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ナイキとバッドフェイス

人は大きな挑戦をする前に必ず準備をします。

就活をする人なら自己分析をして、いくつも説明会に行き、企業についてデータを調べて、エントリーシートを書いたり面接の練習をしたりする。
スポーツ選手なら道具を揃えて、莫大な時間をかけて練習や研究をする。
起業するなら資金を用意して、市場調査をしたり組織を作ったりして戦略を練る。

だけどナイキの創設者の一人、フィル・ナイトは違いました。
彼は24歳の時、スーツケースとリュックに必要最低限の荷物と”馬鹿げたアイディア”だけを詰め込んで、生まれ育った故郷オレゴンを旅立ちます。



フィル・ナイト(Phil Knight)(以下 フィル)は1938年アメリカのオレゴン州に生まれ、大学在学中の企業セミナーで日本のランニングシューズが持つビジネス的可能性についてのレポートを書きます。
それはもう、周りの友人たちはレポートのプレゼンを聞くなりその熱量に圧倒されてぽかんとしてしまう有様で、教授がA評価をつけてくれた以外、誰もその”馬鹿げたアイディア”を認めてくれる人はいませんでした。
しかしフィルは可能性を信じ続け、とうとう父親を説得し、1962年ハワイへ飛ぶこととなります。
これが世界的企業「ナイキ」の始まりでした。

あの世界の誰もが知るブランドを作った歴史の一番始まりを知りたくて、僕は『SHOE DOG』という本を読みました。
何を隠そう、僕が使っていたバッシュはナイキだったというのもあって、この一冊を手に取った時とてもワクワクしていました。
どんなにすごい人なんだろう。
どんな姿が詰まっているのだろう、と。


しかし読んでみたら予想をはるか斜め上に越えて行きました。
フィルは僕の予想していたビジネスの達人でも聖人君主でもなかったんです。


彼は負けず嫌いで人の意見を聞かず、仲間のアイディアをことごとく却下し、その選択が功を奏するならいいけど何度もそれが会社の危機の原因を作ったり。
ピンチに陥った仲間を救わず放っておくことを「自由放任主義の経営スタイル」と言い放ったり。
地元のオレゴン州立大学の講師を務めた時、のちの妻となる当時学生だったペニーと出会い結婚したことで、もう学校に望んでいた以上のものを得たと講師を辞めてしまったエピソードには「おい、フィル」と笑ってしまいました。

彼は自分でも自覚するほどに内向的な性格です。
その性格が祟って学生の頃野球チームに入れてもらえなかったというエピソードがあるくらい。
何度もそれは自身の内外関わらず、立ちはだかる壁となってフィルを襲います。
若輩者の僕が言えることではありませんが、多分フィルは経営者としての素質十分な人間ではありませんし、性格一つとっても欠陥だらけです。



でも彼には常に仲間たちがいた。
彼のそんな性格を知った上でともに添い歩いた家族がいた。
みんなフィルのネガティブな面を知った上で、彼の全てを愛していた。
そして何より、フィル自身もその全てを愛していたんだと思います。

物語を読んでいて「仲間思いだな」と思えるような行動はほとんどありません。
むしろ行動だけ聞けば仲間を蔑ろにしているように思えるし、仕事を優先した彼は十分に家族を愛せていないようにも見えます。
でも彼は文章の中で何度も仲間や家族への感謝を述べ、それをただ言葉と行動にして伝えるだけでいいのにとも思ってしまいますが、そんなシャイな性格をみんな分かっていたんだと思います。



全ての人に愛されなくていい。
ただ仲間たちに愛してもらえたらいい。
完璧な人間にならなくても、それは仲間たちが補ってくれる。

自分を貫き、愛し愛され、そうして生きてきた彼の半生を描いたこのビジネス書最後の一文を載せてコラムの締めくくりにします。


「ペニー(妻)、君がいたからこそ、この本は完成できたんだ」
(フィル・ナイト『SHOE DOG 靴にすべてを。』、東洋経済新報社、2017)より

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