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人は如何にして体制翼賛へとなるか:アメリカやネオコンのナラティブを内面化することの、悲喜劇 - 加藤直樹「ウクライナ侵略を考える」を読み解きながら(5)

割引あり

 ちょっと間があいてしまいました。

 この間に、ウクライナが戦争を終わらせる方向に微妙に舵を切りはじめました。

※2024-12-03: 12月20日か12月いっぱいくらいまで、本シリーズの(1)〜(5)を全文無料で読めるように致します。
どうかみなさま、この機会に切り要られた文章などへの「サポート」「投げ銭購入」でのご支援をよろしくお願い申し上げます!!


まえがき:停戦/終戦に向かう世界と、あらわになってきた「隠された現実」。


 数日前にも、ハンガリーのオルバン首相が、キエフとモスクワを訪問して停戦に向けての箸渡しに動き始めたり、ロシアのプーチン大統領が「戦争終結の具体的条件」をウクライナや米英・NATOに対して改めて示して、その内容が比較的「現実的な」中身だったりする訳です。

 昨日(2024年7月7日)にウクライナで前線の兵士の支援を行ってるボグダン氏が出していた動画で、ウクライナ国内の悲惨で生々しい状況と「空気」がレポートされ、ゼレンスキー大統領も「最早終戦か停戦か」という方向で言い出し、2026年度以降の軍事費を激減させる予算を政府が出したなど、色々と興味深いことを報告していました。

 ウクライナ側の義勇兵になろうとウクライナに行った日本人の、ベビーレモン氏が、日本で言われてるウクライナとは全く違う、腐りきってて荒れ果ててるウクライナ社会やウクライナ軍の状況に驚き・迷い、結局、義勇兵をリクルートする部隊の人達や義勇兵の「先輩たち」に真剣に相談した上で、義勇兵になるのをやめて帰国してくる。ということもありました。

 彼がX(旧ツイッター)に生々しくのこしたウクライナの現地の身も蓋もない状況や、それらをないものとして美化しまくってた日本のメディアや政治・言論への怒りは非常に貴重な「証拠」であるし、私も彼の言葉の多くに共感してます。実は

 さて、そこら辺を踏まえた上で、加藤直樹くんの『ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて」(あけび書房、税込み2,200円)を批判的に読み解いていくシリーズを続けていきます。

前回は、こちらから:

※マガジン(購読自体は無料)としてまとめておりますので、是非ご購読の上、お気に入られた文章のご購入や「サポート」でのご支援をよろしくお願い申し上げます。

第5章『「ロシア擁護論」批判④ -- それはどこから来たのか』批判。

 今回は、第5章『「ロシア擁護論」批判④ -- それはどこから来たのか』(p.137) を取り扱います。

 ここでは、日本の旧ソ連諸国に対する知見が、ロシアに偏っていてウクライナが存在してない。そして、私がここまで散々言ってきたような、旧ソ連祖国や東欧が冷戦以降アメリカやイギリス・ネオコンとロシアの間の綱引きにさらされて引っ掻き回され続けてきた。ということを、どうやって否定するか・「ロシアのナラティブ」、要はロシアの”物語”に日本で長年この問題を研究したり関心を持ってきたりした人々が染まってるか。ということを、色々批判してるんですよね。

 もう少し砕けた言い方に変えるなら、ウクライナとロシアの戦争に対して、戦争が起きた原因にはウクライナにも問題があった。とか、この戦争を早く停めないといけないから、ロシアのいうことにも耳を傾けようとか、そういう人達は、ロシアがでっち上げたナラティブ・物語に騙されてるだけだ。ということを主張してる。

まず『「ロシアのストーリー」を信じる哀れな人びと』ありきで話が進められていく。

 2項『「ウクライナ」が存在しない日本の教養空間』(p.139)の冒頭で、加藤くんはこう切り出します。

ここで私が考えたいのは、なぜ少なくない人々が、明らかに歪んでいる場合でさえもロシアのストーリーを受け容れてしまうのかという受け手の問題である。

”ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて” ,p.139, 加藤直樹, あけび書房,2024

この時点で、なんというか、きな臭い感じがしてくるのですが…更に、少しあけて、こう続いていく訳です。

 その大きな原因は、私達の教養の世界において、ロシアとウクライナの存在感に圧倒的な非対称性があることだろう。それは日本だけの話ではない。つい最近まで、私たちの視界にはロシアはあってもウクライナは存在しなかった。今もまだ、十分に存在してはいない。
 例えばロシア語は、大学で必修とされる第二外国語の履修者数において、かつてはドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語と並んでいた。(以下略)

”ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて” ,p.139-140, 加藤直樹, あけび書房,2024

