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愛すべき街、東京。(前半・無料エッセイ) 過去に取りこぼした感情 (後半・マガジンのみ)


愛すべき街、東京。(前半・無料)


東京という街。

東京に対して「街」という表現は本来は不適切かもしれない。大都市。大都会。首都、Tokyo。

でもあえて僕は「街」と呼ぼう。

なぜなら街という言葉の“響き”が好きだし、街は僕らの集合体。それは社会とか、集団とは違う、建物とか、文化とか、そこで行われるあらゆる行為、すべてが含まれた集合体。それが街。

他の人がどう思っているのかなんてわからないけど、僕は東京という街に対して、なんらかの“特別な感情”を抱いているのは間違いない。

「東京」という字面を見ても、「トーキョー」という言葉の響きにも、例えば「大阪」とか「札幌」とか「松山」とか「仙台」とか、他の街なり都市なりとはまったく異質の、他にはない感情を喚起させる。

その気持ちは一言ではいえない。畏敬、畏怖、羨望、希望、絶望、汚濁…。色んなものが入り混じっている。入り混じり過ぎている。

しかし、東京に対して何らかの特別な感情を持っているのは、それは多分僕が「生粋の田舎者」だからなのかもしれない。

僕はかつて東京に憧れた。とにかく東京に恋焦がれていた、北海道の田舎町に住むハナタレ小僧だった。そして20歳でその憧れの大都会にやってきて、暮らし、夢を追った。

初めて東京へ来たのは修学旅行だった。札幌から夜行電車で上野へやってきて、1日自由見学という日程だった。

憧れの地、東京にいるというだけで、僕は興奮していた。中学生の頃から、「絶対東京に行ってやる!」と強く、強く、激しく思っていた。

そして「東京でビッグになってやる!」と、今では死語のようなセリフだけど、本気でそう思っていたのだ。

当時は自己価値が低くて、自己否定の塊だった。そんな中で必死に自分を取り繕って、もがいていた。得体の知れない苛立ちをいつも抱えていて、エネルギーが有り余り、かと言って不完全燃焼しながら持て余してもいた。

大嫌いな自分、大嫌いな家、大嫌いな田舎町…。

そんな大嫌いをすべてひっくり返してくれるのが、東京だと信じて疑わなかったのだ。東京は、僕にとってもはや一つの「街」とか、日本の首都「東京都」ではなく、当時の自分を取り囲むあらゆるものとの対比にある“象徴”だった。

もちろん、それらは誇大妄想であり、エゴの幻想であったわけだけど、10代の僕には、東京という象徴にしがみつくことで、あの不安定な日々を、必死に生き抜いていたのだ。

当時の僕に言ってやりたい。「よく頑張ったな」と。そして「色々あるけど、お前は大丈夫だよ、それでいいんだ」って。

20歳で上京し、憧れの東京に暮らした。

しかし、一人暮らしをして夢を追うフリーターの20代、東京の華やかさや光の部分より、どちらかといえば影の部分を生きていたと思う。

賑やかな大通りより、薄暗い路地裏をほっつき周り、清潔で清々しい場所よりも、空気の澱んだ雑多な気配の中に身を投じた。

醜くて、野蛮で、狡猾で、だけど人間臭くて愛おしい、そんな世界を這い回った。

そこでは疑いたくなるほど優しい人たちから無償の愛を受けたこともあったし、びっくりするような奇人変人の奇行蛮行に度肝抜いたこともあるし、本気でヤバいヤツと対峙して、命の危険を感じたこともあった。

僕はそんな雑多な人々と触れ合いながら、夢は夢のまま、挫折しながら、学びながら、出会いながら、恋をしながら、争いながら、別れながら、青春を過ごした。

そんな、東京。今だに僕の中に、象徴としてそれは微かに残っているのだ。

今述べた過去の自分たちは、今の自分と同一自分物なのだろうか?

