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愛≒はだか?!「ルーヴル美術館展 愛を描く」にあふれる美しい裸体と愛の関係は?

「愛」の名画、73点が一堂に集結!
しかも、かのルーヴル美術館から厳選されてやってきました。
16世紀から19世紀半ばにかけて、ヨーロッパ各国の主要の画家たちがとらえた「愛」から、私たちはどんなメッセージを受け取れるでしょうか。

「愛」と聞くと、やはり恋愛が真っ先に頭に浮かんでくるのは私だけでしょうか?「ルーヴル美術館展 愛を描く」のテーマカラーもピンクで可愛らしく、だからこそより一層ウキウキしてしまうのですが!
ところが、西洋社会における「愛」は、とてもバリエーション豊かで深い意味を持っています。今回の展覧会では、その「愛」の形をカテゴリーごとに見せてくれているので、クリアなイメージを持つことができました。

例えば、特に日本で生まれ育つと馴染みが薄くなりがちな「キリスト教の愛」や「西洋の古代の神々の愛」から「家族の愛」、そして「恋人たちの愛」にカテゴライズされています。

それにしても、この展覧会には裸が数多く登場します。半分以上の絵に裸体が!「愛を描く」となるとやはり「裸」?中でも気になった絵を何点かご紹介します。

アモルとヴィーナス


まず、一番頻繁に裸で登場するのはアモル(キューピッド)です。愛の展覧会のはじまりを象徴的に飾るのも、縦2.5メートルを超える巨大絵画《アモルの標的》。矢で射られたハートの標的の周囲で裸のアモルたちがたわむれています。

フランソワ・ブーシェ《アモルの標的》 1758年、油彩/カンヴァス、268x167cm 展示風景

西洋の古代神話では「神であれ、人間であれ、愛の感情は、ヴィーナスの息子である愛の神アモル(キューピッド)が放った矢で心臓を射抜かれた時に生まれる」ことになっているからでしょう。

そして何を隠そう、このように愛の感情を創り出すアモルの母こそが、愛と美の女神ヴィーナスです。この展覧会では、ヴィーナスを描いた作品も充実していて、輝く裸体を鑑賞することができます。

ルイ・ジャン=フランソワ・ラグルネ(兄)《ウルカヌスに驚かされるマルスとヴィーナス》展示風景

例えば、《ウルカヌスに驚かされるマルスとヴィーナス》。
若く、美しい男女がベッドで抱擁し合っていますが、実はこれは不倫です。
夫はなんと、後ろの方で、2人を目撃して驚いた顔をしている中年男性ウルカヌス。女性(ヴィーナス)と抱擁しているのは愛人で軍神のマルスです。この2人は、ギリシア・ローマ神話の中でも有名な不倫カップルなのですが、彼らの逢引の様子は様々な名画に登場します。不思議なのは、彼らの逢瀬は多くの場合とても美しく描かれていて、賛美すらされていること。
そしてなぜか、彼らを妨害しようとする夫のウルカヌスの方がうとましい存在として描かれがちなことです。私は、そのたびごとにウルカヌス気の毒だなぁと思っているのですが(笑)。

なぜこのようなことになるのでしょう?
ここからは推察です。ヴィーナスは、せっかく世界一の美貌を誇る愛と美の女神なのに中年で、風貌の冴えないウルカヌスに貞節を誓っていたのでは、めくるめく恋愛物語が生まれないからなのではないでしょうか。更に、裸体を描くことがタブーだった時代に、ヴィーナスは裸を描ける恰好のモデルであったのに、ウルカヌスと一緒だと絵にならない。やはり美しい男性たちとの愛の場面で、彼女の美しい裸体を見たいという多くの人々の願望が、ヴィーナスの不倫を合法化したのかもしれません。
だったら最初からヴィーナスの夫を絶世の美男子だということにしておけばいいのに。。。(笑)神話の方は変えられないので仕方ないですね。

ヴィーナスの様々な逢引の場面を描いた作品は、新婚カップルのお手本としても飾られたようです。そしてこの《ウルカヌスに驚かされるマルスとヴィーナス》は、ルイ15世の寝室に飾られていたとのこと。絵が丸い形をしているので、自分がこの場面を鍵穴から覗いているようにも感じます。「ルイ15世の性欲を刺激するものとして使われた可能性もある」とのこと。(図録:「ルーヴル美術館展 愛を描く」64ページより)
美しい絵ながら複雑な性愛事情を内包している絵なのですね。
何はともあれ、全てを超越して、究極の愛と美を体現し続けるヴィーナス様、さすがでございます!

