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【開催記録】第73回 アート対話カフェ 2024.10.26 sat.
今回のアート対話カフェでは、前半と後半で2つの絵画を鑑賞しました。
▼前半:観察する
アート対話カフェに参加された方からは「参加者同士で1枚の絵を時間をかけて見ることで、様々な見方や意見が出て驚いた」というご意見をよく頂きます。
前半では、ただ「目で見る」だけではなく、描かれている内容を言語化して相手に伝えることを通して、「表現力」だけでなく、深く考えるために必要な「観察力」にも意識を向けてもらえるようにしました。
![](https://assets.st-note.com/img/1731736983-6ZHYBDPILX3C1jE5GFwOnu8l.jpg?width=1200)
小さな子どもが看護師のように手を握っていると言うところが微笑ましい。
手を繋いでいるのはあたたかさを感じる。
奇想天外な絵でコメントに困っている。難解な絵。
男性がそっけない感じ。若い男性が赤ちゃんに手を差し出しているんだけども見ている方向は違うので、目線を合わせてないっていうような感じ。正直じゃないっていうか、違和感を感じた。
無影灯の光よりむしろ手前の2人に光が当たっている。つまりこの絵の中心はこの2人。左側の男性は赤ちゃんを見てないし、マスクをしていない。手術は完了していて子どもと手をつないでいる、ここにメタファーなんかあるんじゃないかと思っている。手前の2人が顔が似ているようにもみえる。赤ちゃんの頃の自分本人と大人になって手術をするような人、同じ人の別の側面を表しているのでは。
黒い生き物の口元から血がすごく出ている。そのお腹から赤ちゃんみたいな子が出ているので血が出るんだったらへその緒とかなのかなというようにも見えるけどそうするとこちらはほとんど血液が付いてないのは不思議。
ここはまず事務所か倉庫かなんて思った。ワニのあの口元にある四つぐらいの束がコピー用紙の束のような気もしている。手術室にしては遊びとか手術ごっこをしてるのかなって思えてきた。3人の男性の真ん中の人は別にメスを持ってるわけでもなく何も持ってないそして目元あたりがこうちょっとふざけて笑ってる感じの目元に見えた。車はちょっとサイズが小さ過ぎる。カエルのお化けみたいなのもいるしまあ全体からそう考えていくと結局最終的には誰かが夢の中でしかないと思った。
小さいサイズの車の中に挟まれたワニがいて、その挟まれたワニの中に実はそのやっぱりサイズが合わないカエルが中にいて、赤ちゃんを食べちゃって。順に取り出していったんじゃないか。桃太郎みたいな感じですかねはい桃太郎想像したんですけど、左手のひらのところが色がカエルに似ていて、カエルと同化しつつあるのかな。
カエルみたいなのは体勢から見て産む体勢ではないか。病院で帝王切開になったのかな。この赤ちゃんのおへそから水みたいに出てるから多分その日に生まれたのが濃厚なのかもしれないけど、全般的に顔とか髪の毛がしっかりしすぎている。あとこの左の人が差し伸べている赤ちゃんが左手をぎゅっと握って手ちょっと生まれたてにしては目つきもしっかりしすぎているなあっていうような印象。この子は左の人をぎゅっと見つめて、でも左の人は見てなくてっていう何かメッセージ性をこの構図から感じた。
台みたいのがあってそこにハサミとかメスみたいのがあると思う。車をいじる道具ではない。
手術というより作業場的なものの方がような気がしてる。一方で手術の道具や恰好もみえたりして、同時に書かれている。これは、工場とかで働く人の心を表しているのでは。車がなくてまず働く人が車に向かって作業する。車を触っているうちに実は中にワニがいたんだっていうのは、自分のことで、社会で元気に働く常識のある社会人としての自分、食べられてしまった何か。自分の魂だったみたいな忘れてしまったもの。工業の中で自分は元気バリバリ働いていると思っていたんだけどなんか置き去りにしてきたものは実はその中に残っていて、その魂から今の働き方で本当にいいのかなと、現代社会に対する疑問みたいなのを表しているのでは。
車からワニが出てくるっていう想定外。想定外の世の中を表していると思った。あと血が出てるっていうことは「大変な世の中」っていうようなことを表してるのかなっていうふうに皆さんの意見を考えながら思った。同一人物のような人も見えるし、「昔の俺も大変だったんだよな」とか「おまえも大変だよな」みたいな感じで話していそう。白い服を着た人が赤ちゃんの方を見ずに「おまえも大変な世の中に生まれてきたんだなあ」と言っていて、赤ちゃんは「えっ」というような感じなのかな。
