ルイーズ・ブルジョワ展で感じた違和感
昔フランスのテレビ番組でルイーズ・ブルジョワのインタビュー動画を見たことがあった。彼女の作品特集の番組だったと思う。インタビュアーが彼女に英語で質問するとブルジョワは素知らぬ顔で延々フランス語で答えるので、インタビュアーがフランス語での質問に変更すると途端に英語で答えるのである。なんという意地悪、そして、良く言えばユーモアのある偏屈ババァなのだろう。そんな印象を持っていたルイーズ・ブルジョワの展覧会があると言うので、その偏屈を見に行かねばとワクワクと共に田舎を後にした。
会場に着くと、入り口に巨大蜘蛛の作品の足を持って笑う彼女の写真があった。出たな、偏屈ババァ!と気持ちが上がった。そこには『地獄から帰ってきたところ言っとくけど、素晴らしかったわ』という文が一緒に書かれていた。その瞬間、知り合いが『地獄から、、』の文を読み、ニヤニヤ笑っていたのを突然思い出したのである。その時何かぼやっとした違和感を感じたのだけれど、会場についてその文をもう一度読むとその違和感はより大きくなったのである。これは何だろう。しかしまぁこれから鑑賞するのだからと、とりあえずそのことは置いておいて、早速会場に入った。しかしその違和感こそが私にとってこの展覧会の象徴だったのである。そこからの展覧会は悪い意味で私の予想を裏切り、作品が良いだけに終始イライラしっぱなしなのであった。
さて、私の本職はアーティストなのだが、それだけでは安定した収入がないので美術教室を開いている。そしてそこでは1年に1度展覧会をやるのだが、去年の12月いつもとは違う形態で割と大きめの展覧会をオーガナイズしたばかりだった。その美術教室の展覧会の話は別の機会に話すとして、とにかく言いたいのは1人で300点ほどある作品をどう配置するか、キャプションはどうするかなどをいろいろ考えたばかりだったので、ブルジョワの展覧会を鑑賞中にキュレーターの仕事も何となくチェックすることになった。まず初めにキャプションが横書きで左から右に書かれているのに左方向へ人々を誘導しようとしていることについて。左から右へ読むと人は右へ行きたくなるので右回りだと気持ちがいい。または左へ行かせたいなら日本語の強みで縦に書けば問題ないのだが、その辺が何も考えられてない気がし、少しイラついた。私はオーガナイズした展覧会でどう人を誘導するかを時間を費やして考えたので気になっているだけなのかもしれないが、こちらは田舎のアーティスト、都会の有名美術館ではどんな仕事をしているのかを勉強したい気持ちもあったのだから、イラつくのも仕方ない。そしてここからが本題なのだがブルジョワの作品についてのキャプションに人々の気持ちの誘導を感じたのである。初めのうちはあまり感じなかったが、何度も何度も同じことを読ませる長々とした文章に、疲れと共に気持ちが冷めていった。鑑賞者をバカにしているのか、ブルジョワがどんなことで気持ちを痛めていたのかを具体的に何度も書く。しかし何か書いてあれば気になるのでこちらは何が書いてあるのだろうと読むが、また同じことが書いてある。1度読めば十分である。それに作品について人が何を思うかは人の勝手だが、こう見て下さいね、と言うのが見え、そうなると展示の仕方から何から全てが仕組まれた展示のようでイライラが止まらなかった。実際見に行った友人もSNSで見られる感想も全部同じ。皆胸を抉られて彼女の気持ちに引っ張られ苦しくなるか、副題のニヤリを引きずっている感じだ。これを書いていたらまた段々イライラしてきた。あの偏屈ババァの作品の感想が皆同じ感じってどう言うことだよ?
まず言っておきたいのは彼女の作品は素晴らしかった。彼女の作品をあんなにたくさん一度に日本で観られるなんて嬉しかったし、同じ時期に観た田中一村展の作品とは対照的な表現方法を観ることが出来た。強い感情を作品にすると感情が浄化されることがある。感情が消えなければ何度でも制作する。するとどんどん気持ちの方も落ち着いてくる。そんなことが私には描いていて多々ある。彼女の作品を観た時、確かに彼女の苦しみや悲しみも感じたが、同時に喜びも私は感じた。こうしてやったわ、という清々しい何かがあった。「ヒステリーのアーチ」というオステリー作品には笑った。また逆に「地獄から帰ってきたところ」の作品を見た時、私は笑えなかった。むしろ彼女の心の繊細さを感じ胸がギュッとした。戦争から帰ってきた人のハンカチを捨てられず刺繍をしたのかな、と勝手に思ったからである。その作品が繊細でおしゃれだったのでより胸が締め付けられた。地獄というものを可笑しく言ってみせる彼女を、ニヤリで済ませたくなかった。そう、これこそが初めの違和感なのだ。地獄という単語の重み。話が逸れたが、とにかくそういった勝手な作品の受け取り方ができるのが展覧会の面白いところだ。作品はもっといろんな見方ができる。もちろん彼女の歴史に沿って鑑賞するのも一つの手だが、情報なしで作品だけに向かうのもまた一興だ。そんなわけで、展覧会についてウダウダ言い出す内心ブルジョワが憑依したかのような偏屈ババアが、結果、誕生したのである。