学ぶ前に知りたかった、デザイン思考の話(上/思想編)
今回のターゲットユーザー:これからデザイン思考を学びたいと思っている人。あるいは、デザイン思考についての本や記事を読むけれど、なにか物足りなくてピンとこない人。
今回は、「デザイン思考のとそのプロセスが何を目的としてデザインされているか」あるいは「デザイン思考の根底にある思想」について。
私は普段アートの話をしていますけれど、大学院ではUXやデザイン思考について学んでいました。むしろアートは何も学んだことないので、普段は相当に適当なことを言ってます。
その上で、世の中のデザイン思考に関する話を聞いたり、文章を読んだ時に、「あれ…なんか足りないな」「わかりづらいな」と感じることが多々あります。
違和感を掘り下げてみると、どうやら、「デザイン思考について」の説明はあっても「なぜその考え方でデザインが成立するか」や「なぜそのメソッドを使うか」などについての言及がなく、理解するための材料が足りていなかったのです。
つまり、デザイン思考は何を行っているかが書かれていません、なぜ上手くいくかを解説していないのです。
今回は、そうしたデザイン思考の根底にある思想を掘り下げることで、デザイン思考をより深く理解できたらと思います。
この記事は、上 / 思想編 と 下 / プロセス編 の二本立てです。
上ではデザイン思考の根底にある思想について、下では私のやってるデザイン思考の各メソッドと、その解説です。話の重複はあると思います。
下とは言ってますが、書く予定は未定です。なぜならこの記事のカロリーがめちゃ高いので……。
この記事は、上 / 思想編です。
<そのうちプロセス編を書いたらここにURLを貼る>
最初にUXの話をするべきだった(追記:21/3/10)
すみません。最初にUXの話をするべきでした。こっち先に読んでください。
デザイン思考って?
デザイン思考とは近年のバズワードですが、まだまだ言葉だけの人も多いのではないでしょうか。
簡潔にいうと「良いデザイナー達はいつも良いものを作るから、その方法をメソッド化してみた」というものであり、思考の類型化、手法の体系化を試みた分野でもあります。
デザイン思考のプロセスでは、概ね「ユーザーの体験を中心にデザインされたもの」である、ユーザー中心主義を目指しています。
ユーザー中心のデザインとは「配慮が行き届いていて使いやすいプロダクト」「心を掴んで離さないワクワクするサービス」「触ってて心地よいシームレスなアプリ」のような、きっちりユーザーのニーズを捉えたものでもあります。
世界がユーザー中心主義に至るまで
20世紀初頭あたりは大量生産の時代で、作り手は少数だったので市場は作り手の意向が強く、製品中心主義ともいえる考え方が主流でした。
作れば売れる時代だったこともあり、製品の形を決める上で、効率的に生産できることが重要であり、ユーザーは二の次です。
ヘンリー・フォードが最初に車を売る時に行った有名な「顧客の望む色はどんな色でも売ります--それが黒である限り」という言葉は、製品が作り手の都合で用意されていることを物語っています。
ユーザーは乏しい選択肢の中から選ぶほかなかったのです。
時代が現代に近づくにつれ、生活は豊かになり、作り手は増え、需要に対しての供給が多様性が増すことで、ユーザーはたくさんの選択肢から買うものを選べるようになりました。
製品中心主義で作られたユーザビリティに配慮できていない製品 - 作り手に不自由させるもの、は次第に売れなくなり、徐々にユーザーの好まないものは淘汰されていきます。
企業の淘汰に対する対応として、次第に付加価値と価格競争の波が激化します。
それらを後押ししたのが持続的イノベーションで、技術革新などにより廉価に作れるか、新しいアイディアの付加価値によりちょっと便利になるか、そのどちらかでした。
安く商品を作る、ユーザーが買う。少し便利な商品を作る、そしてユーザーが買う。少し便利な商品も売れなくなるから安く商品を作る。更にユーザーが買う。
一方で、技術革新と付加価値が限界に近づくと、最終的には価格競争に行き着きます。
しかし、価格競争は最初から限界が見えています。
価格競争が持続可能でないと気づいたデザイナーたちは、どうにか、価格が高くてもユーザーがえらんでくれるものの模索を始めました。
新たな価値の創出です。
破壊的イノベーションはそれまでの市場をぶち壊すような、劇的な製品で、市場を駆逐するような劇的な変化です。
市場に劇的な変化が起きるのは、それが真にユーザーが欲しいものであったからです。
人々は”馬”ではなく”移動”が欲しかったから”車”に置き換わました。
”ほうき”ではなく”掃除”を求めていたから”掃除機”が誕生しました。
これらはユーザーが求めていたものに対する、より良い解決法なのです。
ユーザー中心主義はその辺りで思想として確立されたと思います。
レッドオーシャンを捨ててブルーオーシャンを探し出す挑戦でもあり、いかにユーザーに寄り添いユーザーが欲しいものを作るかという、大いなる航海の船出となりました。
デザイン思考は、そんなユーザー中心主義を実現するための、ユーザーに寄り添う思想です。
デザイン思考とは、メソッドではなくマインドセット。
「デザイン思考」とは、”道具”ではなく、”思想”
道具(この場合、デザイン思考で提示されるプロセス)は、思想を体現するためにすぎず、思想を学ぶことで、より簡単に道具を扱うことができます。
つまり、デザイン思考のプロセスやメソッドの裏付けが、思想です
こういう時、私は、いつもトンカチの話をします。
トンカチは釘を打つ道具。
トンカチの思想は、硬くて持ちやすいものでは釘が打てること。
あなたはトンカチの使い方を知っていれば、トンカチで釘を打つことが出来る。
あなたがトンカチの思想を知っていれば、あなたは任意の硬くて持ちやすいもので、釘を打つことが出来る。例えば凍ったバナナとか
デザイン思考の本はメソッド論になりすぎていて、メソッドがどういう目的で構築されているかが書かれていません。
なぜkj法が使われているんですか?なぜブレストですか?本質的にリサーチで気を付けるべきことは何ですか?新しく、効果的なワークショップを組み立てたいときは何を守ればいい?
