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天行健なり
「この神社は日本最古の神社です」とか「この場所は千と千尋の神隠しのモデルになった場所です」とか、なんか知らんがそういう場所ってたくさんある。
何やら世界は“言ったもん勝ち”の風潮があり、多くの人は内容を読んだり、まして調べもせずに、ほとんどが「タイトル」と「キャッチコピー」だけで判断してしまう。
マスコミ得意の「切り抜き記事」なんてまさしくそれで、そのように人間のマヌケな心理と浅はかな脳みその仕組みに乗っ取り、印象操作の偏向報道に明け暮れる。しかし、自分の確固たる信念がある人なんて世の中にはまだまだ少なくて、そういう情報を鵜呑みにしてしまうんだよね。
ほとんどの広告的な言論、主張、効果効能は、
— Kensuke(ケンスケ)龍の唄の覚醒アーティスト (@mirokukensuke) June 16, 2021
「断定的」な物言いだ。当たり前だけど、そうでないと説得力がない。
しかし、説得力があるからと言って[正しい]とは限らない。説得力に誤魔化されず、自分の“肚”で“心”で判断しよう。
「今年最も泣ける映画」とか「全米ナンバーワン」とか「初登場第一位」とか、そんなキャッチコピーもたくさん目にする。ナンバーワンがたくさんある事自体がおかしいのだけど、我々はそこに「なんでやねん!」とツッコミを入れる事なく、日々を過ごしている。
(感染者数〇〇人!とかもそうだね笑)
それらを踏まえた上で、あえて、
「うむ、今日も日本は平和だ!」
となんだかんだ言ってもオレは思えるので、何も問題はないのだが(笑)。
まあ、結局その辺はオレが何を言ったところで「人間ってどうやらそういうもんらしいぜ?」ってことなのだろう。
なんだか最近そんな風に、色んなことが、色んな風に、「どうでもいい」と思うようになってしまっている…。
いや、以前から、「宇宙ってひとつじゃん?」と、『空(くう)』の感覚を体感して以来、かなりその「どうでもいい」的な傾向はあったのだが、この頃はさらにそれが強い。
先々週だが、温泉宿に籠り、デジタルデドックス をしたと書いた。
その後もSNSをほとんど見なくなったり、とにかく「なんにもしない」の時間をたくさん過ごしているのが大きいのだと思う。強いて言えば「瞑想している」「自己観察している」のだけど、アクション的にはほとんど何もしていない。
なんにもしない、がいかに大事なのかと、瞑想家として数年活動しているオレですら、思い知らされた。
もちろん、今はさすがに「なんにもしない」といっても、「食事」とか「トイレ」とか「家族と会話」という最低限のことはやるし、「読書」と、わずかなnote執筆はしている。(今週から、ぼちぼち作業のペースを戻し始めている)
そんな中で、色々と思うところあり、この頃『縄文時代』について、暇があるとその関連の動画を見たり、インターネットの文献を見て、学ぶともなしに、学んでいる。
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