 ちょっと待て!となる訳です。

 東欧やグローバリズムというものに、一定以上の関心があったならば、ウクライナに限らずグルジア(今のジョージア)やエストニアなどのロシアではない、東欧・バルト三国の旧ソ連諸国に関する情報は、ものすごく簡単にアクセスできる程度には、ネットでも文献でも溢れかえってました。

 特に、日本語に翻訳されていた番組が2012年まではCS朝日ニュースターなどで放送され、その後も動画がネットに出されていた、米国のデモクラシー・ナウ!や十年弱前まで深夜にTBSなどで放送されてた米国CBSのドキュメンタリー番組、NHK BSが放送してた各国のドキュメンタリーなど、ロシア以外の旧ソ連諸国に関心がなかった人でも、眼にすれば関心を持つような番組やネット動画、言論は、実は、この戦争が始まる前はものすごくあったんです。


DEMOCRACY NOW!もCBS WORLDもBS世界のドキュメンタリーも存在しなかった、「加藤世界線」。


 ネットの言論にせよ、今のウクライナの政権やネオコンのやり方に批判的なものも賛成してるものも、ものすごーく沢山あった。
 本に関しては、言わずもがな。

 要は、加藤くんや加藤くんの周りの人達の眼にそれらが入ってないだけなんですよ。

 自分たちが関心がないものは、他の人達も関心がないはずだ。
 自分たちが関心がないものは、世の中に存在しないはずだ。

典型的な、認知の歪みですね。

 そして、ロシア語の履修云々の件。ロシア語を第二外国語として必修にしてる大学や学科が多かったか?と言えば、それは又違うんじゃないですかね?と思います。私は秋田大学の鉱山学部の電気工学科(一般的な大学の工学部の電気工学科にあたる)を出てますが、ロシア語は必修じゃありませんでした。そもそも、進級や卒業のための単位としては認定されませんでした。

 教育学部のいくつかの学科(主に文系)で必修になってたに過ぎなかった。それでも、ソ連の人のこと・文化のことを少しでも知りたい。と思って、私は亡き田口佐太郎先生(秋田経済法科大学名誉教授・経済地理学)のロシア後の講座を受講してた。ある意味「変態」ですけど。

エコー・チェンバーにハメられる人に特徴的な、視野の狭さ。そして、視野が狭いから認知も歪んでいく。


 この章に関しては、そもそも最初からして、すっごく視野が狭い。エコー・チェンバーにハマってしまう人の特徴的な傾向のいくつかが見えてしまうくらいに視野が狭いし、自分を客観的に見直す作業が不足してるとすら思うのです。

(前略)しかし私たちの一般的な教養の世界には、ロシアとは異なる主体としてのウクライナは存在していなかったと言っていい。こうした非対称が、ウクライナ戦争に対する私たちの視線を根底で大きく規定している。

”ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて” ,p.141, 加藤直樹, あけび書房,2024

と言うのは、この段落だけを取り上げるならば、極めて正しい。

 ロシアの情報や歴史は入って来やすい。ウクライナの情報や歴史は入りにくい。しかし、それは、一つにはソビエト連邦(ソ連)という一つの国家に一旦なってしまった事が最大の理由であったし、今というか冷戦が終わってからに関して言うならば、西側・とりわけアメリカの言うことが全面的に正しくて正確だ。と言う報道や言論に、日本の報道や言論や情報が毒されすぎてるので、ちょっと自分が動かないとアクセスが出来ない状態になってたから。と言うのが大きいと思うんです。ロシアの場合、それに抵抗するために積極的に情報発信やプロパガンダを、特に2010年代以降行ってきてますが、ウクライナにはそれをやるリソースも少なければ、日本に対してそれをやる必要性も少なかった。

「確かに口を開けてるだけでは入ってこない。でも、少し・数歩歩けば少しは眼に入るから、それに関心を持ってしまえば、沢山入ってくる」のにねぇ…

 確かに口を開けてるだけでは入ってこない。でも、少し・数歩歩けば少しは眼に入るから、それに関心を持ってしまえば、沢山入ってくる。

 それが、ウクライナに関する独自の情報や報道・歴史や文化であったと、私には見えてる訳ですね。

そして、3項『ウクライナを「反面教師」と呼ぶロシア研究者』(p.142)以降では、ロシアを研究してきた学者たちの多くがソ連崩壊でウクライナが独立して以降、ウクライナがマフィアに経済を握られたり、アメリカ等とロシアの間の綱引きの最前線になって政治が不安定なことを指して「反面教師」としないといけない。と言う、真面目にロシアや旧ソ連諸国を研究し続けてきた学者ならば、特定のイデオロギーに偏らないように注意してきたまっとうな学者ならば当然言うしかないようなことを、ものすごいボロクソに言っちゃってる訳ですね。