デザイン思考でアイディアを作る過程で、「どういう手法を、どんな理由で行うかを知ってる」のであれば、プロセスを厳密に守る必要はなく、それをしなくてもいいのです。あなたはアイディアを作るプロセスを正しく辿ることができるし、自由自在に操ることが出来る。別のことをプロセスに組み込んでも良いのです。
メソッドなんてものは、ワークショップのスライドを作るときにでもググれば良くて、思想を理解することの方がよっぽど重要です。
あくまで、メソッドとしてのデザイン思考は、デザイナーでない人がそれを模倣できるように整えているだけです。
デザイン思考のプロセス
いわゆるオーソドックスなデザイン思考のプロセスとはこんな感じだと思います。
引用:【初心者向け】ビジネスに必要な「デザイン思考」とは何か?プロセスをイラストで紹介!
1.観察/共感 - ユーザーの視点を理解する
2.問題定義 - 解決したい点の洗い出しと決定
3.アイディア創出- どのように解決するか
4.プロトタイピング - 試作
5.検証 - コンセプト、デザインなどを検証
Ex.このサイクルをぐるぐる回す
私はだいたいこんな感じです。
0.前提条件を決める - 誰ための/何を/どのような方針で作りたいか
1.ユーザーの視点を理解する / 仮説を立てる
市場や技術調査
PhilosophyとVisionの設定 / 修正
フィールドワークと観察 (エスノグラフィー)
ユーザーのメンタルモデルを作成
2.仮説からアイディアを作る
デザインのアイディア出し (ブレストやKJ法など)
ターゲットユーザーのペルソナを作る
CJMを作る(customer journey map)
Narrative Making
3.ユースケースを作る - (要件リストの完了)
----------ここまでがデザイン思考のプロセス----------
----------ここからはデザイン思考の実装のプロセス----------
4.プロトタイピング - ユースケースの実装
5.プロトタイプの検証
EX.このサイクルをぐるぐる回す
デザイン思考のプロセスの目的
結論からいくと、デザイン思考の最終目標は、ユースケースを作ることです。
ユースケースとは要件定義のようなもので、例えば「このサービスではこんなアプリが必要だ」「アプリではこんな画面が必要だ」「この画面ではこの機能が必要だ」「この画面からはこの画面に遷移する」というようなものを示し、どんどん掘り下げ、過不足のないものを目指します。
それは例えばインサイトだとか、ユーザーの感情に寄り添ってるだとか、そのような要素が含まれています。
良いユースケースを作ることが出来れば、良いデザインが出来ます。というか、良いデザインを作るためには良いユースケースが不可欠です。
ここまでくれば、多分”デザイン思考”の役目はおしまいで、あとはそのユースケースから外れないようにものをデザインするだけです。もちろん端々にデザイン思考は必要になりますが、それは枝葉のデザインです。
デザイン思考におけるデザイナーの役割とは、いかにユーザーに寄り添ったユースケースを作れるようチームをファシリテートできるかであり、その時、デザイナーとしての力量が問われるのだと思っています。
私は、「デザイン思考におけるユースケース以前のプロセスは、全てユースケースをデザインするために設計されている」と考えています。
世にいう''デザイン''のような、ものやアプリの形のデザインは、ここから始まります。
良いユースケースと良いペルソナ。
良いユースケースをデザインするためには、何が必要でしょうか。
良いユースケースとは、実際にユーザーが使う場面をしっかり想定して、その要所要所で解決案を出すことができているものを示します。
では、ユーザーが使う場面を想像するためには何が必要でしょうか。
良いペルソナが、必要です。
ペルソナはペルソナマーケティングという手法で使われる、「商品・サービスを買ってくれる、架空の典型的ユーザー像」を示します。
ペルソナマーケティングは「架空の典型的ユーザー像」が選び、使い、好きになる製品やサービスを作ることで、似たような属性の人が欲しいものを作ることが出来るとする考え方です。