皆さんのお話を聞いているうちに、これは生と死をテーマにしているのではないかと思えてきた。明らかにワニとカエルはもう死んでいると思うが、そこに今まさに生まれたての赤ん坊が生きているという絵。左側の男性が自分も同一人物に見えてきて、「お前が生まれてきちゃったか。俺はまたこのこれを生きていかなきゃいけないかな」という、あきらめにも似たような感じ。「お前が生まれてきたから俺もやっぱり生まれちゃったんだよな」とつながりをもって産まれてきて、まるで輪廻しているようにみえてきた。
左上の3人を見ていると、左上の真ん中の人と右の人は笑ってるような感じがする。手術をしているのだけども、ニヤついてる感じ。他人事みたいな感じを男の人はしている気がした。左の女性の人は結構真剣な感じなのかとふうに思った。なぜ女性にみえたかというと、耳とかさらっとしているような感じがしたのと、丸みがあるような気もするのと髪を束ねているのが顔のところからそう思った。
もしかしてこのシチュエーション全体はまあまあ時間が経っているのではと思った。コピー用紙の束から臨時でつくられた手術台のようだとの発言を受け、自分も臨時に無造作に作ったんだなあと感じた。しかしそれにしては血がフレッシュじゃないというか、この手術直後にしては乾いてる雰囲気がある。結構長く手術をやっているのでは。この台が設置された瞬間はこの二匹とも生きてたのではないかな。時間がだいぶ変わっているのではないかなという印象を受けた。
手前の座っている白衣の人が右手がちょっと大き過ぎでしかも爬虫類っぽいのが気になっていた。上の3人っていうのはちょっと強引な解釈すると真ん中の人が実本心で、表面は笑って心では右下のような嬉しくない気持ちなのだけど、同僚に合わせるために笑ってるだけとか、頑張って仕事してる・楽しそうに振る舞っている一方で、心の中ではああ何やってんだろう自分という感じなのでは。
手前の2人の男の子と赤ちゃんは兄弟か何かで、趣味の悪い遊びに付き合わされてもう帰ろうよって赤ちゃんの方が言っていそう。
誰かが人生の一章みたいなっていう話しされていて、なるほどなって思ったのだけど、自分は工業的なものによってこう自然の生き物とかが食い潰されていって、また人間が生まれるみたいな、ただ流れを表現してるみたいなのも考えられるのかなって思った。その流れみたいなのを繰り返して行くことが本当にいいことなのかみたいなのをこの手を握ってられているええと青年が表しているようなイメージ。工業化人間社会の中で自然が壊されたり生き物たちが住みづらい環境になってるって現実はあると思うので、それを表現されてるのかなと思いました。
ワニと車、ワニととかげ、とかげと赤ん坊と、遺伝子組み換えやクローン等、生命のタブーに踏み込んでいる人間への警鐘にも感じた。この作品で一番光があたっている赤ん坊はこの世で一番ピュアで尊いもの。その赤ん坊がじっと青年を見つめて「本当にこれでいいのか」と聞いているようにみえる。手を握られた男性は、手の様子から自分自身も機械化しており、後ろめたくて目を合わせられないか、あるいは心もなくしているのか。
皆さんの話を聞いたらこの赤ちゃんがお釈迦様のように黄色の仏像に光輝く仏像に見えてくる。
▼後半 :探求する
後半では、描かれた内容を観察するだけではなく、VTSの「What’s going on in this picture?(この絵の中では何が起きている?)」と「What do you see that makes you say that?(そう言われる理由(根拠)は何だと思いますか?)」の問いに対して、ご自身の意見を発言して頂きました。
![](https://assets.st-note.com/img/1731737983-Vcbxh0qKRse7rYFtZynd5931.jpg?width=1200)
かなり古い時代なのかなとパッと見て感じた。古代ローマあたりの描写なのかな。多分集会をホールで行っていて、いろいろあったのだろう、左の王座みたいなのが転げ落ちて傾いている。おそらくここに座ってたであろう、この手前の亡くなっている方、この集会に参加していたこの真ん中の男たちがやっつけたというか、襲撃して、この人の没落っていうようなシチュエーションなのかなと思った。
自分も同じことを考えた。右の椅子に布みたいなのがあって、実はそれがくびなのかなとか思ったんだけど、首をとったのならそこに置いていくのは変だなと思うので、それが何か気になっている。それで右端の人はクーデターでやられちゃった人の側近とかだったのかなと考えている。真ん中の剣を振りかざしている群衆の中と、全く別の行動をとった、つまりそれに参加しなかったのだろうと思ったので。