早期停戦論者や和田春樹先生たちを「ロシアの視線と同じ視線に染まって、ウクライナを軽視軽蔑してる」と決めつけることの意味。

 彼らは、ロシアの視線と同じ視線に染まって、ウクライナを軽視軽蔑してるんだよ。ってね。

 その意味で、この戦争が始まってすぐに「日本はどちらにも寄らずに、ウクライナとロシアの間に入って早期停戦のために頑張るべき」って表明した和田春樹先生たちを非難してる訳です。

 そこでは…色々書いてますが重箱の隅をつついて揚げ足取ってるようにしか読み取れないので詳細省きますが…和田先生たちは、ロシアのでっち上げたナラティブ・物語に染まって、ロシアの(プーチンの)視線だけで物事を見てる。ロシアに騙されて手先になってるんだ!!!って言う結論に向かってまっしぐらに、長々と続けてる訳ですね。

ロシアのナラティブに染まってると強調してる人びとが、実は、アメリカとネオコンのナラティブを宗教レベルで信じてるという、アホアホな現実。

 後、6項『「反米至上主義」が動機なのか』(p.148)の直前までこんな調子なのですが、まぁ、ここで私がすっごく言いたくなってるのは、

 加藤くん、あなた、ロシアのナラティブナラティブ繰り返してますけど、そう言うあなた方こそ、「アメリカというよりもネオコンのナラティブ」それも、デタラメでっち上げも少なくないようなおとぎばなしに染まってるだけで、実際にはロシアもウクライナも軽蔑蔑視してますよね?

 と言う、その一言になっちゃうんですよね。

 締めとも言える、6項『「反米至上主義」が動機なのか』(p.148)では、

 ウクライナ現地でロシア軍の万口を取材したジャーナリストの志葉玲も、ロシアを擁護する人びとを「拗らせた反米」と呼んでいた。実際、「反米至上主義」と呼ぶのが相応しい言説も確かに存在する。
(中略)
 それでも、それらを「反米至上主義」と名付けて終わりというのがどうもすっきりしない。

”ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて” ,p.149, 加藤直樹, あけび書房,2024

と切り出してるのですが、その結論として

 実は、近年の「反米」的な左翼の人びとの世界認識は、今やアメリカやヨーロッパの世界支配が衰退し、中国やロシア、インドなどを軸とする他局的な世界に移行しつつあるというものだった。だが、その他局世界の「軸」の一つであるロシアが、隣国に対する侵略戦争を行ったのである。
(中略)
 こうして見てくれば、「反米至上主義」言説とは、歴史的な現実の中で、世界の進歩に向かう方向を具体的に検証する努力の法規であることが分かる。言い換えれば、そこには歴史性が欠如しており、現実に対する緊張感が欠如しているのである。

”ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて” ,p.151, 加藤直樹, あけび書房,2024

と結んでる訳です。

「進歩」とは、果たして何なのか?誰のための「進歩」なのか?「進歩」が苦しめる存在が透明化すらされている。

 これ、非常におかしな話だと思うんです。その「進歩」とは、果たして何なのか?

 それは、アメリカやイギリスの掲げてきた価値観・とりわけ、最近は「ポリコレ」などと批判されることが多いような”進歩的”価値観が揺らぎなくも絶対無変の真理・真実に他ならない。と言う前提がないと成り立たないような、極めて危うくももろい「進歩」なんですよ。

 その「進歩」で、得をしてきた人達は更に得をし続ける。でも、その「進歩」に根ざしてるものに苦しめられてきた人びとやそれらによって存在や価値を否定されてきた人びとにとっては、更に苦しめられ・存在や価値を否定、貶められ続ける事がセットになってる。世界の多くの人びとを踏みにじり・見えなくし、その癖養分にしてすりつぶすような事を、「進歩」と言ってしまっていいのだろうか?

 そう言う、根本的な疑問を、感じる訳です。

「陣営主義」=「党派性」に染まってるのは、実は親露派ではなく、安全な場所から「ウクライナを応援・共感」して戦争継続を支持してる人たちの方では。

 7項『「陣営主義」を否定したジョージ・オーウェル』では、オーウェルの「ナショナリズムについて」というエッセイ(1945)を通じて、そのような人びとへの批判を更にすすめているのですが…

 普通に言うナショナリズムという単語の意味、(中略)とは違う意味で使ってるので要注意である。「党派感情」とか、先に紹介した「陣営主義」などと形容する方が正確だろう。
 オーウェルの考えでは、その正体は、世界を敵と味方の二つに分けて、そこから物事の是非を考える考え方であり、特定の思想の特徴ではなく、あらゆる思想的政治的立場に現れるという。

”ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて” ,p.152, 加藤直樹, あけび書房,2024