実は、それについてあまり自信がない。

今この瞬間こそすべてであり、記憶とか、過去というものが、僕にとって段々と信用のおけないものになっているから。

しかしそれでも、かつては憧れ、実際にリアルに駆けずり回った東京。今でもふとした時に耳にするその響きや、目にするその言葉の文字に、何ともいえない気持ちが喚起される。

それはまるで、擦り傷だらけになって、透明感は完全に失われたけど、逆にそれが淡く優しい光を反射させるガラス玉のような、そんな感じの、曖昧でいて、その曖昧さのまま固まって形になった感覚。

愛すべき街、東京。

憧れ、やって来て、暮らした。35歳の頃、一度離れて、その後、結局仕事で東京に頻繁に行き来するようになり、2020年にまた家族で舞い戻り、暮らしている。

今は特に住む場所にこだわってはいないけど、それでも、東京という街は魅力的だと思う。

それが僕の中にで、幻想的なメタファー(象徴)だとしても、そんな幻想を抱えてる自分に対して、悪い気はしない…。

日記、手記


エッセイ調に、今の気持ちを書いてみた。

どうして僕はこんな文章を綴ったのか?

六本木ヒルズ、森タワーからの眺め。

実は先日、久しぶりに六本木に行ってきた。

お目当てはこれだ。楳図かずお、大美術展。

https://www.umezz-art.jp/

楳図かずおの漫画は大好きだ。中学生の頃「14歳」という漫画に出会った。はっきり言ってその画力の圧倒的な迫力と、破滅的なストーリー。オカルトやらホラーやら、ジャンルを超えた魅力があった。

そして「神の左手、悪魔の右手」、「漂流教室」などを読んだ。

大美術展より。

そして、つい数年前に全巻買って読んだこちらの漫画。


1980年代に書かれた漫画だけど、AI(人工知能)と人間の話で、まるで現在、いや、これからの未来を予期しているような内容だ。

今回の展示では、こちらの続編(のようなもの)があり、それがお目当てだった。そこにはまた、未来を示唆するような、不思議な描写がたくさんあった…。

とにかく、美術展は素晴らしかったです。とても良い刺激になったし、ひとりのファンとして、最高に楽しめた。

さて、展示を見て、森タワーの屋上から都内を眺めていた。そこでまず、いろんなことを考えた。六本木は、東京のど真ん中だ。森タワーから360度、東京を眺めると、改めて自分が「どうしてここにいるんだろう?」と、不思議な気持ちになった。

だから、冒頭に書いた「愛すべき街、東京」、なんて思ったのだ。

ビルを出て、六本木の街を少し歩く。

六本木交差点。いつかも書いたと思うけど、25、6歳の頃かな。よくこのあたりで遊んでいた。クラブにも出かけた。

大江戸線で、新宿へ行く。行きたいお店があった。

新宿のBERG。ビールとザワークラウト。一杯300円の生ビール。しかも3度注ぎで、むちゃくちゃ美味い。コロナ対策で、立ち飲みカウンターにアクリルの衝立が並んでいるのがちょっと残念だった。

新宿でバイトしていた頃はもちろん、何かとちょいちょい来た。ここで待ち合わせとかして、ビール飲みながら友人を待ってたり、立ち飲みがメインなのに、何時間も飲んだくれたこともある。ワインも日本酒もあり、食べ物もすべて手作りで、オーガニックなものが多い。

この店に来るのはいつ以来だろう?数年前にもふらっと一度来たような気がするが、あまり記憶にない…。

はっきりと覚えているのが10年前だ。

その10年前に来た時は、僕は東京の練馬区から、八ヶ岳山麓に移住した年であり、八ヶ岳から高速バスに乗って新宿にやって来たのだ。

忘れもしない。11月12日だ。早朝4時半、父からの電話で兄が死んだと知らされた。その日に僕は、この店に来たのだ。

後半へ続く…。

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