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吉備皇女・長屋王の館・墓所 [2014年記事のバックアップ (第2次)]


🔶 吉備皇女・長屋王の館 Kibi&Nagaya 

-2014/10/13(月) 午後 5:33

あれを見たのは私だけだろうか。デパート建設のため、草を刈られて平らな更地にされた長屋王邸跡の数百m四方ほどの広々とした空間の数m上空を、白い鷺に似た鳥が悲しそうに鳴き、下を見ながら旋回し続けていた。雛の巣があったのではないか。この地にはこんな悲劇もあったことは誰も知らないであろう誰もいない空間の周囲を、私一人が遠巻きに歩いていた。

🔶 吉備皇女・長屋王の墓所・不思議なこと Kibi&Nagaya's tomb 

- 2014/10/19(日) 午後 1:30

それまで若干怖じけて行かなかった長屋王の墳墓へ向かったのは数年前。近鉄平群(へぐり)駅から北へしばらく歩くと遠くからでもそれとわかる。と言うのも、こんもりとしたその森の前(南)だけ、数十m四方程建物が無く、耕作が営まれているのみだからだ。古墳南端の礼拝所に立つと、森の木々がざわめいているのを感じる。ただ、もとよりここは長屋王より古い時期の墳墓で、彼の墓でないというのが学術的な見解である。
彼が日本でもっとも恐れられてきた大怨霊という話も信じない。
長屋王墓から数百m程西にある、妃の吉備内親王墓への曲がりくねった長閑な道には夫婦の痕跡を示すものは無い。ただ長屋王墓と同じく、突如視界が開けた西北に見えるその古墳の参道の前(南)だけは建物がなく田圃が広がっていることが記憶に残る。
吉備内親王墓の方が若干大きく、高い位置にあるのは、天皇の娘(皇女)ゆえ(母が元明天皇。父が、薨御後に『天皇』の尊称〔岡宮天皇、長岡天皇〕を贈られた草壁皇子。)、皇族としては(天皇天武天皇〕の孫〔王〕の)長屋王より高い地位にいたことのあらわれだろう。
その高台に登る数十段の階段の前に何故か法螺貝を描いた正方形のタイルが敷かれている。10cmくらいの鳥が飛んできて、登って行く私の数段前に止まる。こちらが登ると、高く鳴き、振り向き振り向き、あちらも登る。楽しい気分で墓の前に着いた時には鳥は、いなくなっていた。すぐ前に墓がある。

吉備皇女・長屋王に関して不思議なことがあったと、ネットで書いたことがあるが、内容は明かしていない(以前明記したこととは、また別である)。
平将門公を祀った『将門塚』に神輿が来た時、空中で雷鳴が轟く映像と似たレベル。

{以前私がネットに発表したものを若干改訂した記事を含んでいます。2015年2月、📕この枠への投稿ほぼ完了。15年12月22日加筆。}

関連資料⚪️GoogleStreetView (長屋王墓) 


🔶 吉備皇女・長屋王一族の命日 ユリウス暦グレゴリオ暦

-2016/3/16(水) 午前 1:21

吉備皇女・長屋王一家の命日(新暦ユリウス暦〕3月16日〔729年〕)。

『〔旧暦2月12日〕は〔ユリウス暦3月16日〕』(現行の新暦であるグレゴリオ暦とは異なる?〔後述〕
私の機種ではリンクが、『〔新暦の〕2月12日』記事につながりますね。ここには長屋王の件は書いてないと思います。
ここから、長屋王の件を記してある『〔旧暦〕2月12日』記事を出すには、『新暦記事』の終わり近くにある『旧暦2月12日』の項目をクリックすると出ます。〔16年3月16日現在〕)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8812%E6%97%A5_(%E6%97%A7%E6%9A%A6)
『〔旧暦2月12日〕は〔新暦3月16日〕』(リンク記事内リンク先のウィキペディア『長屋王』『(新暦)3月16日』記事でも同見解)
 
http://www.nnh.to/02/12.html

(時代が下ると『ユリウス暦』と太陽年との誤差が次第に大きくなり、10日程にもなったので、16世紀に新しく『グレゴリオ暦』が定められ、今に至っているそうです。)

729年当時を数える場合は『ユリウス暦』(を『新暦』扱いにすること)で大丈夫みたいであります。
つまり、〔古い新暦〕である『ユリウス暦』での729年3月16日が、〔新しい新暦〕である『グレゴリオ暦』においても729年3月16日に当たる、(未だ729年を数える場合は、両暦の間に『誤差』は大きく生じていない)ということですね。
西暦729年当時は未だ『グレゴリオ暦』が無かったので、当時を言い表す場合『ユリウス暦』と言った方がいいということでしょうか。

