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《テキスト・アーカイブ》 ART ROUND EAST 2021/5/5@BUoY

⽇時:2021年5⽉5⽇(⽔)18:30〜
場所:BUoY (東京都足立区千住仲町49-11)
HP   :https://buoy.or.jp/

5月5日に ART ROUND EAST加盟団体の一つ、BUoYさんへ訪問し、定例ミーティングを行いました。一体どういう経緯で、北千住にアートセンターが誕生したのか。立ち上げるために格闘した課題などを中心に、BUoYさんのこれまでの活動や理念、コロナによる影響と今後の展望について、芸術監督の岸本佳子さんからお話を伺いました。今回も、前回の総会と同様、コロナウイルスの感染拡大への対策として、対面とオンラインを併用しての開催です。合計9名が参加しました。

BUoYというアートセンター

北千住の喧騒を通り抜けて、駅から徒歩10分弱の場所に位置するBUoYは、地下1階に舞台を備え、2階にカフェと展示スペースを併設したアートセンターです。この場所の最もユニークな特徴の一つは、演劇やダンスなどのパフォーマンスに使われている地下の舞台が、銭湯の廃墟を活かした作りになっている点です。

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もともと銭湯として使われ、閉鎖後長い間放置されていた地下部分の構造を活かし、大きな浴槽や洗い場、鏡やタイルなどを残したまま舞台として利用しています。他では類を見ない舞台となっており、独特の雰囲気が見る人の心を掴みます。

この建物自体は前回の東京オリンピックと同じ年、1964年に建設され、今年で築57年目を迎えます。北千住の歴史とともに歩んできたといえる建物ですが、銭湯だった地下と、ボーリング場として使われていた2階部分は、時代の変化とともに閉鎖され、20年以上放置されていました。その廃墟と化していたスペースが「異なる価値観と出会う場」として生まれ変わり、アートセンターBUoYとなりました。2017年7月にプレオープン、同年10月にグランドオープンし、今年で4年目を迎えます。

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BUoY立ち上げまでの道のり

「この廃墟を初めて見た瞬間、言葉が出なかった。なんとかしなければいけないと思った」。岸本さんは当時の印象をそう語ります。その時の思いが今のBUoYにつながっています。しかし、この廃墟がBUoYになるまでの物語は、平坦なものではありませんでした。

物語の始まりは、当時まだ岸本さんと面識のなかった画家、阿部睦さんがアトリエを探している際に、この場所を偶然見つけたところから始まります。過密が進む東京の中に、これだけ広大なスペースが廃墟として長い間放置されていたことに驚いた阿部さんは、周囲に活用方法を相談。その相談を受けた人のひとりで、東京でギャラリーを運営する方に、岸本さんが偶然出会ったことで、物語は岸本さんを巻き込んでいきます。その当時は東京大学大学院で表象文化論を学んだのち、ニューヨークのコロンビア大学大学院で、シアターの企画運営などを実践的に学んでいました。声をかけられた側であり、「最初は私がやるはずではなかった」と話す岸本さんが、現在芸術監督としてBUoYの責任者に至ったのには、BUoY立ち上げまでの長い道のりに立ちはだかった困難が関係していました。実際に場所を運営するとなると、責任者の選出、賃貸借契約の締結などの問題があったのです。

まず責任者選びが始まると、これまでBUoY立ち上げのために共に汗を流してきた仲間がひとり、またひとりと降りて行ってしまいました。だれも、実現がまだ危ぶまれている計画の責任を引き受けたくはありません。そんな中、岸本さんは最後まで降りることなく、立ち上げのために尽力しました。そのおかげで計画は頓挫することなく前に進むことができたのです。「怖すぎる案件で、誰も引き受けなかった」と笑いまじりに説明しました。

