歳の頃。フリーターをしながら、ミュージシャンを目指し上京。寝る間も惜しんで、バイトと作曲活動に明け暮れた。

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この写真は、20歳〜21歳くらいの頃だが、とにかく、無茶してなぁ〜。体の声とか、ガン無視だったし。承認欲求の塊で、劣等感の裏返しに、ビックマウスばかり叩いてた。

それを実現すべく、あくせく、バリバリ、ガリガリ、せかせか、せこせこ、シコシコ(?)、やってました。

とにもかくにも、「早く!」「すぐに!」、夢を実現させたくて、目的に直結すること以外は、一切やりたくなかった。だから、食事の時間も惜しかった。

当時の、俺の食事に対する考え方の定義はこうだ。

「いかに短時間で、生きてくための栄養素を得るか?」

今ではすっかりグルメな俺でも、そんな時代があったのだ…。

「人々は食べるために生きている!しかし、俺は生きるために食べるんだ!」と、偉そうにほざいていました。

(注・今でも、その考え方はあるよ。人の多くは、お金のために働く、なぜなら、食うためだ。だから、食って、生きるために、働いている。しかし、それでは豊かな人生は築けないと知っている)

ここで俺の失敗談を紹介しよう。みなさんご存知の食品、

「コーンフレーク」

M1グランプリで、ミルクボーイがネタにしてますます認知は広がったが、ほとんどの人が1度や2度は食べたことあるだろう。

コーンフレークと言えば、トラが目印の「ケロッ〇」が有名だ。いわゆる「ケロッ〇・コーンフレーク」のパッケージには当時、こんな記載があった。

“一食で、1日に必要な栄養素の半分を摂取できる、理想の朝食”

俺はそれを見て、こう考えた。

「あれ?っつーことは、1日2回食べれば、1日に必要な栄養素ゲットできるべや!」(当時はまだ北海道弁が残っていた…)

俺の食事への考え方が、ピタリと当てはまるではないか!

俺の良いところは、良くも悪くも(?)、自分が『いい!』と思ったことはすぐに「実行」することだ。そこから俺は、毎日毎日、ケロッ〇・コーンフレークを食べ続けた。1日2回。欠かさずに。半分、実験も兼ねて…。

(注・酒はけっこう飲んでました。タバコは1日一箱。生活は不規則。あと、バイトのまかない飯で、多少の食事はしていたが、しかしあえてコーンフレークへの人体実験的に、まかない飯も少なめにして、コーンフレークばかり食べてみた)

2ヶ月くらいで、なんだか慢性的な疲労感を感じるようになり、3ヶ月目には、明らかに体が重くなった。何もしてなくても眩暈やだるさが続いた。

あまりに体調がおかしいので、病院に行って検査した。なにか、悪い病気にかかっているのでは…、なんて真剣に思ったほど、体調が悪かった。そして検査の結果、医師からこんなことを言われた。

「栄養失調ですね」

な、なんと…!戦後ならまだしも、現代人に、そんな症状があるとは!

にわかに信じられなかった。なぜなら、俺は完全食とも言える、ケロッ〇・コーンフレークを毎日欠かさず2食食べていたのだ…!

とにかく、俺はその場でビタミン剤の点滴し、その後、コーンフレークをやめて、まともな食事をすることを心がけた。バイト先のまかないでも「野菜」を摂るようにして、家でも自炊した。もともと料理は得意なのだ。

で、食生活を整えると、すぐに元気になった。それ以外は、酒・タバコ・不規則な生活は、何も変えていない。

俺は思った。

「コーンフレークの嘘つき!!」と。

しかし、俺はそこで、大いなる悟りを得たと言えよう。

広告は、真実ではないと…。

だが、その数年後、フリーター兼ミュージシャンで、とにかく貧乏だったのと、やはり時間が惜しく、「やっぱ自炊なんてしてられねぇ」と、今度は「吉野家」と「松屋」を、週8ペースで食べるようになった。毎日毎日、牛丼。毎日『並盛り・生卵」セット。(ちなみに松屋なら味噌汁が出る!)。

それと、ハンバーガーもよく食べた。100円マックが世間に登場した頃だった。貧乏人には非常にありがたいものだった。

しかし当時の俺的には、コーンフレークよりはるかにマシだと思っていた。なんぜ「米」を食べていること。そして「卵」を食べていること。松屋なら味噌汁があること。ハンバーガーにはレタスとピクルスが入ってることで、栄養バランスが取れていると、なぜか信じて疑わなかった…。

で、そんな生活を続けていたら、やはり数ヶ月後、体が重い…。だるい…。気持ち悪い…。そして「なんかやばい病気になったのか?今度こそ…!」と、思って病院へ行くと、医師にこう言われた。

「ええと、大島さんは、栄養失調ですね」

また、やらかしてしまった…。

俺は、まったくもって学ばない男だったのだ…。

他にも健康ネタでの失敗談はある。

っていうか、これが俺の人生を変えた「呼吸不全」などの地獄の症状になるための、一番の引き金だったと思う。

それが「THE・睡眠」だ。

食事の時間を削ろうとするくらいだ。まさしく「寝る間を惜しんで」の生活だった。音楽活動も、遊びも、夢中になると、眠気なんてぶっ飛び、オール(死語か?笑)するのなんてへっちゃらだった。

そもそも俺は高校生くらいの頃から、「寝ている時間がもったない!」と思っていたタイプだ。

なんせ、『1日8時間睡眠』してたら、一週間で56時間。1ヶ月で240時間!!1年で換算すると、なんと2920時間…!!!

