アートが「当たり前」になる街へ
《テキスト・アーカイブ》
日時:2022年1月26日18:00~
場所:アプリュス 芝スタジオ(〒333-0866 埼玉県川口市芝4-17-16)
HP:https://www.aplus-art.org/
JR蕨駅から徒歩15分の場所に、4つの建物が立ち並ぶシェアアトリエ「アプリュス芝スタジオ」がある。木材や金属の加工など、自宅では難しい制作作業も容易に行えるこの施設群は、以前は糸を製造する工場と従業員の社宅として利用されていた。ここの管理・運営を行なっているのは、東京藝術大学の卒業生などで組織された一般社団法人「アプリュス」。これまで複数の地域でアトリエを運営したり、地域住民を対象にしたワークショップを数多く開催したりと、地域の中でアートを身近に感じられる場を増やそうと活動してきた。
アプリュスは現在、川口市芝にある「芝スタジオ」と朝霞市にある「朝霞スタジオ」という2つのシェアアトリエと、川口市にある「旧田中家住宅」と「歴史自然資料館」という2つの文化施設の管理・運営を行なっている。加えて、3つ目のアトリエとなる「荒川スタジオ」も3月のオープンに向けて現在工事中。アプリュスは、さまざまな地域に展開して活動している。
取材を行なった2022年1月26日は、新型コロナウイルスの第6波によって感染が急拡大していた。感染対策に十分注意を払いながら取材に応じたのは、アプリュスの代表理事でART ROUND EASTの代表も務める柳原絵夢さん。これまでの活動の背景や理念、コロナ禍による変化や今後の展望などについて話を聞いた。
活動の原点は「スタジオ食堂」
今回話を聞いた芝スタジオには、たくさんの加工機械が置かれた3棟のアトリエがあり、加えて1棟は改装中。荒川スタジオと並行してこちらでも慌しく工事が進められており、大人数でワークショップが行える広い空間が2月末には完成する予定だ。アプリュスが運営しているアトリエや文化施設では、芸術系大学で専門的な教育を受けた「アーティストの卵」の支援のほかに、地域に住む子供達を対象にしたワークショップや展示企画の開催を通じて、身近にアートに触れられる場を提供している。柳原さんは、どんな思いで場の運営を行なっているのか。まずはその原点となる経験から伺った。
時は、柳原さんが東京藝術大学美術学部彫刻科に入学する以前の、美術予備校に通っていたころに遡る。当時予備校の講師だった、美術家の中村哲也氏や中山ダイスケ氏などのグループが運営していたアトリエ「スタジオ食堂」に、柳原さんは頻繁に訪れていた。当時の光景を振り返り、「アーティストたちは週末になるとDJやコマーシャルギャラリーのキュレーターを呼び、イベントを開いて作品を展示していた」と話し、「アーティストとはこういうものなのか」と強く印象に残ったそう。これが、「アトリエを運営して、多くの人が気軽に出入りできる場を創造したい」と志すきっかけだった。
芸術家の卵には支援が必要
生き生きとした活動が行われていたスタジオ食堂を目の当たりにし、シェアアトリエの可能性に確信を持った柳原さんは、その場の持つ魅力を分析する中であることに気が付いた。それは、大学を卒業した若手アーティストの活動継続の難しさだ。
大学を卒業してしまうと学内のアトリエのような制作環境の整った場所を失ってしまう。これは、芸術系の大学生特有の問題だ。友人と共同で制作に適した広さの場所を借りたとしても、その家賃を支払うために多くの時間をアルバイトに費やし、制作どころではなくなってしまう。制作環境を安価に入手できないために、思い通りにアーティスト活動ができなくなった卒業生と出会う中で、柳原さんは「アーティストの卵たちの、卒業後の制作活動を支援したい」と強く思うようになった。現在、アトリエ会員が支払う月々の使用料は平均で3万5000円程度だという。これほどの広さと制作機材の豊富さを考えれば、破格とも言える金額に設定しているのには、若手アーティストの負担を軽減し、より多くの時間を制作に打ち込んで欲しいという思いがあった。柳原さんの思いが結実したアプリュスは、いつ活動を開始したのか。その始まりを聞いた。
アプリュスが始まる場所との出会い