建物の契約でも、問題がありました。管理会社の社長は力強く応援してくれたものの、管理会社の部長と、不動産オーナーの代理人が難色を示すなど、賃貸人の側で話がまとまっていませんでした。ここでも岸本さんは仲間と共に、賃貸人側へ必死のプレゼンテーションを行いました。この場所の持つ可能性や存在意義を懸命に伝えたことで、猛反対していた部長の心を掴むことに成功。「感動した」との言葉を得て、一歩前進しました。もう一人、渋っていたオーナー代理人については、この空間を見つけた阿部さんの飼っていたウサギの名前と、代理人の親族の名前が奇跡的に一致。これにご縁を感じてもらえたのか、賃貸人側の結論の一致にこぎつけました。

しかし、それで全てが解決したわけではありません。この物件は10年契約だったため、借主の側にとっても「10年はやめられない」というリスクがありました。立ち上げすら危ぶまれ、誰も責任者を引き受けようとしない中、中心的に動いてきた岸本さんが、10年契約のリスクを背負うと決めたことで、賃貸借契約は成立に至りました。奇妙な偶然や不思議な縁の後押しもさることながら、相当な覚悟と熱意があったからこそ、BUoYを立ち上げることができたのです。

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なんとか課題を乗り越えて立ち上げることができたBUoY。岸本さんをこれほど大胆な行動に駆り立てたものとは、一体何なのでしょうか。

岸本さんを突き動かしている思い出

上記の困難などによって約1年半もの間、BUoYが立ち上がるのかどうか不確定な期間が続き、計画は順風満帆ではありませんでした。航路を見失いそうになりながらも、諦めず計画を進めることができたのには、アメリカでの思い出が支えとなっていたといいます。それは、ニューヨークのブルックリン美術館で、毎月第一土曜日に夜通し行われていたクラブイベントです。異なるジャンルの先鋭アートやパフォーマーが集い、多くの市民がお酒片手に音楽とアートを楽しむことができる場。中でも印象に残っているのは、看護師に付き添われ点滴をつけた高齢者や、近所の幼い子供達など、多種多様な人々が同じ音楽に合わせて楽しんでいた光景です。誰もがノれるわけではない前衛的な音楽を前に、「異質なものを異質のまま、否定することなく楽しんでいた」ブルックリンの人たちが、強く記憶に焼き付いていました。

その一方で、日本には異質なものに対する排他的な雰囲気が漂っているといいます。その点に違和感を覚えた岸本さんは、このクラブイベントのような、異質なものを受け入れ楽しめる場の必要性を感じました。現代アートは、分かりづらくて敬遠・排除されがちな面がある一方、世界を全く違う角度から見せてくれる力・おもしろさがある。現代アートを、排他的にならない形で共有する場が東京にはない。だから作る。これが岸本さんの思いでした。

BUoYのコンセプト

BUoYは、「異なる価値観との出会いを創造する」をテーマに、展示会やパフォーマンスイベントを通じて、数多くの先鋭アーティストを紹介しています。岸本さんは日本社会について、わからないものに対する不安が強く、同質性も強い社会だと指摘します。異質なものを排除しがちな日本社会の中で先鋭的なアートを紹介して、「こういう発想ってありうるんだ!」という気付きを得ながら、日常と違う経験ができれば面白いのではないか、とコンセプトを話しました。

BUoYは「異ジャンルが集う」「社会的無意識と出会う」という二つの考えを大切にしているそうです。日本ではエンターテイメントとアートがまだまだ混同されがちだと指摘したうえで、BUoYには「社会に対して、コンセプトのはっきりしたアートを扱う」という考えが根底にある、と話しました。社会を批判的に見るために、社会の外部としてのアートを扱う、という信念を持っているそうです。しかしそういった考え方は日本では未だ希薄だと話し、「今が日本の過渡期」と強調しました。批判的にものを見たり、他者と会話したりという活動ができる場を通して、アートの側から、社会について考えていきたいと語りました。