通常、私たちは、ユーザーのことを知りません。他人なのでどこにどう魅力を感じているかもわかりません。ペルソナは自分ではない他者(ユーザー)の行動・判断基準を再現するため作成される、疑似的な人格です。
では、良いペルソナとはなんでしょうか。
私は良いペルソナを、「厚みを持った実在しうる人格」と捉えています。だから、ペルソナは現実味を帯びれば帯びる程よいとも考えています。
良いペルソナがあると、「この人ならこう選ぶよね」「この人はこれはしないよね」とすんなり判断することができ、アイディアを考える手だけになります。逆に言えば、そこまで来てようやくペルソナが作れたとも言えます。
先ほどの話と合わせると、ユースケースは、「ペルソナが欲しいもの、欲しい機能、欲しい体験をまとめたリスト」ということになります。
そして、「デザイン思考におけるユースケース以前のプロセスは、厚みを持った実在しうる良いペルソナをデザインするために設計されている」と考えています。
デザイン思考のエッセンス
少し変わりますが、私はデザイン思考におけるエッセンスを
「圧倒的な情報を効率的よく収集する」
「バイアスを排除する」
「アイディアが自立して成長する土壌を作る」
の3つだと考えています。
「圧倒的な情報を効率的よく収集する」と「バイアスをなくして考える」は、質の高い情報やインサイトにたどり着き、良いペルソナを作るために必要で、
「アイディアが自立して成長する土壌を作る」は完成したペルソナからユースケースを作るために必要です。
他の記事で言われるデザイン思考のエッセンスはいくつかありますが、例えば「仮説を立てる」は「バイアスを排除する」先にあります。
バイアスをなくして、ユーザーが真に欲しいものはこうではないか?と考えた結果が「仮説」となります。
また、デザイン思考をやるために必要なマインドセットとして「ユーザー視点」「チームとコミュニケーションをとる」「作ってみる」「一つのアイディアに固執しない」「このサイクルを何度も回す」などが挙げられますが、全ては先にあげる3つのエッセンスに通じます。
あるいはKJ法やブレストはデザイン思考のエッセンスでもなんでもありません。あれはただのアイディアを爆発的に増やす方法です。
とりあえずデザイン思考のプロセスを円滑に実行するためのアプローチとしてKJ法だとかブレストが優位性を持っているから使っているのであり、デザイン思考の思想を実現できるなら、他の方法でもなんでもいいのです。
「圧倒的な情報を効率的よく収集する」
デザインをする上で、情報収集は大事です。
当然デザイナーであるなら「情報なら集めてるよ!」と反発するところでしょう。
しかし、本当にきちんと情報を収集出来ているのでしょうか?
ただ単に選考事例や競合調査をしただけではないですか?ユーザーの観察をした気になっていないですか?本当にそれは、インサイトを見つけ、ペルソナを作成するために有意な観察でしたか?そもそどうやって効率よくインサイトを見つけ、ペルソナを作るか知っていますか?
観察を例にとります。
私が行っていたのはエスノグラフィーというのですが、いくつか流派がありますし、あんまりしっかり習ったわけではないので、もはや自己流な気がしています。私が行っているのは一挙一動を執拗に捉え言語化するやり方です。これはユーザーの判断基準を言語化してペルソナを作る素材とすること、無意識的な行いを捉えその裏にインサイトがないかを探るための行為です。
例えば、「リラックスできるホテルのラウンジ」のデザインをするために、ソファに座ってる男性がコーヒーを飲む瞬間を観察したとします。
彼は「机からコップを取って飲み物を飲んだ」のではなく、
「深く体重をかけていたソファから上体を起こして一瞬コップを見つめ、右手でコップを取ろうと手を動かし、持ち手の近くで一瞬右手を停止させたのち、持ち上げる。コップを口元までかかげて、最初は低い角度で、そのうち腕を持ち上げて飲み物を飲み始めた」のです。
前者からインサイトを見つけるのは難しいですが、後者はさほど難しくありません。
そして、その後インタビューをします。
Q1.どうして上体を起こしたんですか?