実際にアトリエを運営するためには、十分な広さの空間と豊富な制作機材を準備する必要がある。そのためには、賃料の支払いや設備投資など相当な費用がかかる。「そういう知識が何もなかった大学生の頃に」と話を切り出し、「不動産屋にいきなり飛び込んで、『広い作業場をいくらで借りられますか?』と聞くと、『500万円です』『敷金礼金は1年分です』と言われ、言葉が出なかった」と苦笑。残念ながら、学生時代にアトリエスペースの運営が実現されることはなかった。2002年、柳原さんは大学院へ進学。研究生を経て助手になり3年目の07年、所属する研究室の建物が耐震工事のために一時移転しなければならなくなった。その際に柳原さんは教授から「移転先を探してこい」という指示を受けた。
研究室が移転でき制作スペースも十分確保できる物件について、一切当てのなかった柳原さんに、この時2つの幸運が訪れる。1つ目は、ひとまず入ってみた不動産会社で条件を相談したところ、同社社長が当時の荒川区長の後援会役員だったということ。そして、2つ目の幸運は、同区と東京藝術大学が当時、芸術と文化の振興を目的とした包括連携協定の締結に向けて準備を行っていたということ。この2つの偶然が重なったことで、社長から区長へ話が通じる。協定の枠組みによって、区の管理する施設を東京藝大に無償で貸し出すことが決まった。その施設が、のちにアプリュスが誕生する場でもある「荒川区リサイクルセンター」だ。
「アプリュス」設立が解決策
800平米の広さを持つ施設をなんとか見つけ出すことができたものの、大学施設の耐震工事は半年で終了し、研究室は元の建物に戻ることに。それが、柳原さんが助手の職を離れるタイミングに重なった。「この場所の運営を継続し、アーティストの活動拠点として育てていきたい」と考えた柳原さんは、メンバーと共に荒川区の担当者に相談。しかし、区の所有している施設を個人に貸すことは制度上問題があったという。希望は叶わないかと思われたが、相談を重ねる中で、当時行われていた公益法人制度改革の一環で一般社団法人制度が2008年にスタートすることを聞きつける。個人ではなく一般社団法人ならば、施設を借りられる可能性があるというのだ。
法人設立の手続きについて右も左も分からず、「何をどうすればいいのだろうか」と疑問の連続だったが、制度開始に合わせるかたちで必死に準備を進めた。東京藝術大学の卒業生を中心に理事3名と監事1名を集め、2008年についに誕生したのが一般社団法人「アプリュス」だった。区と大学の協定のおかげで賃料を抑えられたことも後押しとなり、無事に同施設を借りることができた。ただ、場所が確保できても、制作の道具や設備がなければ思い通りの制作はできない。そんな時、知り合いだった町工場の職人さんが亡くなり、道具を全て柳原さんに譲るように、という内容の遺書が残されていたことを知る。他にも、近所の資材会社が加工機械を安く手に入れる方法を教えてくれたり、近所の職人さんのご厚意で施設の内装工事用に機材を貸してくれたりなど、人とのつながりに助けられる場面があった。
さまざまな縁を通じて、アトリエ運営という共通の目標を掲げる仲間が集い、場所と道具もそろった。この場所で作品制作や展覧会を行なっていきたいという思いを多くのメンバーと共有しながら、ついにアプリュスは動き出した。
新たな困難と救いの手
だが、リサイクルセンターのアトリエが軌道に乗り始めた矢先、施設が取り壊されることに。2年間の入居期間を終え、2010年に退去しなければならなくなった。これまで多くの工作機械を揃えて制作環境の整備に努め、たくさんのアーティストたちから支持を得ていた空間だったこともあり、ほとんどのアトリエメンバーが近隣への移転を希望。同センターに近い距離に、十分な広さの場所を見つける必要があった。そこで柳原さんは、近所にあった東京都旧水道局事務所跡に目をつける。メンバーや荒川区の担当者と共に、事務所跡の活用方法を提案書にまとめ都庁を訪問したが、最初はまともに相手にしてもらえなかったそう。しかし、諦めることなく「しつこく何度もお願いした」という。その熱意が実を結び、最終的には4年の契約で借りることができた。加えて、施設の移転に伴い新たなメンバーも参入。この時、のちのアトリエ拡大で重要な役割を担うことになる髙田純嗣氏も、アプリュスに参加するようになった。
都の理解を得て、ついに入居を始めた2010年の翌年、東日本大震災が発生。事務所跡の建物は古く耐震強度の面で問題があることが判明し、2年の入居ののち、12年までに退去しなければならなくなった。再び移転先を探していた時、知り合いのツテで偶然見つけたのが、現在の朝霞スタジオがある場所だ。書店の社員寮兼倉庫として使われていた物件の倉庫部分だった1・2階へ移転し、今年で10年目を迎える。朝霞スタジオを安定した基盤に、アプリュスは活動を再開した。
