私の未来予想図

虚学と実学

以下広辞苑より引用

実学:②実際に役に立つ学問

虚学:実学に対して、実社会で直接には役に立たない学問

この二つの定義を見て、私が生きている間になるかわからないが、実学はこの先、虚学と同程度にサイズダウンすると感じた。そしてやがて多くの難民が虚学に流れ込んでくるだろう。いや、多くの実学が虚学と化すと言った方が正しい。そのようなパラダイムシフトが起こる。それは何も私が哲学科に属しているからではない。答えは単純で月並みだが人工知能による影響だ。

今やChatgptのo1は知能指数を120を記録し、人類の90%より知能指数が高いことになる。そして、o1が東大理系数学を合格最低点を超えた!というニュースや数学者が極めて難しいと認める数学問題のデータセットで25%の正答率を達成したニュースもあった。知能指数が150辺りを超えたらどこかの国で過去の判例を全て学習させた知能に法曹をさせる実験をしてもらいたいものだ。

おそらく実学という実学はそれが実学であるが故に人工的な知能の波に飲まれてゆく。人類は人工知能を使ってQOLを上げるという人がいるが、私はそこまで楽観的になれない。我々は、使う人間の知能に見合った人工知能しか使えず結果的にそれぞれの”人間の知性”に”人工知能の知性”という定数をかけ、人間間の総合的な知能格差を広げることになる思っているからである。しかし、革命は起こらない。なぜなら彼らは、生きていけるから。それも十分に。富の差は激しいものの、毎月変動する基礎的所得がある。それに一喜一憂し、趣味を嗜む。ハイデガーの存在と時間が存在なき存在論と揶揄されたように、やがて社会も人間なき社会と揶揄され始める。しかし、だからと言って我々に立ち入る隙はない。我々が感じられる社会はどんどん縮小していってるのだ。労働という言葉が消えて久しい。個人がスマホを持った時代も懐かしく、今は一人ひとりに合わせてチューニングされた個人人工知能を持つ時代である。現在の選挙権は個人に与えられるのだが、個人人工知能との対話によって投票先を決めている。しかし、我々は基礎的所得によって経済的には満足しているので、実際のところ人工知能が決めているようなものだ。だが、経済的には満たされているが、何かが満たされていない。生が希薄化しような気がする。思うに、我々は失敗しなくなってしまったのではないか。何をするにも人工知能がついてくる。それだ。時代はアンチ人工知能だ。この潮流に乗った者は中途半端に頭が良い者が多かった。そのせいか、中には学問を志す者もいた。そこで自分の学びたいものを学ぶが、それを学んだところで実社会に役に立つわけではない。なぜなら、役に立つのレベルが上がりすぎてしまったから。詰まるところ、我々に残されたのは虚学しかなかった。そう虚学しか。。。ここで逆転が起きていることに気づく。我々が今虚学と呼んでいるものはすでに実学なのではないか。なぜなら、一番我々の生に近い部分でこの小さい社会の役に立っているではないか。これこそ実学ではないのか。虚学とは実学のことだったのだ。

途中までは、普通に文章を書いているつもりだったのだが、途中から楽しくなってSFのような書き方になってしまった。文頭で出した予想よりも先まで予想してしまったが、このようにして実学は一部の特権階級のものになり、虚学が台頭していく。そして虚学の実学化が起こるのだ。本当はこのままSFを書き進めて、哲学第一主義や哲人政治の復権など色々書きたいことがあるが、今日の分のドイツ語やっていないので諦めるとする。てか、このテーマでSF書こうかな。

という虚学を今日も今日とて並べるのであった。

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