剣を持った人たちのところにすごく焦点があたっていて、左の足が黒くなるくらいスポットライトが当たっているみたいな感じ。剣を持った人たちを褒め称えているように思った。
書物みたいなのがちょっとずつ散らばっていて、何か儀式をしていたのかもしれない。左の倒れている人は王様か立場がある人か。突然の出来事だったのだろう。クーデターというか、庇った人やガードマンがいなさそうというか、一対百のよう。
左の方に女性の像みたいなのがある。ギリシャの関係と思った。時代はローマの時代のことを表しているのかな。銅像の下に文字が書いてあるが、読めない。この前にある置き物みたいなものの影がおかしい。この影はここを読みなさいという風に言っているような気がする。なぜ影がおかしいかというと、後ろに剣を持って上に突き出している人がいる影を見るとやや後方にある。この影がこの着物の後方に無いといけないのではないかというように思う。この銅像にあるこの黒い影が何の影なのかわからない。
左下の遺体のすぐそばにいる軍団の人たちとは別に、柱のところに急い駆け上がっていくような集団がいて、走っているような雰囲気と、あとその奥にいる人たちが何か急いでいるような感じを受けたと同時に、右に一人座っている方。これが何だろうとふうに感じた。どこまでが味方でどういうチーム編成なのかなっていうのが疑問に感じた。白いソックスをつけているのが同じ仲間なのかなと思った。
真ん中の人たちが服装からして議員だと思う。将軍とかだったら甲冑をつけているだろうから。軍隊でクーデターを起こしたんだったら、甲冑みたいなものを着ているはずなので、議員が会議の場で騙したみたいなことになったと。さらにその左の将軍と皇帝って甲冑や軍服で出席する気もするけれど、会議だから正装で出席する気もするし、その人って結局議員なのかな、それとも皇帝なのかな。
自分も皆さんと同意で、逃げている人たちはもともとこの襲撃された派閥の人たちで、この剣を振りかざしてる人たちは襲撃しているまた別の派閥みたいなような関係性なのかなって思った。この後ろ姿の真ん中の男性がまあ次のトップの人みたいなポジションで、遺体の人は本当にもうある程度多分計画を立てられてもうこの日にやってやるぞっていうような、多分かなり計画練られた上で、血もほとんど流れてなくて多分心臓に一撃したみたいな想像ができた。
この作品を見た時に国会議事堂の中の国会議員の姿を思い浮かべた。議長になんか政治国会議員たちがわーって重なってるような。それでやっぱりこの作品も古い時代、服装からローマ時代な感じがしている。政治の場であって、倒れている人は独裁者か何かで、自分たちの国を良くしようっていうのでクーデターを起こしたんじゃないか思った。そして女性の銅像っていうのが、自由の女神にも見える。平等じゃないけど何かその自由さっていうのをここで象徴しているような。
この集団以外の人たちを想像してみてみた。殺されているのか。寝ているとしたら起きたら大惨事が起きてる。それはびっくりするだろう。このおじいさんはあまりにも一瞬だったから自分は何もできなかったみたいな感じで椅子を倒しているようなので、ちょっとやったぞ感は残していこうとしてるようにみえる。こうそうするとチーム編成的には実はこのおじいさん軍団側の人間なんじゃないか。
これから皆さんが自由になって行く感じで、頑張ってるんだなあという感じを受ける。後ろを向いている方が「みんな頑張ろうぜ」みたいな感じなのかなと思っている。
センターでこっち向いてる人など、剣ではなく杖のようなものを持っている人は戦いより頭脳犯という感じがする。
真ん中に書物が置いてあって、おそらくこの亡くなってる方が前に座ってらっしゃって何か意見を言う光景があったんじゃないかな。ここに座ってなくなってる人に対して何か抗議するとか会見するとかそういう瞬間的なっていうのがこの前にあったのかなと思った。
最後に
皆さんは、この2枚の絵をどのように見て、何を考えたでしょうか。
アート作品には見る人によって様々な解釈が存在しますが、「事実」と「意見」を切り分けながら、参加者同士で議論を行うことで「深く考える力」と「伝える力」を磨き、互いに意思疎通を図る訓練ができます。
アート対話カフェでは、アートに関する知識や情報は不要です。
皆さんもアート対話カフェで、「観察する力」と「考える力」を育ててはみませんか。
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