偉くなくとも、正しく生きる。
まもなくです!
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偉くなくとも、正しく生きる。
突然だけどさ、
この人、知ってます?
昔、「天才たけしの元気が出るテレビ」という、今の時代だったら500%ありえない、超ハチャメチャなテレビ番組があったんだけど、そこでまだ若かりし高田純次(彼はこの番組でブレイクした)にイジられてすっかり有名になった「エンペラー吉田」こと、吉田十三(とうぞう)さん。
なんと調べてみたら、2014年に102歳で大往生されたそうな。
この人の座右の銘の決め台詞が、
「偉ぐなぐども〜、正すぃぐ生ぎる!」
と、福島県の田舎の訛り(とういうかこの人の訛り)全開で言うんだけど、このキャラクターがとにかく面白い(Youtube検索すればこんな感じで色々出ますよ)。
元気が出るテレビをリアルタイムで見て笑っていたのは小学生の頃。毎週日曜日の夜8時は楽しみだった。
通称「元テレ」はとにかくすごい番組で、むちゃくちゃだったけど、ダンス甲子園、お笑い甲子園、ジャニーズ予備校などで、調べてもらえればわかるけど、そこから有名な人たちを輩出している。
他にもトラック運転手だった「的場浩二」もこの番組で見つけられたし、まだ無名のインディーズバンドだった当時の「X JAPAN」は、ふざけたヘビメタバンドで出演したことがブレイクのきっかけだった。
それはともかく、最近よくこの「偉くなくとも正しく生きる」という言葉を思い出す。
世の中「偉い人」が多い。いや、これはやや「皮肉」を込めて言ってる。
本当の意味での「偉い」は、何を意味するのかは定義は人それぞれだろうけど、なんだか「偉い人な空気」というか、それを本人はもちろん、周りの人たちも、それを容認しているというか、助長しているというか…。
職業、肩書き、知名度、財産など、それらで「人より上」になり、当然そうなると「下」の人間がいる。
下の人間が、「上」をもてはやし、「上」に依存したり、頼ったりして、偉い人が誕生する。そして、その偉くなった人もまんざらではないわけだ。
「偉くなくとも正しく生きる。それが私の信念でございます」
と語ったエンペラー吉田さん。「信念」って大事だ。
信じる、念と書く。念だから、これは強く、多く、真っ直ぐな方がいいんだろう。でも、それらを得るには時間がかかる。
そしてこの信念ってやつは、人とは比べられないし、人にわかるもんではない。でも、エンペラー吉田さんのように、何かが「滲み出る」のは間違いないし、それは「わかる人にはわかる」のだ。
なんでも「全員に伝わればいい」ということではない。だから「わかりやすさ」なんてない世界だ。偉くなくとも〜は、言葉の意味だけなら小学生でもわかる。でも、信念は、言葉のずっと向こうにあり、それを感じる(観じる)には、自らの奥の方で感受しないとならない。
子供の頃、あのキャラクターに笑いながらも、なんだか「心に染みる」言葉だと感じていた。うちの親父も、「そうだよあぁ〜、偉くなくても、正しく生きるってのが一番大事だよな」と、しみじみと言っていたのをよく覚えている。
だけど、あの番組ではとにかく「キワモノ」とまでは言わなくても、「笑われて」いたキャラだった。多くの人が、彼の言葉をスルーしていたのかもしれない。でも、何か感じた人は多いと思う。
言葉の意味をを超えた、本当の言葉。それはやはり「信念」であり、それは「心」から発せられるものだ。
世の偉い人の「立派な言葉」はたっくさんある。
いつだかの都知事選も、不自然なほど圧倒的な大勝利の小池百合子は、立派な言葉、立派な公約、立派な肩書きがたくさんあり、おそらく何も知らぬテレビを鵜呑みにする人たちにはさぞかし「偉い人」だろうけど、その言葉はいかほどか?
小池に限らず。どうしてこう、上部の言葉だけで、我々は、日本は、日本人は生きるようになったのか?
言葉が「情報伝達」のための文字や音声の羅列でしかなくなった。ただの記号だ。
信念がないのだ。自分に信念がないから、信念を感受することもできない。みんな「心」があると思っているが、心すら危ういと思う。
こんなことをFacebookで呟いた。
スピリチュアルや自己啓発の人って、なんだか自分を「意識高い人」と思ってる傾向がある。いや、僕も昔はそう思っていたフシはある。自分が、というより、全般的に、意識高い人たちと思っていた。
でも実態は違ったと、この中に入ってみたよくわかった。
むしろ“最も危険な状態”の人が多い。
どう危険かって?依存し、妄想に明け暮れ、盲信的なパワーを期待して待ち続ける人が多いのだ。
意識の力。イメージ力。エネルギー。高次の存在。大いに結構だ。でも、みんな自分の体がない。体がないから、心もない。あるのは、頭でっかちな、出来の悪い思考だけ。それが暴走している。
自分の人生を、何か見えない存在に明け渡し、自分を無くして生きる。
SNSとかでそんなの見たくないのだけど、やはりあれこれ目に入り、「やれやれ」と思うこともしばしば。で、こんな動画を撮ったんだけど、
ええ加減にせんかい!と、言いたくなる。
その対極として、エンペラー吉田さんの「偉くなくとも〜」をよくよく考えて欲しいものである。
ちなみに、これは決して「卑屈」になるわけではない。「どうせ俺は何もないけど、せめて正しく生きよう」というメンタルではない。もっとポジティブなものだ。
反対に、例えば金銭的に裕福などっかの大社長さんだろうとも、この気持ちを持つことは謙虚さの表れだ。「自分が偉い」なんて思った瞬間に、その人は人としての道を「正しくない」方向へ舵を取っていると思う。
まあ、それはともかく、あなたは「どう生きたいか?」が、常に問われている。
どう在りたいのか? 自分とは何か?
そこを知らない限り、人生の本質には辿り着かないし、本質に辿り着かない人生ならば、それはただの幻想のようなものかもしれない…。
16日、ちょいと対談企画に。