りょうきりん

2023年6月初カミーノを達成しました。 山登り、乗馬、テニスなど広く浅く身体を動かしています。初ファンラン5.2kmも完走。さて、次は何をと検討中に2024年〜認知症の母の介護生活に突入しそうです。スペイン巡礼の思い出を紐解きながら、自宅介護話が展開して行く予感。

りょうきりん

2023年6月初カミーノを達成しました。 山登り、乗馬、テニスなど広く浅く身体を動かしています。初ファンラン5.2kmも完走。さて、次は何をと検討中に2024年〜認知症の母の介護生活に突入しそうです。スペイン巡礼の思い出を紐解きながら、自宅介護話が展開して行く予感。

マガジン

  • アルツハイマー認知症母の介護奮闘記

    90歳になるアルツハイマー型認知症の母が、何度も骨折、入院、リハビリを重ねながら、グループホーム難民になったりする娘の介護奮闘記です。 一度は自宅介護を覚悟したものの、なんとか良いグループホームに巡り合い入居できて喜んでいました。しかし、そこでもちょっとした転倒で骨折をしてしまい緊急入院になってしまいます。認知症高齢者特有の脆さを感じざるをえず、さまざまな方面からの確認など、ドキドキしながら連絡を待つ日々です。実際に手を添えるわけではないところにも大きな介護が必要になってくるんだなという気づきを得られる介護奮闘記になっています。

  • スペイン巡礼おばさん奮闘記

    60歳還暦過ぎたおばさんが、一人でスペイン巡礼道を歩いてサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着するまでの奮闘記です。腰痛・膝痛に悩まされながら、果敢にもサンジャンピエドポーからピレネー越えをしてフランス🇫🇷ースペイン🇪🇸の国境を越えるフランス人の道を選びました。 決して無理をしない事を目標に、全800kmの道程中、バスや電車も利用した軟弱巡礼記です。しかし巡礼証明書欲しさに、最後のサリアからの114kmは歩き通しました。全て歩いていないからこそ見える景色もあり、身体を壊す事なく帰国する事ができたことで安堵しています。それとは裏腹に、やはりもう少し頑張って歩くことに執着してもよかったのかもと不完全燃焼のスペイン巡礼に心残りがあるのも正直な気持ちです。 身体を整え直して、また別のルートでスペイン巡礼をしてみたいなと思い始めている今日この頃です。

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【落ち着いてきました】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/03/20

リハビリ入院してた病院を退院して新しいグループホームに移ってから約1ヶ月で、ようやく落ち着いてきました。 眼科に連れてってもらい、緑内障の進行はなく点眼のみ続けてくださいとのこと。 歯科の訪問診察では、グラグラしている歯が2本あり、いつ抜けてもおかしくない状態。入れ歯がうまくはまらずに、大好きな食事摂取に影響を及ぼしてはいけないので、訪問治療で歯のケアを続行していただくようにお願いしました。わざわざ歯医者さんまで連れて行かなくても、治療ができる車が施設の駐車場まで来てくれて

    • 【ドライフラワー】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/11/01

      約1か月前のフラワーアレンジメントがドライフラワー化していました。 ひさびさに母のグループホームに面会に行って来ました。相変わらず「はい〜、はい〜」だけの返答でしたが、母は変わらず元気でした。 90歳の卒寿の話をすると、「〇〇さんとこは白寿のお祝いした」とか、「⚫︎⚫︎さんとこは、100歳でまだまだ元気だよ」とか、健康長寿の方々が周りにたくさんいらっしゃると思い知らされました。 母にもまだまだ元気で長生きしてもらわないといけません。 卒寿のお祝いの日に姪っ子が準備して

      • 【卒寿お祝い】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/10/08

        無事に終わりました。母も集まった家族もとても楽しいひと時を過ごしました。 予定通り、10:30にグループホームに母をお迎えに行きました。ちょうどトイレに行っていて、その間に外出の手続きを済ませ、エレベーターで車椅子ごと2階から1階へ移動。車の後部座席に母を座らせ、今度は車椅子を畳んで義兄の運転する車の後ろに乗せました。やはり、小ぶりだとは言え、車椅子を乗っけるには男手が必要です。 2台連なって自宅まで車を走らせ、あっという間に自宅に到着。今度は母よりも先に車椅子を広げて自