と書いてる。

さて、ここにものすごい矛盾が出てくるんですよね。

多極化する世界を歓迎する人びとや「反ポリコレ」と、陣営主義はものすごく相性が悪い。

 多極化する世界では、冷戦時代のようにソ連と西側が対立してた時代の世界観や、冷戦が終わった後のアメリカ一極支配の時代が終わったのだから、逆に「陣営主義」が成立しなくなっていく。と言うのが、多極化を前向きに捉えてる人達の世界観の前提にある訳です。

 これは、最近猛威を振るってる「ポリコレ」の被害に遭ったり批判・反発してる人びとの多くの中にも芽生えてる考え方で、彼らは実は、「陣営主義」では物事よくならないよね。というのを、自分の身を以て思い知らされてる人がものすごく多い。「陣営」を組むにしても、それは当座の目標をどうにか達成するための一時的なもので、目標が達成できたら陣営を解体するし・状況次第では全く別の「陣営」とも手を組んで目標を達成しようと頑張るのが当たり前になってる。

だとすると、オーウェルが批判してた「陣営主義」に染まってるのは、実は、加藤くんや志波玲氏、そして、多くの「とにかくロシアだけが悪い」「ロシアが一歩的に侵略した」という考え方で動いたり主張をしたりしてる人達の方なのではないですかね?

 勿論、「ポリコレ」やアファーマティブアクションなどをものすごく崇めてて、昨日開票結果が出た都知事選で蓮舫候補を推しつつ・例えば暇空茜氏や支持者達に対してものすごい嫌がらせや脅迫を繰り返してたり、小池都知事の選挙演説に押しかけて大声でシュプレヒコールを投げて演説を停めたり・選挙運動員と喧嘩になってしまってたような人達は、完全に「陣営主義」「党派性」だけで動いてるというべきでしょうね。

そして、2014年の「マイダン革命」にふれる、第6章へと、つづく。

 9項『根底にあるのは諦観と無気力』として、ポリコレ大好きでやれ「暇アノン」だ「キモオタ」だバカにした物言いで攻撃的に動いてる人達が、批判的な人たちに対してやたらと「冷笑」とか言ってるのとおんなじような感じの決めつけ方をしつつ、いくらかの言説を孫引きし、こうやって章を〆ています。

 私はこの2年間、ウクライナの左翼活動家たちの文章をたくさん読んできた。(中略)その思想的選択は、そのまま自分の、社会の、祖国の生死に繋がっているからだ。しかも彼らは、自国のみではなく、常に世界の中で考えている。
(中略)
 21世紀の老大国・日本の知識人や活動家たちが、彼らの闘いとジレンマを受け止め、応答するのではなく、共感しないですむための歪んだ理屈をかき集めているさまを、私は悲しく思う。

”ウクライナ侵略を考える 「大国」の視線を超えて” ,p.161, 加藤直樹, あけび書房,2024


 まぁ、今もウクライナ国内で活動が出来てる「左翼活動家」なる物が、どういう形でそれを許されてるんだろうか?という根本的な問題を棚上げするにしても、そこには、例えば、左翼ではないけど愛国心から前線のウクライナ軍の兵隊さんたちや義勇兵さんたちを支援するために奔走してきて、現実に今起こってることを見て戦争継続は無理と考えるに至ってもなお、兵隊さんたちの支援のために頑張ってるボグダン氏のような人たちの生々しい言葉も、日本に溢れかえってる、マスコミからも加藤くんのような左翼右翼のインテリたちからも発信されてる、「愛国心に燃える素晴らしいウクライナ」というのを真に受け、現実を見て葛藤し、結局自分の兵隊としての力不足も実感して悩んだ末に義勇兵にならずに帰国してきたベビーレモンさんのような、生々しくもいきいきとした、ウクライナで今まさに生き・暮らしている人びとの言葉も心も見られないんですよ。

北朝鮮を「地上の楽園」としたり民主カンプチアを「アジア的優しさ」などと、騙されて称賛してしまった先人たちの過ち・愚行を繰り返してないか?

 あらゆる話が、空疎。

 北朝鮮が大昔「地上の楽園」と宣伝され・実際ソ連が崩壊する前まではそういうごまかしが通用しちゃってたことや、ポル・ポト派(クメール・ルージュ/カンボジア共産党)が全国を制圧して、数年間で数百万人以上の国民が殆ど無意味に殺害された一方で、それらを徹底的に隠して理想的な国家だという風な宣伝をしていた当時のカンボジア、要は民主カンプチアの表っ面の宣伝やプロパガンダを、ろくに疑うこともせず、そのとおりだと素朴に信じていた、当時の多くのインテリや政治家たちと同じ様な、空疎で生きてる実感に欠ける言葉で、多極化する世界を論じる人びとやミアシャイマーやエマニュエル・トッドなどのリアリズム国際政治学を長々と、感情的に、非難し続けて、第6章『ロシア擁護論は「2014年」をどう語っているのか①』へと続いていく訳です。

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