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骨抜きにされた日本人(前半) 報道と政治の実態と、『自分を生きる』ということ。
骨抜きにされた日本人(前半)
日本人は強かった。アジアで唯一植民地支配を逃れ、アジアで唯一、欧米列強と互角以上に戦い、経済や文化を発展させた。
しかし戦後、日本人の底力を知っている勢力は日本人を「骨抜き」にした。
平和を愛し、求めることは素晴らしいが、「骨抜き」をなった日本人。日本人として、何を守り、何を誇りにし、何を拠り所にするのか。
戦後日本人は、それらを失い続けてきた。
この辺の話は、僕も「目醒めよ日本人」のシリーズで散々書いているし、
一部、大和心をなくしていない志ある方々がたくさん訴えている。
ただ、この手の情報は声が小さい。拡散はしない。なぜなら「テレビ」などのマスメディアでは報じないからだ。
「本当のこと」を知りたい人は、テレビは見ても意味がない。
— オオシマ ケンスケ (@mirokukensuke) May 23, 2022
なぜなら、
「本当のこと」を言う人は、テレビには出れないからね。
だけど、多くの国民はテレビの言うことをよく聞く、パブロフの犬。
すでに厚生労働省の公式見解として、「マスク着用」に新しい基準とも言える内容として、
会話がほとんどないところで、屋外で、そして身体的な距離が確保できない場合には、外してよいということを明確化する
とされているが、相変わらず外を歩けばマスク、マスク、マスク…。世の中まだまだマックス・マスク(?)だ。
先日、高尾山に登山に行ったけど、高尾山は小学生の遠足がたくさん来ていて、みんなマスクして山を登っていた。
はっきり言って「異常だ」と思わざる得ないけど、これに関して誰も疑問をいだけない…。
まあ、こんな人もいるらしいけど…。
ボクの昔からの大親友の投稿に共感しかないよ。 pic.twitter.com/I3no8C33WP
— 奥ノ谷 圭祐 ( おくのや けいすけ ) (@Okunoya_jr) May 23, 2022
(家族を失った悲しみが、「コロナが憎い」「ルールを守らない奴が悪い」と変換していて自己を納得させているんだけど、もしもウイルスとマスクが関係ないとか、コロナ自体がただの風邪、と知ってたらこんなことにはならないよね)
どうしてみんなマスクを外さないのか?
一番の理由は「みんながつけてる」ってだけなんだろうけど、どうしてみんなが、政府見解でマスク義務がゆるくなっているのに(元々日本は罰則とかもなかった)ずっとマスクつけてるかと言うと、多分『テレビで言わない』からだろう。
一部、大臣が「〇〇と言いました」とネットニュースで流れても、新聞の片隅に書いてあったくらい、誰もやらないんです。
でももしワイドショーとか、NHKニュースで取り上げたら、一気にマスクをしない人は加速すると思う。なぜなら大衆の多くがテレビの奴隷だからだ。テレビこそ善、テレビこそ正義。考える前に、まさしくパブロフの犬だ。条件反射だ。
昭和から平成と、時代を動かしてきた世代にとっては「テレビ」が「情報・知識・知恵」の基準であり、絶対的な権威と信頼を誇っていた。
うちの親なんかも生前は、「なんか事故や事件があったら真っ先にNHKを見ろ!NHKは嘘はつかないから」と、遠くの都会で暮らす息子を心配してのことなんだろうけど、そんなことを言ってた。でも、この感覚が団塊の世代と、そのプラスマイナス15〜20歳くらいの世代の一般認識だと思う。
圧倒的だった。多分、この仕組みを作ったアメリカの、政府を動かす政府の人たちも、効果には想像以上で驚いただろう。人々は簡単にテレビという四角い箱を信じた。タレントや有名アーティスト、ムービー・スター、有名で権威ある学者や専門家を使い、大衆を情報操作して誘導した。
今だに、インターネット時代になっても、テレビの影響力は絶大です。若い人でも、テレビの情報を何も考えずに鵜呑みする人は多いです。
では、テレビがこんなにも絶対的な権威を持つようになる前は、日本人の「情報・知識・知恵」の信頼や象徴はなんだったのだでしょう?
もちろん、地域の長老や先生的な立場の人はいましたが、時事情報や知識の権威として、
朝日新聞であり、東大(帝国大学)だったようです。また、教養として夏目漱石の作品集を擁した岩波書店も、戦前戦後(今も)、知識人の御用達だったそうな。
戦後も、この三つは日本人の知識階級の「権威」でした。しかし、戦前と戦後では、名前や建前は同じですが、中身はまるで違うものなのです。
帝国大学は国を想い、未来を憂う志ある教師たちは追放、粛清され、多くの良書が焚書されました。なぜなら戦前戦中時代の多くの知識階級は「戦争に協力した」とされ、学会を追放されているのです。
代わりに入ってきたのは(そのポジションに任命されたのは)「共産主義者」達です。政治家もそうです。共産主義どころか戦後の政治の中枢を担っていたのは“日本人ではない”という話もありますし、どちらにしろ明治維新の長州(萩)藩の流れを組む政治家たちがメインです。
朝日新聞は、重役や経営者が一斉に入れ替えられました。その後、経営者は共産主義の“親中”の経営陣です。
朝日新聞は、「自虐史観」と呼ばれる、「日本はかつて悪いことをした」「侵略戦争をした」とか、従軍慰安婦、南京大虐殺などの証拠不十分なものをでっちあげ、大々的に宣伝した先鋒です。
しかし元々は、そんな言説の新聞社ではなかったのです。
アメリカ軍の非人道的な爆撃を批判、避難し、アメリカや中共が言う、日本軍がやったとする数々の悪事(虐殺、レイプ、略奪行為)に対しても、「それはおかしい!」と、社説として言ってたのです。
それが、180度方向転換しました。
その経緯のきっかけは、アメリカが日本を占領中にGHQから、新聞遵則、通称『プレスコード』というものが、日本のメディアに一斉に命じられたことが大きい。
☆ お知らせ Youtube更新。
瞑想ビギナー向けではなく、「もう一歩進みたい」方のために。
では、後半へ続きます。
『報道』と『政治』の実態と、『自分を生きる』ということ。
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