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絵の中に、もう一つ富士が隠れているのが、わかるだろうか
【隠れ富士と水の霊性 〜北斎・神奈川沖浪裏をめぐって〜 】 清藤 誠
荒れ狂う大波の奥に、富士山の姿が見える。
実はこの絵の中に、もう一つ富士が隠れているのが、わかるだろうか。
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」北斎改為一筆(すみだ北斎美術館)
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)は、2024年に刷新される新紙幣千円札の裏面のデザインに採用されることが決まっている。葛飾北斎70代で描いた代表作で、当初発売予定だった36作品に10点が追加され全四十六景となった人気名所浮世絵シリーズの一枚である。
富士がどこかに描かれた46枚の名所絵が、大ベストセラーになった背景には、新興宗教「富士講」が民衆の間で流行していたことと関係がある。民衆の中で、富士山に登ること、富士を拝むことは、当時、信じられていた強い民間の山岳信仰であった。現在もその風習は日本人の心の中に残っている。
「冨嶽三十六景 凱風快晴、山下白雨」北斎改為一筆(江戸東京博物館蔵)
ベロ藍と呼ばれる鉱物性の輸入顔料によって、鮮やかな青色が登場するこの絵。波の水面にも、富士の山肌にも同じ深い青が置かれている。まるで、激しく動きまくる海の中に、不動の富士はすっかり飲み込まれてしまうかのようである。
信仰の対象として崇められる富士。いわば神。神としての富士そのものの存在を揺るがす巨大な波。それは神の存在以上の大自然の脅威を描かんとしている。江戸後期、オランダへの輸出品の包み紙として欧州に流れ出た「北斎漫画」や浮世絵版画の絵柄は、19世紀の西洋芸術家たちにとっては新鮮な驚きであっただろう。聖書一神教とは一線を画す自然神、八百万(やおよろず)の神の姿をさらりと描き出した日本の絵師・アルチザンたちの独特の創造性は、モネ、セザンヌ、ゴッホなど印象派と呼ばれたアーティストたちに強烈な影響を与えた。
「沖浪裏」は、そうした自然に対する畏怖が、信仰対象に覆いかぶさるがごとく、現実と理想の入り乱れた瞬間を捉えた見事な図像と言えるだろう。
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「冨嶽三十六景 諸人登山」前北斎為一筆(江戸東京博物館蔵)
【そして隠れ富士】
まるで波の一部かと見紛うように、奥に小さく描写された本物の富士。実はさらに、画面左の渦巻く大きな波に、下から盛り上がるかのように、もう一つの富士が描かれている。
しかもそれは、奥に見える本当の富士よりもサイズが大きい。そこだけ注視すると、まるで別角度から捉えた富士山のように見える。
つまり、信仰の対象であった富士よりも、“波の中に出現した神(富士)のほうがリアルで大きい”ということを言わんとしているようだ。
画家で、浮世絵研究家(コレクター)でもあった中右 瑛氏(2002年)は、
「遠景の富士は均整のとれたもので」北斎は「理想像として」描き、「浪中の富士は現実像として描きわけ」ている。「ほんとうの富士はニセモノで、浪の中の富士がホンモノと」北斎は言いたいのだろうかと、論考している。
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」北斎改為一筆(江戸東京博物館蔵)
さらに一枚の絵の中に、別角度から見た富士山の姿を同時に描くということは、ある意味、二十世紀絵画のキュビズム、多視点描写の先取りと言える。
あるいは多視点を一枚のキャンバスに描き出したセザンヌへの間接的な影響や、やがて出現するパブロ・ピカソへの大いなるヒント、可能性をこの段階でつかんでいたと言えるだろう。
北斎(当時の画号・為一)は、冨嶽三十六景に続いて、ベロ藍の青色の特性を活かし、「水の霊性を造形化した『諸国滝巡り』」(美術史家・安村敏信氏)を発表する。
それ以前から黄表紙挿絵や北斎漫画の中にも、水の流れ、飛び散る波しぶきの姿を一瞬で捉えた図像を描き続けた北斎。70代に至って、大波の中に「水の霊性の造形化」に成功した。まさに八百万の神、自然神の姿を捉えた一枚が、この「神奈川沖浪裏」であろう。
またそこには、当時人気絶頂であった名所絵シリーズで、庶民の盲信的な富士信仰に対する警告さえ読み取れる、北斎のさりげないメッセージが込められている。
「諸国瀧廻り 下野黒髪山きりふりの滝」前北斎為一筆 (すみだ北斎美術館蔵)
多くの人々が信じて実際に見ることができる富士、信仰対象としての神も、荒れ狂う自然の猛威が襲いかかれば小さな自然の一部に過ぎずない。真実は現れては消える水の中に本物の神(リアル富士)が出現する。
それを見よ、というエネルギーに満ち溢れた絵。だからこそ海を越えて伝わる大きな波動を持つニッポンのアートなのだ。
●「冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重」
(江戸東京博物館)6月20日(日)まで
●「しりあがりサンと北斎サン−クスッと笑えるSHOW TIME!−」
(すみだ北斎美術館)7月10日(土)まで
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清藤 誠(キヨフジ☆セイジ/アートドキュメント総合ディレクター)
TVプロデューサー/NHK「日曜美術館」ディレクター。運命学・陰陽師としての視点からアート美術史、日本文化・芸能メディアを紹介しています。
こんな時だから「美術館へ行こう」を開設しました。ぜひご参加、お立ち寄りください。