目醒めよ日本人。『大調和』へ向けてできること。
淡々と話す彼女の話を聞いていると、思わず涙が込み上げそうになった。しかし、それをぐっと堪えて、マスクの位置を直すフリをして、うつむきながら目頭に触れて誤魔化した。
オレに、この人の前で『泣く資格』なんてないような気がした。もちろん、泣く事に資格も許可もいらないし、“男たるべき者人前で涙を流してはならぬ”、という古臭い概念に捕われてるわけではない。
しかしそれでも、なんだかここで涙を流すのは、彼女に失礼なような気がしたのだ。その時は、そう思った。ひょっとしたら、涙を流して、なんらかの共感を示す事の方が、彼女にとっては、なんらかの救いになったかもしれないが、もちろん今となってははそんなことはわからない。
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一体なんの話だ?と思ったかもしれないが、これは先日、宮城県の北東部に位置する気仙沼市、沿岸近くにある『東日本大震災遺構・伝承館』へ行った際に、俺が感じたことだ。
ここは元は高等学校で、4階建ての校舎、だった場所だ。
気仙沼市の沿岸近い場所にあり、2011年.3/11。地震の後に大津波が押し寄せた。
当時の被災の様子を伝えるべく、あえて、津波で被災し、瓦礫などをそのままにしてある。
瓦礫と共に、隙間に挟まった2台の車。
屋根の吹き飛んだ、元体育館。
3階まで運ばれた車。
波は4階の足元部分にまで浸水した。
すぐ近くの岩井崎。この美しい海岸に、17メートルの津波が押し寄せた。想像を絶する。
言葉にならない感情を感じながら、当時の映像資料を観て、伝承館を見学した。怒りなのか、悲しさなのか、そこにいた人たちを思い、さまざまな憤りを感じた。
4階部分を見学中、掃除をしてる、中年の女性がいた。
「ここまで、波が来たんですか?」
と、オレは尋ねてみた。「想像できません…」と。
その人と、しばらくそこで話をした。
「家族はみんな流されました」
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