〔ref. ウィキペディアグレゴリオ暦』(『ユリウス暦』)〕

🔶 16日

-2016/4/16(土) 午後 8:38

16日は、吉備皇女、長屋王一族の祥月命日。

万葉集』の長屋王作歌など 
🔍 https://manyo-hyakka.pref.nara.jp/db/dicDetail?cls=d_utabito&dataId=513 /  
🔍 https://art-tags.net/manyo/poet/nagaya.html / 
🔍 http://manyou.plabot.michikusa.jp/udimayama_asakazesamusi.html / 
( 関連 万葉集読み下しの歴史
🔍 [賀茂真淵等について] http://manyousyuu.blogspot.jp/2008/04/blog-post_11.html /
🔍 賀茂真淵記念館公式ページ http://mabuchi-kinenkan.jp/waka/003.html / 
(📔 本ブログ内 賀茂真淵記事  https://note.com/artandmovie/n/n8ff141f44571 ) 
🔍 [訓の揺れ]  https://japanknowledge.com/articles/koten/shoutai_08.html /
🔍 国立国会図書館レファレンス協同データベース [読み下しの起源]  https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000322004 )

🔍 六国史(りっこくし)全巻〔原文〕  http://www.kikuchi2.com/sheet/rikkoku.html / 
第二の史書続日本紀』(しょくにほんぎ)。比較的入手し易い講談社学術文庫版は現代語訳のみで、このリンク先の原文(漢文)のみと併せると、資料としてコンプリートに成りますね。
続日本紀』が長屋王一族に関する記述を含んでいます。
私の機種では15ページ中頃の『天平元年二月辛未』の項に『長屋王の変』の記述があります。
正確には、この日は前の元号である神亀六年に含まれ、天平長屋王の変の後に定まった元号でしたが、ここでは年単位で元号を区分しています。

以降の史書も、奈良時代を扱ったものではなくても、案外奈良の寺院のその後を調べる場合等に、いいソースとなってくれるかもしれません。
(この他、史書ではなく説話集ですが『今昔物語集』にも奈良の話がよく出てきます。)


上の記事は、📕2019年12月にサービスが終了されたYahoo!ブログ ( ブログタイトル「Art&Movie Cafe」) で、かつて発表したものです。♦️2014年10月13日記事はそのYahooブログで残っていたものでは最も古い記事でした。
Yahoo!ブログはブログの移転を勧めていましたが、私はYahoo!ブログへのログインが成らない等の事情ゆえに、
私からも見ることが可能な公開の記事毎に、📓ここへコピーしています (第1次バックアップ。若干の修正有り)。

(2016-03-23 20:00. 20年9月23年3月更新 [上から2記事分])


(📓23年10月に書き込み機能不全となった私の別巻ブログ [原因不明 (参照 https://note.com/artandmovie/n/n8c58482ded8e ) / 📓はてなブログ ] からの📔バックアップ・リライト 公開 [第2次バックアップ。一部修正。10月] 。関連記事欄には、バックアップ作業中のためリンク機能を停止中の分も有ります。📔noteでの記事枠は、以前トライアル的に作ってあった記事枠群から元記事の月日に近いものを選んで、貼出しています。)

リンク Link 

📔ブログ内関連記事「長屋王邸跡」 日本で最も重要な遺跡

(📙 以前ネットに書いたコメント 「長屋王邸跡は勿体無かった。
日本史のターニングポイントである、論点が多い人物で、 大量の木簡が出土していた。 跡地がショッピングセンターとなるか、近くの東院庭園・宮跡庭園のごとく史跡公園等の形で整備されるかで 日本史全体のイメージが変化してしまう程の差がある。」 木簡も発掘が完了していたとは限らないのでは… ) 

Tweet (2013年)


🐥 2013年8月9日のTweet  (一部修正。♦️Twitterを私は2012年頃から始めてますが、現存のTweetでは一番古いもの。Evernoteでのバックアップからの貼出) 

久しぶりに奈良の王龍寺の横を走った。電車で「スルッと関西」を使って、近鉄生駒駅と白庭台駅間を猛スピードで。トンネルなので、お寺は見られない!

王龍寺は、岩に刻んだ観音像(磨崖仏)を、お堂で囲ってある珍しい寺で、辺鄙な場所にあるのでなかなか行けない。数年前この路線が近くにできたものの、そばに止まらず、いつも猛スピードですり抜けていく。

📔 ブログ内記事リスト (検索結果) 「吉備皇女」・ 「長屋王」・「続日本紀」・「万葉集」





⚜ 

関連資料⚪️ 毎日新聞記事 『「遺跡の保存は地権者次第 百貨店が建った長屋王邸跡は「痛恨の極み」』 「これを残さなければ何を残すのかというレベルの遺跡」 (谷川章雄早大教授)  23年12月




(10月[13年Tw追加],28日[暦記事,16日の記事追加.タイトル変更 (館→墓所).目次設定.検索結果設定] 23年12月5日,6日 [🎞「Streetview (長屋王邸跡)」は📔ブログ内記事 [△上貼]「長屋王家木簡発見」へ移転しました], 更新)


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