いのちの長さ、について
かんそー
『Sous un ciel nouveau(新しい空の下で)』藤井組、2018年4月
同書籍にある話のひとつ、「最後の授業」。
今回はその感想です。
話の始まりは、何の変哲もない野球選手の引退試合です。
丁寧な筆致に惹かれはすれど、
「この後どうなるのかな」ととりとめもなく考えていました。
ただそれだけ。だったはずでした。
引退試合に立つ、幼馴染の選手2人の小学生時代の回想に入っていきます。
ここでやっと、タイトルに使われていた「授業」が
頭を掠めました。
痩せ気味の先生。
選手2人でなくとも、馬鹿にされてしまいそうな、そんな雰囲気をまとっていました。
先生に彼らは丁寧な言葉遣いでも、
「先生の授業は睡眠薬」
「先生の授業より練習していた方が将来のためになる」
容赦なく伝えます。
ここでとぷ、と何かに浸かった手応えはあっても。
でも、まだ。まだだったんです。
先生は怒るでもなく、選手2人とその練習に付き合っている少年に
「教室で待っています」
それだけを告げて去りました。
嵐の前の静けさ。
読み終わった今ではそれを強く思います。
ここからは、嵐の前の静けさをぜひ体感してもらいたいので、
この後の話については口をつぐみます。
秘すれば花なり、皆まで言うな。
教室に戻った彼らを待っていた授業は、いつもと変わらなくてつまらない歴史のはずでした。
ただ、彼ら、教室にいる誰も彼もが、この時の先生の授業は受けざるを得なかった。
ひとつ言えることは、その授業が終わった時、笑顔はありません。
でも絶望に打ちひしがれたものでもありません。
当たり前のことだけども、こんな明確に、
そしていつもなら必ず眠ってしまう授業で、彼らは思い知ります。
そして、読んでいる内に飲み込まれた自分達も。
有限。
思い知ってから、
改めて思う もしくは
思い出した
その時に口から出る言葉はなんでしょうか。
その時に乗る感情はなんでしょうか。
言葉にしろ、感情にしろ、
いのちの長さは同じではなくとも、これほどに共通する言葉もない。
改めてリンクを置くとして。
ご興味ある方はぜひに。
アートサイダ