雨よ恋 5
2020年5月の半ば。まだ休校は続いていた。
休校の間、LINEグループ通話で時間を決めて週に数回、各班思い思いのテーマで発表会議をし合っていた。勿論、顧問の私も交えてはいるが、私が喋るのは必ず全員が意見を言った後だ。何ごとも決めつけない。ただ感想を聞いてもらいそれで終わる。
幾度目かのセレクト会議後、どの班のテーマが好きか?のLINEアンケートを取る動議😅があった。
結果
あやな班は、やはり昨年9月に撮っていた台風写真を追いかけていた。ずっとこの班だけは、多少、各人で撮影はするものの、結局、一貫して台風の写真セレクトにいつも戻って来ていた。過去の…それもたった2日間で撮った豪雨強風波浪写真にこだわり、その写真データのセレクトだけをやり続けていた。たしかにそれだけインパクトは強かった。あまりどこでも見かけた事がない。
「よし!じゃあアンケート結果がこうなった以上、これで行くか!」
…って事にはしないのだ。多数決など1番怪しい決め方だと思っている。作品には完成に向かう時の旬みたいなものがある。〆切にはまだ間がある。もっと練らなくては…
「君達なら、まだ面白いモノが撮れるかも知れないし、取り敢えず第一候補として置いといて、今日は寝ましょう」そう言ってケムに巻いた。
ワザと結論を出さない。大きい目で客観性を持つためには必要なことだと思っている。誰もが早く楽になりたい…だから客観性を見失って結論を急ぐことに気づかない。
もしかするとこの方向性が後に、完成に向かうのかも知れないけれど(実際、向かったのだけれど😅)、向かわせないのは『無駄を省く=良い作品』ではないからだ。もっと作品を創る時の葛藤と言うか手垢みたいなものが必要だと思うのは、私の経験値かも知れないけれど。
………
そして5月の終わり。
休校が明けた!
休日の3年は、すぐさま模試なので、セレクトはせず、2年だけで予てより行きたがっていた周防大島の嵩山へ!
ありがたいことに、保護者の方が3台も車を出してくださり、密を避けて行く事ができた。
「いやぁ 私らもウチの子もどこにも行けなくて鬱憤が溜まってますからねぇ…前から来たかったしドライブがてらですよ」感謝で涙が出ます。
そして日頃から、部活動について部員達が家族にどんな感想を伝えているのかがよく分かる。
「先生、ウチの親が車出すから、皆んなで行っていいですよね?親も全然、協力するって言ってるんで!」絵空事ではない主体性。自分達が行きたいから、皆んなで楽しく撮影をしたいから、家族を巻き込み車の🚗手配をする。
そんな人達だから、頂上で出会った人にも臆せず積極的に話しかけて被写体になってもらっていた。声を掛けたウチのある女の子2人組はミュージシャン志望の2人だ。スタジオの借り賃も高いので、時たま、この山の頂上で大声で歌っていると言う。(あれ?確か横浜でも、そんな2人組がいたな…)良い出会いがまた増えた。
思えばこの新2年生達。昨年9月の台風一過の撮影からすると半年も経っている。自分達だけで遠慮がちに撮影していた頃からは雲泥の差だ。
霧に恵まれたのもあるが、全員テンションが上がり、人と人との出会いと会話の面白さを知り…シャッターを切る理由が増えていくのを実感していくのが観ていて判る。もう顧問の出番などない。ほっておいても面白い写真が撮れていく気がする。これで撮影に行く事の面白さが脳内に焼き付いていくのだ。
もしかすると今日の強風濃霧の撮影が、写真甲子園作品の方向性を決めるかも知れない。そう思ったくらいだった。
そしてのちに先輩達も、2年生達のやる気を知ってさらに火が付いていく…のだけれど、それは次の話しで…長い話しで申し訳ない
つづく
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