メディアでの取り上げられ方

上記のような理念を掲げて活動していても、メディアでの取材の際に、どうしても地域作り、街おこしという視点で話を求められることがあり、非常に違和感がある、と悩みを吐露しました。岸本さんの考えでは、地域おこしはどこか一方的に施しを与える印象があるそうです。しかし、BUoYはそういったものを目指してはいません。むしろ、ブルックリン美術館の例のような、先鋭のアートを呼び、それをわからないなりに楽しんでもらう場です。料理店の例を挙げ、誰もが好む料理を提供するファミリーレストランではなく、店長がこだわり抜いた、誰にもこびない味の店の方が近いと話します。それに加え、北千住という土地はもうすでに盛り上がっている、と苦笑いで答えました。

BUoYの眼差しは、地域という特定の地点ではなく、社会という大きな対象に向けられています。もちろん、このアートスペースは地域の中に存在し、地域に支えられており、その眼差しは地域にも向けられています。しかし、その視界の深度は常に行き来して、目の前の地域と、奥に広がる社会を往復していると言えるでしょう。

これに気づくことで、メディアで「地域おこし」と括られ失われてしまった、BUoYの活動の意味の、繊細なグラデーションを見ることができるかもしれません。

実際の運営の工夫(コロナ前)

実際にスペースを運営するとなると、一緒に働く人を集め、限りある予算の中で適正な賃金を支払う必要があります。そのためにBUoYでは、フルタイムの社員をおいておらず、各自本業を持った人たちがパートタイムで集まることで、運営効率を高めています。そのため、人の出入りは激しいものの、人が足りなくて困ったという事態は今のところ起きていないそうです。

また、BUoYの建物の3階以上がマンションになっており、そこに2人の従業員が住んでいたり、カフェの従業員12名も全員北千住在住だったりといった点も、運営が円滑に回っている秘訣だそうです。

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コロナでの変化

これまでBUoYは、地下スペースでの演劇・ダンスなどのパフォーマンスイベントに軸足が置かれた施設で、2階のカフェと展示スペースは、それに続く形で運営されていました。

しかし、昨年春にコロナの感染が拡大し、パフォーマンスを中心に、軒並みイベントが中止に追い込まれてしまいました。稼ぎ柱だったパフォーマンスイベントの中止で、一時は不安な時期もあったと言います。しかし、相次ぐ中止で空いた時間を活用し、スペースの改善策を検討することにしました。カフェの看板をまだ設置していなかったことに目をつけ、店先に看板を出してみると効果てきめん。看板による集客が功を奏し、なんとカフェの売り上げが三倍に増えました。また、コロナでも作品展示は十分可能だということに気付き、展示会を積極的に開催。今では、地下よりも、2階フロアに軸足が移ってきたと話します。

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そして、さらに良い発見もありました。コロナの影響もあって集客が期待できないと考えていたイベントも、いざチケットを販売してみると即完売。コロナによって、人々の「集まりたい」という欲望の強さと、その高まりを実感したそうです。演劇は3000年の歴史を持ちます。現在数多くのメディアが発達していても、演劇はいまだ現役の芸術です。岸本さんは「『他者』への希望・欲望は消すことができないんだ」と再認識し、これからの企画・制作に意欲を見せました。

コロナ禍にもかかわらず、今年のイベントや展示の予定はほぼ一杯だそうです。今後も十分な感染対策を講じた上で、このリアルの場を活かしながら、コロナ禍におけるアートスペースの役割を模索していくと意気込みました。

まとめ

冷静に聞くととんでもないことが次々と起こる立ち上げの現場について、困難を笑い飛ばしながら話す岸本さんの笑顔が印象的でした。コロナ禍だからこそ見えてきた、集まりたいという人間の欲望は、消える事はなさそうです。不寛容が広がる日本社会に一石を投じ、新たな価値観と出会う場を作り出すアートセンターBUoY。大変貴重なお話を伺えました。ありがとうございました。

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(文:久永)

Art Round East(ARE;アール)とは?

東東京圏などでアート関連活動を行う団体・個人同士のつながりを生み出す連携団体です。新たな連携を生み出すことで、各団体・個人の発信力強化や地域の活性化、アーティストが成長できる場の創出などを目指しています。
HP:https://artroundeast.net/
Twitter:https://twitter.com/ARTROUNDEAST

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