俺は、人よりももっと効率よく、もっと努力して、もっと最短最速で成功者になりたかった。そして金持ちになって、いい女たくさんはべらせてみたかった。さらに気に食わないやつは札束でひっぱたいてやりたいというささやかな(?)夢すらあった。

そのために、1年で2920時間も?布団の中にいるなんて、なんたる無駄だ!!と、思って、寝る間を惜しんだ。

「俺が寝ている間にも、ライバルたちは頑張っている!俺は奴らが寝ている間にも、人生への努力とアートへの情熱を燃やすのだ!」と、本気で考えていた。

だから当時、おそらく、5時間ほどの睡眠が平均だっただろう。ちなみに今では7、8時間は睡眠時間をとるロングスリーパーだ。布団にいる時こそ至福の時間であり、インスピレーションの宝庫なのだと知った。

当時の俺は口癖のように、こんなことをのたまいていた。

「俺、今日寝てないんだよね…」

ええ、わかってます。いるんですよね…こういうやつ…。

しかし、当時の俺は、なぜかそれが“頑張ってる証”であると思っていたので、

「俺、昨日寝てないんだよ」と人に言うときは、まるで“俺はお前ら惰眠を貪る小市民とは違う、優れた人間ですから!”と言わんばかりのドヤ顔で言っていたと思う。

今思うと最強に恥ずかしい限りだ…。イタイ男だったんです…。

そんなある時、俺はブックオフで、睡眠に関することが書かれた本を手に取った。そこには『人間の睡眠サイクルは3時間。だから、3時間、もしくは1・5時間のサイクルで眠ると、脳は休める』というような内容が書かれていた。

俺はそれを曲解し、

「え?まじで?人間って、3時間寝ればいいの?」と、勘違いしてしまった…。

そして、再三言わせもらうが、俺の良いところは「即実行」することだ。

若かりし日の俺は『1日3時間睡眠』と決めて(壁にメモを書いて貼っていた)、とにかく24時間を、バンド活動や、深夜までの作曲活動、歌の練習、だけでなく、浴びるように酒を飲むか、遊ぶか。朝は早起きして、カフェのバイトで早番…。とにかく、1秒たりとも、人生の楽しみを、眠りの世界などに明け渡したくなかったのだ。

で、食事は牛丼とハンバーガーと、カフェのまかないパスタだったが、たまに納豆を食べたり、2日に一本はリボデー(リボビタンD)を飲み、他にもビタミン、カルシウムなどの『サプリメント』を飲みまくっていたので、「これでよし!」と、もう栄養失調になぞならん!と、勝手に納得していた。全くもって、俺は過去から学べない男だったのだ…。

そんな生活を、2ヶ月ほど続けた頃だろうか。ある時、午後のバイト先の仕込み時間で、頭の中で「ばちんっ!」と、ブレーカーが落ちる時と同じ音が、はっきりと聞こえた。そこから、世界は2トーンほど暗くなり、息ができなくなった。

呼吸不全の地獄の始まりだった。

そこからの数々の苦しみと、神秘体験に関しては、

書籍にも書かれているが、そちらも読んでいただけると幸いです。

とにかく、俺のあの病気は、俺自身が作ったと言える。体を酷使した結果だ。しかし今思うと、病気になるために、俺はわざと、あんな無茶をしたのだとも思う。病気になりたかったのだろう。

ちなみに、21の頃、親友が自殺し、余計にそれが拍車をかけ、止まったら死ぬサメのように、生き急ぎ、じっとしていると、自分への無力さと、人生へのやるせなさで、気がおかしくなりそうだったのだ。

しかし、それすら、大いなる宇宙の采配。

“魂を成長させ、自分自身に目覚めるため…”

そういう「ストーリー」が必要だった。

人生って、不思議ですね。そして、今ではこんな爽やか美男子です(笑)

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人間だもの。生きてりゃ色々ある。きっと、今のコロナ騒動も、後になると、全部意味がわかる。今は「点」しか見えない。でも、線になったら、意味がわかって、納得するのだろう。

この騒動は、いつまで続くかなんてわからない。そんな先のことばっか考えてないで、花でも愛でて、心の余裕を作ろう。

アメブロで、こんな企画、「フラワーパンデミック

花と繋がり、花で繋がる。よかったら、あなたもやってみてね。

なんとかなるなる。しかし、価値観はひっくり返るから、今のうちにひっくり返しておけ。

★ youtube動画も更新しました。

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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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