そして、こちらの絵の中では、透けるような上半身をはだけさせて失神するヴィーナスが描かれています。大好きだった美青年アドニスの死に直面した場面です。年下の人間の若者を本気で愛した女神ヴィーナス。ショックで失神しても、その完璧なプロポーションと表情は匂い立つほどに官能的です。

16世紀後半にヴェネツィアで活躍した画家《アドニスの死》1550-1555年頃・油彩/カンヴァス 展示風景

キリスト教の愛


「キリスト教の愛」のコーナーも、何気に裸体が多いことに気がつきました。生まれたばかりのキリストは裸ですし、磔刑に処せられ、降架する時もほぼ裸です。
また、もともと娼婦ながら悔悛したマグダラのマリアも半裸であったり、殉教する美しい女性達も上半身がはだけていることが多いです。
熱烈で敬虔な信仰心があるからこそ、それを貫き通した時の達成感がエロティシズムに通じる独特な世界感を感じます。
人から神への愛、神から人への愛が交錯する中で、その愛の表現にはやはり裸体が効果的なようです。

恋人たちの愛


不倫関係を目撃されてしまったカップルが、その女性の夫に短剣で殺されてしまい、抱き合ったまま地獄をさまよっている場面を描いた絵は苦しそう。二人の傷ついた青白い裸体が印象的です。

アリ・シェフェール《ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊》 1855年、油彩/カンヴァス、171x239cm 展示風景

またあまりにも美化されていて、裸体がまぶしすぎるボーイズラブの場面も!

クロード=マリー・デュビュッフ《アポロンとキュパリッソス》1821年 油彩/カンヴァス 192×227,5cm  アヴィニョン、カルヴェ美術館 展示風景

アモル(キューピッド)自身も、青年になって恋をしています。
若々しくて滑らかな裸体で、ヴィーナスも嫉妬した美貌の持ち主プシュケにキスしています。

フランソワ・ジェラール《アモルとプシュケ》、または《アモルの最初のキスを受けるプシュケ》をビジュアルにした展覧会ポスター

裸体と愛の関係は?


かくも愛の展覧会は裸体づくし。
果たして、愛と裸体の関係は?
ここで思い出したのは「リトルシンガー/幸せな小人」という絵本のエピソードです。
「ある子供たちの仲良しグループの中に、一人飛び抜けて歌がうまい子がいました。その子は、いつもみんなのために歌を歌っていました。
成長するにしたがってその子は、人々がお金を払ってでも彼の歌を聞こうとすることに気がつきました。そのためプロになるのですが、プロになった彼はもう友達のために無料で歌うことはなくなりました。でもある日突然彼は声が出なくなってしまいます。
歌えなくなった彼に、お金を払って歌を聞きに来ていた人々たちは見向きもしなくなりました。
打ちひしがれた彼を受け入れたのは、あの、子供の頃からの友達でした。
みんなは、歌えても歌えなくても、彼のことが好きだったのです」

さて、なぜ愛の展覧会には裸体が多いのでしょう?
富も、名声も、特技も、何もなくてもありのままの存在を愛する。
それが愛だからなのかもしれません。

参考文献:「ルーヴル美術館展 愛を描く」図録

【展覧会基本情報】
会期 2023年3月1日(水)〜6月12日(月) 
会場 国立新美術館
港区六本木7-22-2
観覧料金 当日一般2,100円(日時指定事前予約制を導入)
休館日 火曜日(3月21日、5月2日は開館)、3月22日
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
https://www.ntv.co.jp/love_louvre/

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