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秋の月、香りの人

自慢の庭で誕生日を祝うからと女友達エマの誕生日会に誘われた。彼女は夫と6歳になる息子と一緒に街の中心地から少し離れた場所にある一軒家に住んでいる。彼女の家に行くのは初めてで、路面電車の最終駅から山道を車で5分ほどだからね、と住所を渡されたものの、街の中心地の徒歩圏内で生活しているわたしには、山道と聞いてピンとこない。

「家自体は特別でもないんだけど、なんたって彼らの庭がすごいんだよ」
自慢のヴェスパで路面電車の最終駅まで迎えに来てくれた男友達アンドレの言葉に、どれほどの庭なのかと想像を膨らませながら渡されたヘルメットを装着する。アンドレが発進させて息つく間もなく、わたしたちを乗せたヴェスパは生い茂った木を切り開いた山道を縫うように走っていく。

目的地の家の前に着きアンドレがエンジンを切る。ヘルメットを脱いで、ふむ、家は彼が言うように平凡な感じだなと確認し、ヴェスパから降りる。アンドレに続いて家の門をくぐり招待客が集まっている野外に目をむける。そしてこれはと息を飲んだ。目の前に広がっていたのは庭というより、背の高い木が鬱蒼と茂った森の中にぽっかりと現れた広場というような空間であった。

パーティは昼間から始まり朝方近くまで続く。主役のエマの夫が昔からDJを副業としているので、その大きな庭の端には立派なDJブースが設置され、仲間たちが代わる代わる音楽をかけている。遅れて到着したわたしは、ハイと手作りのカクテルを渡され、顔見知りの友達たちに挨拶し、初対面の人たちには自己紹介をしながら庭を歩き回った。

何人目かの友達に挨拶をしている最中、ふわりと風にのって誰かの香水と思われる香りがわたしの鼻をついた。それは昔パリに住んでいた頃に、ある老舗のキャンドルの店で嗅いだある香りを思い出させ、秋の始まりの空気にすっきりととてもよく馴染んだ、且つどこか甘い余韻のある色気のあるいい香りだった。誰かしら、と思うわず振り返ってみるも、その香りの主はすでに去ったあとだった。

本格的に日が沈んだ頃、庭の真ん中に置かれたテーブルの上に料理が置かれ、パーティが始まりだす。料理を食べたり音楽に合わせて踊ったり、久しぶりの再開に花を咲かせたりと、みんなが思い思いに楽しい時間を過ごす。主役のエマにきちんとお祝い言いたいと彼女に近づいた時、またあの同じ香水の匂いがふわりと漂った。あ、この香りは彼女の香水なのか。香りを確かめるために少し彼女に近づいてみるけれど、彼女からは別の香りが漂ってきた。どうやら別の人らしい。急いで後ろを振り返ってみるけれど、香水の主はまたもや行ってしまった後。

その夜、酔っ払って饒舌になった男友達の長話に付き合っている途中にふわり、ケーキをみんなで切り分けて頭を寄せている時にふわり、友達たちと音楽のリズムに乗りながら踊っている時にふわり、そのなんとも言えない色気のある香りはわたしの鼻をくすぐり、その度に何度もわたしはその香りの主を探すけれど、結局すっかり日が落ちた頃になっても特定できずにいた。

そのうち酔いも回り、好きな音楽が流れだして、気持ちよくリズムに乗りながらふと木々の間から煌々と輝く月を見上げた。その夜は満月だった。そして頭をあげて空を見上げたわたしは思わずはっとする。
その庭のわたしたちの頭上には、指の形をした独特の団扇のような葉っぱを風にのせて揺らしている、それは大きく立派なイチジクの木がその大きな枝を広げている。
パーティの間何度もふわりと現れてはするりと消え、わたしが何度もその衣の端を捕まえ損じていたその香りの主はそこにいたのだった。庭全体を覆うように季節を祝う緑色の一張羅を風になびかせて、悠々と。


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