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【ルノワール】印象派に傾倒したのはなぜ? 経済状況と社会風潮が大きく影響

前回の記事では、ルノワールが描いた「ラ・グルヌイエール」から彼が何を描きたかったのか、を紐解き、印象派に至るまでの経緯を見ていきました。

今回は、ルノワールが印象派に傾倒していった背景について、当時の経済状況や社会の風潮を踏まえながら探っていきましょう。

こちらの記事は、Podcast番組「アート秘話〜名画に隠された世界〜」で放送した内容をもとに作成しています。こちらの放送もぜひよろしくお願いします!

伝統と革新の狭間で

1869年、ルノワールは友人のクロード・モネと共に、パリ近郊の行楽地「ラ・グルヌイエール」を描きました。この作品は、ルノワールが印象派的な手法を試み始めた重要な転換点となりました。

しかし、ルノワールの芸術的変遷は、単純に伝統から革新へと一直線に進んだわけではありませんでした。

ルノワールは、当時の芸術界の主流であった「サロン」にも作品を出品していました。サロンとは、フランス政府が主催する公式の美術展示会で、画家としての成功を左右する重要な場でした。ルノワールもモネも、実際にサロンでの入選経験がありました。

しかし、サロンには厳格な規則があり、題材や表現方法に制約がありました。

  1. 題材の制限:サロンでは歴史画や宗教画、神話をテーマにした作品が高く評価される。

  2. 技法の重視:細密な描写と時間をかけた丁寧な仕上げが求められる。

  3. 色彩の抑制:全体的に暗めの色調が好まれ、明るい色彩は避けられる傾向。

これらの制約があったが為に、正解がわかる場所で戦うのが得意な人たちは伝統的なサロンで活躍できたものの、ルノワールような自由を求める画家たちには相容れないものだったのです。

社会経済の変化と新しい芸術の誕生

1860年代後半から70年代初頭にかけて、フランスの経済は好調でした。この経済的繁栄は、新しい芸術表現に興味を持つ富裕層を生み出し、ルノワールのような新進気鋭の画家たちにとってチャンスとなりました。

同時に、写真技術の発展により、絵画の役割に対する人々の考え方も変化し始めていました。「現実を正確に描写する」という従来の絵画の役割が、写真にとって代わられつつあったのです。この変化は、画家たちに新たな表現方法の模索を促しました。

ルノワールは、こうした社会の変化を敏感に感じ取っていたようです。彼は、サロンの規範に縛られない自由な表現を追求し始めました。

特に、以下の点で従来の絵画とは一線を画していました:

  1. 日常的な題材:貴族や神々ではなく、一般の人々の生活風景を描きました。

  2. 明るい色彩:影を黒ではなく紺色で表現するなど、画面全体を明るく仕上げました。

  3. 素早い筆致:時間をかけた細密描写ではなく、印象を素早く捉える手法を用いました。

経済的苦境が生んだ印象派展

しかし、1870年に始まったプロイセンとフランスの戦争は、この状況を一変させました。経済が悪化し、新しい芸術に投資する余裕のある人々が減少したのです。ルノワールを含む若手画家たちは、経済的な苦境に立たされました。

この危機的状況が、印象派展という新しい芸術運動の誕生につながりました。従来の展示システムに頼れなくなった画家たちは、自ら展覧会を開催することを決意したのです。1874年、モネの「印象、日の出」をはじめとする作品群が展示された最初の印象派展が開かれました。

ルノワールにとって、印象派への参加は芸術的な挑戦であると同時に、経済的な生き残りをかけた決断でもありました。しかし、初期の印象派展は大きな批判を浴び、経済的にも成功とは言えませんでした。

ルノワールの揺れ動く心

印象派の展覧会が続く中、ルノワールの心は揺れ動いていました。彼は印象派の自由な表現に魅力を感じつつも、完全にサロンの世界を捨て切ることはできませんでした。実際、印象派展に参加しながらも、サロンにも作品を出品し続けていたのです。

それは、彼が経済的に苦しい状況であり、何としても稼ぐ必要があったことも、サロンを捨てきれない要因の一つだったと思います。

この時期のルノワールの作品を見ると、印象派的な要素と伝統的な要素が混在しているのが分かります。例えば、1876年の「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」は印象派的な明るい色彩と素早い筆致で描かれていますが、1878年の「シャルパンティエ夫人と子供たち」では、より伝統的な構図と丁寧な描写が見られます。

まとめ:

ルノワールの印象派への道のりは、芸術家が直面する理想と現実のバランスの難しさを見てとれます。

  1. 芸術的理想と経済的現実の葛藤
    ルノワールは、自身の芸術的ビジョンを追求しつつ、生活を維持するという難しい課題に直面。この葛藤は、私たちが仕事や趣味で感じるジレンマと似ています。

  2. 変化する社会への適応
    経済状況の変化に応じて、ルノワールは自身の芸術アプローチを柔軟に調整しました。これは、社会の変化に対応しながら自己表現を続けることの重要性を示しています。

  3. 革新と伝統のバランス
    ルノワールは印象派の新しい技法を採用しつつも、完全に伝統的な世界を捨てきれませんでした。新しい表現方法を探求しながら、既存の評価システムとの関係を維持することの難しさと重要性が伺えます。

ルノワールの人生と作品は、芸術が純粋な美の追求だけでなく、現実と理想の狭間で生まれる人間の営みであることを私たちに教えてくれます。

この視点は、芸術鑑賞の深さを増すだけでなく、私たち自身の日常生活や仕事における選択にも示唆を与えてくれるかもしれません。

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