        • 【卒寿祝いの準備でヘトヘト】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/10/05

          10/8で90歳になる母の卒寿のお祝いを準備中です。 グループホームの外出許可が出たので、バタバタと準備に明け暮れています。 祝い膳にケーキの手配は数日前に予約済みです。 【当日すること】 ⚫︎山口の姉を近くの駅でピックアップしてもらい、2人の姉が自宅に到着するのが10時頃。 ⚫︎色紙に貼り付ける写真の準備はしているので三姉妹で寄せ書きのように卒寿のお祝いの色紙を30分以内に作成する。 ⚫︎ハッピーバースデーバルーンの膨らませてない分を、姉が持ってきてくれる器械で膨らませ

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        【落ち着いてきました】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/03/20

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        • アルツハイマー認知症母の介護奮闘記
          22本
        • スペイン巡礼おばさん奮闘記
          59本

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          【敬老の日のプレゼント】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/09/14

          私は風邪でグループホーム面会ができないので、息子2人に行ってもらいました。プレゼントの木でできたお花のおもちゃも託しました。 母は元気だった様子ですが、息子達が孫だと言う事が理解できていたかどうだか・・・ いつもの様に「はい」ばかり返事していた様です。 マスク越しだったのもありますが、それでも若い男性の訪問を喜んでいたのではないかと想像しています。 せっかく企画している母の卒寿のお祝いができなくなると大変なので、長引く夏風邪を早く治したいと思います。

          【敬老の日のプレゼント】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/09/14

          【要介護度2→5へ】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/08/31

          いきなりの3段階アップです😅 毎月のサービス利用料も2万円以上高くなってしまいました。でも、母は元気です。 何度も転倒して骨折して、手術して、リハビリしてを繰り返して、徐々に歩行がおぼつかなくなってしまいました。それで、介護度の変更診査を経て要介護5と認定されたのです。車椅子移動でスタッフの方にはお世話をかけることになりましたが、転倒の心配もなく毎日生活できています。 入れ歯の調整もしていただき、綺麗できちんとマッチしたものになったおかげで、食欲も元に戻って来ました。よく

          【要介護度2→5へ】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/08/31

          【 胃透視の苦しみ 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記 2024/07/02

          しばらく、母のことより自分のことにかまけてしまっていました。 市の健康診断を申し込んでいたのですが、先日ようやく受けることができました。 私も数年前まで看護師として検診バスに乗っていましたが、検診の周辺も随分とコンピュータ管理下されていてびっくりしました。 まずは、受付。検診バスの頃はまだ半分は手書きが横行していたのですが、最近は全てパソコンで管理されていて、記入漏れや訂正などもパソコンにささっと入力。待ち時間もほとんどありませんでした。 身長・体重測定も測定計に足を乗

          【 胃透視の苦しみ 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記 2024/07/02

          【 姫だるま 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/06/16

          母が退院してもう一週間になります。グループホームの自室に戻ってからどの様に過ごしているのでしょうか? 昨日グループホームの施設長さんからのお電話は、今まで使っていて持ち込んでいたS サイズの紙パンツが小さすぎて介助しにくいので、Mサイズの紙パンツを購入していいかどうかの問い合わせでした。もちろんそうしてくださいとお願いしました。 母のその他の状態について尋ねると、 「全身至る所が痒いのか、指で摘んだり、掻きむしったりする状態が続いてます。」 との事。 傷を掻き破ったり

          【 姫だるま 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/06/16

          【 退院 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/06/07

          手術後およそ2週間の入院予定が、今回はもう「退院になります」とのご連絡がありました。5/25に緊急入院して、5/29に手術、そして6/9が退院予定ですので、入院してからはちょうど2週間ではあります。前回の恥骨骨折の時のように、リハビリ病院への転院が無ければ、こんなにもあっという間に退院できるのかと少し驚いています。 今回は家族の希望を聴取した上で、病院とグループホームの施設長さんとのやり取りで、退院の方向に向かったようです。なんか、とってもありがたいです。以前のグループホー

          【 退院 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/06/07

          【 死への先駆的覚悟性 】

          6万年前から水の侵食によって削られ続けている芸術的とも言える「石柱」この「石」は、果たして6万年後、この様な姿になり多くの観光客達の目に晒される事になると想像していただろうか?少しずつ少しずつ今ある姿を変化させながら「石」は、そこに「ある」。 死は「絶望」ではなく「希望」である、と言った20世紀の哲学者マルティン・ハイデガー。彼は「人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない」との名言を残している。いつか必ず訪れる「死」につ