同時に、アプリュスは別の拠点への拡大にも乗り出す。前記の髙田氏が中心となって、川口市の行政担当者と調整を行い、同市の廃校になった中学校を改装して「芝園スタジオ」に生まれ変わらせた。2013年開設のこの場所は、市内で閉鎖予定だった別のアトリエ入居者の受け皿としての機能も果たしたことで、さまざまなアーティストや地域住民とのつながりを得ることができた。髙田氏が行政や地域のさまざまな関係者の間を走り回り、パイプ役として調整を行ったことで、芝園スタジオで最も活気のある恒例イベント「オープンスタジオ」の開催も始まる。オープンスタジオは、地域住民を招いて作品の展示会やワークショップを開催し、地域から出店者を募ったマルシェも軒を連ねる賑やかなイベント。川口市の地域へ介入する、最初の大きな一歩となるイベントだった。
芝園スタジオは18年に移転し、今日の取材場所でもある「芝スタジオ」につながっている。急遽移転を迫られたり工作機械を手に入れる必要があったり、スタジオ運営には数えきれない困難が立ちはだかった。しかし、その度に新たな拠点を見つけ、また機械も次々と入手できるなど不思議な縁があり、柳原さんは「人とのつながりの大切さを感じた」と振り返る。数多くの関係者から協力を得られたことは、アプリュスにとって、これまでの活動が地域に受け入れられていることを実感できる、貴重な出来事だった。
変化をもたらす存在に
「アーティストの卵の育成」という理念を掲げているアプリュスは、アトリエの月々の使用料金を安く抑えるだけでなく、別の方法でも若手の支援を行なっている。アプリュスが受注した「作り物」の仕事を若手と共有し、製作費を支払っているのだ。店舗内装に使用される美装、金属製品、企業のキャンペーンに使われる彫刻作品などの制作を、若手作家たちにアルバイトとして手伝ってもらうことで、技術の向上や自信につなげてもらいたい考えだ。また、「作り物」は若手の支援だけに留まらない。アトリエ使用料の収入だけでは賄えない部分を補填する、アプリュスにとって重要な収益の柱にもなっている。
若手の育成以外に、「アートに接する場を増す」ということも、アプリュスの重要な方針になっている。柳原さんは「子供達、特に公立学校の子供は美術教育を受ける機会が本当に少ない」と残念そうに話す。子供の頃から絵を描いたり物を組み立てたり、バイクや機械類を観察したりするのが好きだった柳原さんは、「ワークショップを通じてアートに触れたり作ったりする機会を提供することで、子供の楽しみを増やしたい。そうすれば未来のアーティストやアートコレクターが育ち、芸術・文化の貢献になるのではないか」と期待を込めた。アプリュスはこれまで、地域の子供達と一緒に荒川区内の鉄道高架下に壁画を描いたり、藍染体験を行なったり、紙コップを使って巨大なタワーを作り上げたり、さまざまなワークショップを開催している。
アプリュスの設立当初は、これほどワークショップを開催することになると想定していなかったというが、「社会彫刻」という概念を提唱したドイツの美術家ヨーゼフ・ボイスを挙げ、話を始めた。ボイスは彫刻の概念を拡大し、人々は皆アーティストであり社会を彫刻することができる、と主張したという。そして柳原さんも、自身の活動を「社会彫刻」に重ねる。アプリュスが運営する場やそこで生まれるアーティスト同士の関係性、地域のワークショップで育まれる住民同士の関係性など、全てが彫刻・芸術であり、アプリュスそれ自体が作品なのだ。
文化・芸術の場を活かす
芝園スタジオを拠点に川口市内でワークショップなどのイベントを開催していた頃、アプリュスはある文化施設と出会う。それは同市で味噌醸造業と材木商で財を築いた田中家の、重要文化財にも指定されている邸宅「旧田中家住宅」だ。和洋折衷のこの建物では、これまで教育委員会の主催で和の文化をテーマにイベントが行われていたが、客層の幅を広げるための企画も求められていた。アプリュスは、芝園スタジオで培ってきた実績を活かし、独自の企画を考案。アーティストや音楽家などを呼び、地域コミュニティと連携しながら幅広い層の住民を呼び込み、期待以上の成果を残した。文化施設という空間は、市民にとって文化や芸術に触れる格好の場所だ。加えて、作品の展示空間にもなり若手アーティストの発表の場を増やせる。文化施設の今後の展望に可能性を見出し、運営を目指して入札に参加。2017年から管理業務を受託している。
