モネ「日傘をさす女」「死の床のカミーユ」に隠されたエピソード
今回は、モネの作品である「日傘をさす女」と「死の床のカミーユ」を通じて、モネの波瀾万丈な人生に迫っていきたいと思います。
こちらの記事は、Podcast「アート秘話〜名画に隠された世界〜」にて対談形式で語った内容をもとに書いています。こちらの放送もどうぞよろしくお願いします!
モネの作品から垣間見る人間臭さ
モネの代表作の一つ、「日傘をさす女」。この作品は3部作あるのですが、この作品にはなんとも言えない、人間臭さがあります。
1875年の「日傘をさす女」
1875年に描かれた最初の「日傘をさす女」は、モネの最初の妻「カミーユ」をモデルにしています。
この作品が描かれた当時、モネは経済的に苦しい状況あったので、モデルを雇う金もなく、奥さんをモデルにしていました。妻「カミーユ」はモネの仕事を献身的に手伝っていたのです。
この絵は、モデルを務めた妻「カミーユ」の表情がはっきりと描かれていることが特徴です。
カミーユとの複雑な関係
ここで、モネとカミーユの関係について触れておく必要があります。二人の出会いは、モネが20歳の時でした。
モネは20歳でカミーユと出会い、すぐに子供ができてしまいます。
しかし、モネの家族はこの関係を認めず、仕送りを止めると脅します。
モネは苦し紛れに「別れた」と嘘をつき、一人でパリに戻ります。
そんな中、カミーユは一人で子供を産み、育てていたのです。モネの行動は、現代の目から見れば非難されるべきものかもしれません。ただ、それでもカミーユはモネを支え続けていたのです。
1879年の「死の床のカミーユ」:モネの葛藤
「日傘をさす女」の2部作、3部作目に触れる前に、1879年「死の床のカミーユ」について、モネを深く知る意味で重要な作品となりますので、ここで触れたいと思います。
モネは、妻の死に際して深い後悔の念を抱きながらも、死後硬直で肌の色が変わっていく姿を見て、光が変化していると感じ、自分の画家としての小分が湧き出てしまい、絵を描き始めてしまったのです。しかし、途中でその自分自身の異常さに気付いたのか、この絵は最後まで描き切らずに終わるのです。
この出来事を境に、モネの作品から人物の表情が消えていきます。おそらくですが、モネが人の表情に対するトラウマを抱えてしまったのです。
芸術家としての眼差しと、一人の人間としての感情の葛藤が、彼の作品に大きな変化をもたらしたのです。
2部作目、3部作目の「日傘をさす女」
2部作目、3部作目の「日傘をさす女」は、モネの2番目の妻がモデルとなっています。この絵では、モデルの表情がほとんど描かれていません。これは、カミーユの死後のモネの心境の変化を如実に表しているのでしょう。
アリスとの出会いと新たな家族
モネの2番目の妻となったのは、アリス・オシュデでした。彼女との出会いは、モネの人生に大きな転機をもたらします。
実業家エルネスト・オシュデの妻だったアリスは、モネと不倫関係になります。そして驚くべきことに、やがてアリスは5人の子供を連れてモネのもとに来ることになったのです。
この状況は、想像を絶する困難だったでしょう。経済的に苦しい中で、家族が大幅に増えるのですから。しかし、モネはこの新しい家族と共に生きていくことを選びます。
とはいっても、カミーユのことを考えるとなんとも言えない気持ちになりますね。(モネさん、、、なかなかの人だなと・・・)
まとめ:モネの人生と芸術
モネの「日傘をさす女」と「死の床のカミーユ」を通して、モネの人生と芸術への影響を見てきました。この一連の作品は、単なる絵画以上の意味を持っています。それは、モネの人生そのものを映し出す鏡のような存在なのです。
絵の変遷を思い出してみましょう。
「日傘をさす女」1部作目:鮮明に描かれたカミーユの表情。若き頃の希望とカミーユへの愛情が感じられます。
「死の床のカミーユ」:カミーユの死後に描かれた、曖昧な表情。喪失感と芸術家としての葛藤が垣間見えます。
「日傘をさす女」2、3部作目:新しい妻アリスをモデルにした、表情のない絵。新たな人生の始まりと、過去への思いが混ざり合っているようです。
これらの変化は、モネの人生における喜びや苦悩、そしてアーティスト然とした生き様を表しています。様々な経験の全てが、彼の筆を通して絵画に昇華されたようです。
つまりは、モネの芸術作品は彼の「人生」そのものと言えるでしょう。絵画という形を借りた、一人の人間のストーリーなのです。
だからこそ、モネの作品は時代を超えて私たちの心に響くのかもしれません。
絵を見るとき、美しい風景や人物だけでなく、そこに込められた画家の人生にも目を向けてみると、今まで気づかなかった新しい魅力が見えてくるかもしれません。
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