          【 死への先駆的覚悟性 】

          【 手術終了 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記 2024/05/29

          13:00〜15:00 無事に手術終了して部屋に戻りました。89歳の母、全身麻酔で約2時間の手術を乗り越えてセメントの股関節を手に入れました。なんか、いかにも人工物が入ってますよの写真をいただきました。90年近く使ってきた骨は、骨粗鬆症でボロボロの状態だったらしいです。これじゃあ、ちょっとぶつけて転けただけでもポロッと折れてしまうのも仕方ないのでしょうね。しかし、セメントステムという人工物が人間を直立に立たせ、歩けないと言われている人間を歩くことができるまでに補助をしてくれる

          【 手術終了 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記 2024/05/29

          【 手術説明同意書 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/05/26

          昨日緊急入院となった病院に面会に行きました。前回と同じく、面会時間は14:00〜16:00 1日1回 2人まで 10分間のみ。手指消毒、マスクも必須です。世間一般のマスク率がだいぶ少なくはなってきましたが、病院という特殊な環境下では先生や看護師さんの素顔を見ることはなかなか叶いません。マスク込みの顔認証にも違和感なく対応できてしまう社会がちょっと怖く感じます。 さて、昨日のnoteを何回か書き直しました。母の骨折場所が右か左かわからなくなってしまったからです。グループホーム

          【 手術説明同意書 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/05/26

          【 再骨折 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記 2024/05/25

          朝4時起床、お弁当の準備や細々とした家のことを済ませて家を出発したのが5時30分。息子と交代で車を運転して、やっと登山口の駐車場に辿り着いたのが8時30分。ほとんど満車の駐車場に空きを見つけるべくウロウロしていた時、スマホの着信音が鳴り響きました。 「お母様が救急車で救急搬送されています。」 と、母が入所しているグループホームの施設長さんからの電話を受けたと同時に、息子が空いていたスペースに車を滑り込ませました。 お天気は少しモヤがかかってはいますが、雲ひとつない絶好の

          【 再骨折 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記 2024/05/25

          【 無口(むく)論考 】

          「無口」ではないかと疑われたことがある。 初めての子を授かった時、妊娠中毒症で陣痛促進剤の助けを借り予定日の翌日、娘を出産した。 4月なのに雪が積もったとても寒い日だった。2336gのとても小さな子で、2~3日保育器に入っていた。 ほとんど泣かない子だった。 泣いても蚊の鳴くような小さな声で、周りがザワザワしていたら誰にも気がつかれないような、そんな赤ちゃんだった。 よく眠った。 白くてまん丸の頭で、目を開けた姿は観音様の様だった。 義母から、 「この子は無口で

          【 無口(むく)論考 】

          【 母の日 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/05/12

          姉がお花を贈ってくれていました。 今日は一日雨模様ですが、グループホームで暮らす母にとっては、外の天気はあまり気にならないようです。 いつもは面会予約の時間が他の入居者さんのご家族と被ることはないのですが、さすが『母の日』、13:00予定の面会者が今日は3組もいました。推しのコンサートに参加する時のように、自分の名前を書いたうちわを持つ母娘連れと鉢合わせました。認知症の方と会うご家族、それぞれ工夫されているんだなぁと感心してしまいました。 今日の母は、だいぶスッキリした

          【 母の日 】アルツハイマー認知症母の介護奮闘記2024/05/12

          【 死と隣り合わせの人生 】

          屋久島のヤクスギランド中程にあるスギの名木 「仏陀杉(別名 釈迦杉)」 幹のうねり具合が自然の造形美を見せてくれ、無数に付いた瘤が仏様を連想させる。 幹周 8m 、樹高21.5m、樹齢1800年。 「縄文杉」に比べると幹周も半分程だし、樹齢も3分の1くらいであるが、雨の行程で出会った様々な杉達の中でも印象深かったヤクスギだ。 何千年も生き続けてきた「仏陀杉」だが、心なしか樹勢も衰えているように見受けられた。大きな空洞がぽっかりと口を開けており、近づけないように柵が施してあっ

          【 死と隣り合わせの人生 】