アプリュスはこのほか、2018年に誕生した「赤山歴史自然公園」内の「歴史自然資料館」の運営も受託している。上映設備が整い、映像も含めたアート作品を展示できるこの施設で若手作家の展覧会などを開催。今後は地域の風土にあった文化企画を考えている。
文化施設を管理しながら定期的にイベントを行う業務には、地域の方々の協力が欠かせない。「美術家・音楽家とつながりや、イベントを運営するノウハウだけでは幅広い集客は難しく、地域の文化団体と連携してゆくことが大切」。アプリュスの積み上げてきた実績は、多くの関係者とのつながりによって支えられていた。
コロナ禍だからこそ設備拡充
コロナ禍によってアプリュスの収益の柱の一つだった「作り物」の受注は大幅に減少してしまった。新規店舗のオープンや販促キャンペーンなどは、コロナ禍では行えなかったのだ。また、これまで年20回ほど行なっていたワークショップだったが、2020年・21年は例年の10分の1ほどに減少してしまった。オンラインでの方法を模索し、絵の具や粘土などの道具を郵送して開催したが、通信速度や解像度の問題で相手の様子が分からなかったり、参加者の家庭の机が狭くて道具を広げられなかったりと課題が多く、満足できるものとは言えなかった。今後、オンライン開催は考えていないそう。
しかし、作り物やワークショップの仕事が減ったことで、空いた時間を有効活用し、現在は「アフターコロナ」に向けた準備を着々と進めている。それが、芝スタジオと荒川スタジオの工事だ。「コロナがなければ、時間が足りず、スタジオ設備の拡充にまで手が回っていなかっただろう」と話し、この混乱期を仕込み期間と捉え、今後のスタジオ運営の多角化を目指している。
アトリエが拓く未来
アプリュスの今後について聞くと、短期的な視点では、前記の荒川スタジオの計画を明かした。廃業していたおしぼり工場を改装し、2021年度中にオープンする予定のこのスタジオは、今までのような大規模なアトリエと異なり、比較的小規模だ。そのため、利用システムもほかと異なり、短期間の貸し出しが中心になると考えている。具体的には、展覧会間近のアーティストが最終調整を行うための場として、あるいは企業同士がコラボレーションを行うための制作場所として活用されることを想定している。さまざまな企業や町工場の技術者との協力体制を構築しやすいこの場所を活用して、「EV技術を使ったアート作品を作ってみたい」というのが柳原さんの目下の野望だ。
また、長期的な視点では、スタジオ近くの空き家を有効活用して、街なかにアトリエが当たり前に存在している未来を作る、という目標を明かした。空き家をアトリエに改装し、各スタジオをハブにしながら街なかのあらゆる場所に制作の場を展開することで、何か思いついた時にすぐ制作できる街を作る。「アトリエが身近にあることで、人間が根源的に持っている制作したいという欲求は満たされやすくなる。多くの人に、アートを行う喜びや楽しさを身近に感じてもらえる環境になるはずだ」と話し、アートがより身近に感じられる未来のために活動していくという。
誰もがアーティストになれる
柳原さんは、アーティストという存在について、「社会というフカフカの座布団に座って、一番守られている存在だ」と自問するように話した。そんな存在だからこそ、社会のために何かお返しをしたいと考えているのだそう。その思いからアプリュスは、アーティストの卵が制作場所や制作資金を得られる仕組みを作り、地域住民に気軽にアートに触れられる機会を提供してきた。
アプリュスという団体が活動し、社会に働きかけ、たくさんの協力者と生み出した変化は全て、アプリュスという一つの作品だ。ボイスが提唱した社会彫刻の概念が示すように、柳原さんは今日もアプリュスを通じて社会を彫刻している。アプリュスのアトリエ利用者やワークショップ参加者が生み出す変化も全て、社会への彫刻行為と言える。私たちは誰でも、社会を彫刻するアーティストになれるのだ。
(文:久永)
ART ROUND EAST(ARE:アール)とは?
東東京圏などでアート関連活動を行う団体・個人同士のつながりを生み出す連携団体です。新たな連携を生み出すことで、各団体・個人の発信力強化や地域の活性化、アーティストが成長できる場の創出などを目指しています。HP:https://artroundeast.net/
Twitter:https://twitter.com/ARTROUNDEAST
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