アメリカ留学で学んだ心の燃費の話。敏感で鈍感になったらええんちゃう
留学して良かったと思うことのひとつに、心の燃費が良くなった、ということがある。嬉しいという気持ちやありがたいと感じることに今まで以上に敏感になり、できないことや他人の目にどんどん鈍感になっている。
まああまりカッコ良い言い方をせずに言うと、感動しい&あまり深く思い悩まない、というだけなんだけど。
でもこれってめちゃくちゃ生きやすくて、ああ留学して良かったなあと思わせてくれる。留学しなくてもその境地に行ける人もいるだろうし、最初からそういう感じの人もいるだろうけど。ぼくがぼくの人生でそうなれたのは留学のおかげっていう話なんで、みんなも留学しようぜ!っていうアレではないです。
敏感のこと
まずは嬉しいという気持ちや、ありがたいと感じることに今まで以上に敏感になった話。留学中は食費を切り詰めてシャープな食生活をしているので、先生がコーヒーを奢ってくれたり、友達が日本からパスタを送ってくれたりすると、もう本当に嬉しい。
忙しい時に友達が料理をしてくれたときは、嬉しすぎてうまく感謝を伝えられなかった。涙が出そうなくらい嬉しかったんだけど、実際には出てないのでこの感動が伝わっているのかは分からない。とにかく、とても嬉しい。
圧倒的に生活が不便になったっていうのも大きく影響している。今まで当たり前だったサービスや社会の恩恵を受けることができなくなって、ようやく、今までいかに恵まれて便利な生活をしていたか気が付いた。そうすると幸せのハードルがぐっと下がる。
とにかく、できないことや不便だらけの中で助けてもらったり優しくしてもらったら、嬉しいのだ。今まで以上に感謝の気持ちが溢れ出てくるのだ。それが他のことにも影響して、晴れてたら嬉しくて、久しぶりに雨が降っても楽しくて、この世に産んでくれた母に感謝して、友達でいてくれる友達に感謝して、それを少しずつ伝えられるようになってきている自分がいる。
鈍感のこと
できないことや他人の目にどんどん鈍感になっている話。できないことや他人の目、過去や未来の出来事にはどんどん鈍感になったのは、あまりにもできないことが多かったからだ。
英語力も人間力も経済力も、全てが圧倒的に足りない状態でスタートした留学だ。当然毎日毎日できないことだらけ。最初は落ち込む余裕があったけど、できないことがあまりに多くて、途中からそれにいちいち反応して落ち込むのが面倒くさくなっていった。落ち込むのが面倒くさいし、そんなに暇じゃないから無視するって、結構な革命だと思う。
できないことの中には、できないままで良いこともあればできるようになりたいこともある。今までだったら、できるようになりたいという願望と、できない現実のギャップに落ち込んでいたけれど、できないけどできるようになりたいことがマジで多すぎて。でしかも、それをできるようにしてかないと、普通の生活ができないぞと思って。
で、どんどん感覚が鈍っていった。できない自分に慣れたと言うか。それって良いことか悪いことか分からないけど。落ち込む時間を行動する時間に充てた、って言えば良く聞こえますでしょうか、どうですか。なんか意識高く聞こえますね。
で、最近はそれが派生して、過去と未来の出来事にも鈍感になりつつある。過去にできたこと・できなかったこと、未来への期待と不安に対しての鈍感。それともアホに近づいているだけかもしれない。
少し話はそれるけど、『できる、できない』に関する話はこっちにもあるので良ければどうぞ。
できる事≒人より秀でている事
ではなく
できる事≒やったことがあること
と捉えたらめっちゃ楽しいし爆速で成長できるよねっていう話。手前味噌ですが良記事だと思う。
まとめ
ここまで読んだ人は、なんだ、そんなことかって思うかもしれない。ただ、心の燃費が良いっていうのは結構大切だなと思うわけで。
できることなら、もっと敏感になりたいしもっと鈍感になりたい。でもやっぱり暇になると元に戻ったりもするから、何もなくて凪いでいるときでもそうなれたら良いなあと思っている。んじゃ。
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