私は「わたしの言葉」に救われ続ける。
水曜日に休日があるなんて、今では考えれられないことだ。
4月29日 僕は未だに会社には行っていないが、サラリーマンをしている。
「サラリーマンをしている。」
そう自分に言い聞かせなきゃいけないくらい、まだまだ宙ぶらりんなままだ。
3時間おきくらいに、街のチャイムがなる。
「新型コロナ感染防止のため、不要不急な外出はやめましょう。」
もしや常套句になってしまった言葉たちに、力はあるのだろうか。
そんなことを思い浮かべながら、コーヒーをすする。
果たしてコレを、休日と呼んでいいのだろうか。
かれこれ一ヶ月、宙ぶらりんだ。
私は「わたしの言葉」に救われ続ける。
そういえば、久しぶりに自分の唄を聞いた。
バンドメンバーの一人が、曲をApple Musicから聴けるようにしてくれたみたいだ。
18歳のときに作った曲が、やけに胸にしみてくる。
何も知らない。今目の前にある世界がただただ平和で、音楽をすることがただただ幸せだった毎日。
今ももちろん音楽は続けているが、あの頃のまっすぐな想いは間違いなく再現できないものになっている。
その記憶や感情が5分弱の音楽の中に溶け込んでいる。
そこにはいずれも、新しい自分と今までの自分の葛藤が見える。ずっと何かしらにくすぶり続けている。どこか殻を破れない自分がいる。
このままでいいのかよ、俺。
そうやって自分に問いただす音楽。そんな曲ばかり歌ってきたな。
殻を破り続けなきゃ、たどり着けない景色がある。
僕は僕の唄から、声からそんなメッセージを受けとる。
どこかしらの情報によると、脳は前日の思考の95%を今日にもちこむらしい。
新しい自分に生まれ変わるのなんて、そんなに簡単なことじゃない。
でも葛藤があるたびに、僕は僕の言葉に救われる。
誰でもない、僕の言葉。
今ここに書かれてある言葉も、きっと未来の僕への贈り物だ。
このnoteも、書き続けよう。
誰も僕の人生に興味がないことも、十分承知だ。
それでも未来の僕への言葉として、
今日もちゃんと残しておくこととしよう。
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