A1.そのままだと取れないから
Q2.でもぎりぎり手が届く距離ですよね
A2.こぼすかもしれないと思った
ソファにゆったり座ったまま取りやすい位置に机があったら、より良いくつろぎを提供できるんじゃないでしょうか【インサイト】。
あるいは、(一見当たり前のことですが)人はこぼしそうな位置からもの取らないということも分かりました【ペルソナの判断基準】。
「バイアスを排除する」- 観察の分析
エスノグラフィーを延々と書いた後は、それを元に5つのモデル分析をし、インサイトとペルソナの判断基準を拾い出し、その後(ペルソナを作る下地として)メンタルモデルを抽出します。
5モデル分析は、自分の見たものを 空間/使われた道具/人と人の関わり/時間の流れ//その全ての緩いつながり の5つに分解し、1つのイベントを多角的に見る作業です。
メンタルモデルはそこにいる人がどのような行いをするかを簡易的に表したもので、「人は●●を××すると→△△する」のような、判断基準を図式化したものです。例えば、「人は雨を見ると→憂鬱になる」「人は良いものを見ると→友達に教えたくなる」「人は美味しいご飯を食べると→お茶が飲みたくなる」みたいな。これはペルソナ作成時に利用され、実在の人物から抽出したメンタルモデルを持ったペルソナは、実在しうる厚みを持ちます。
「バイアスを排除する」- アイディア出し
また、アイディア出しに置いてもバイアスの排除が非常に重要です。
作りたいもの、例えば「リラックスできるホテルのラウンジ」を作るとします。
往々にしてやりがちだ思うのですが、「ホテルのラウンジ」を起点にアイディア出しをするとどうしても既存の「ホテルのラウンジ」の域を出ません。
それより、実現したい「リラックス」をどうにか「ホテルのラウンジ」に落とし込む方が、より魅力的な「リラックスできるラウンジ」になります。
アイディア出しにおいても、情報収集においても、「リラックスできるホテルのラウンジ」のことを考えつつ、いかに「リラックス」や「ホテルのラウンジ」という常識を打ち破っていくが大事に思います。
例えばアイディアを探す際「自分が好きなホテルのラウンジ」「自分が嫌いなホテルのラウンジ」「自分が変だなって思ったホテルのラウンジ」みたいなところから始め、例えば「どんなリラックスの形態が存在するか」「自分はどんな時にリラックスできるか」「そもそもリラックスしたいのはいつか」なんて話をします。
さらにいうなら、慣習的には「リラックス」と言われていなかった時間を「リラックス」と再定義しても良いかもしれません。なんだっていいのです、そこで行われているのがリラックスに類する概念でありさえすれば。
私のいた流派では、プロセスの最初でPhilosophyとVisionを立てるのですが、これはそれぞれ、人ってこうあるべきだよねという軸と、と大まかな作りたい方向性です。
今回でいうなら、例えば
Philosophy…人はホテルで時間が忘れるほど落ち着けるべきだ
のような。
Visionに”大まかな”、とついているのはこの時点で、どんなアプローチで目標を達成するかを言及しないためです。あまり細かく設定すると、アイディアにバイアスをかけてしまうことになります。
Visionは多分「マッサージの施術中のような、思わず寝てしまうぐらい心地よいホテルのラウンジが作りたい」とか「個室居酒屋のように落ち着けるホテルのラウンジが作りたい」とか「ずっと快適にいられるホテルのラウンジが作りたい」ぐらいのものになると思います。
Visionを立てた後にそれぞれアイディアに落とし込んでいくのですが、これらはアイディアの段階で「マッサージの施術中のように、音楽とアロマを提供する」とか「個室居酒屋のように席ごとに仕切りを作る」とか「人が快適に感じる環境(温度や湿度)を機械で維持し続けてくれる」とかに掘り下げられていきます。
最終的に、これらのアイディアが出た後に、それをどう実現するかを考えます。予算的には?技術的には?時間的にはリソース的には?
ただ基本的にこれらは(視野にいれつつも)アイディアをどう実現するかという瞬間に初めて検討されます。(それらの制約は「本当に欲しいものは何か」を考える時のバイアスとなってしまうため)
KJ法なりブレストをこのあたりで使うと思いますが、その時に決まって言われる言葉がありませんか?
「他人の意見を否定してはいけません」(あるいは現実面での制約を先につけないため)
これはつまり、バイアスの排除です。(また、多人数でやること自体はアイディア発散の効率化です)
「アイディアが自立して成長する土壌を作る」
アイディア出しをしたあとはディティールを作り込む作業です。
エスノグラフィーとメンタルモデルを抽出し終えたら、ペルソナを作ります。良いペルソナを作るだけの情報が集まっているはずです。
集まってない?それはリサーチが悪いです。そもそも何のためにリサーチするかわかってましたか?
さきほど、良いユースケースをデザインするためには、良いペルソナが必要だと行ました。なぜユースケースを作るためにペルソナがいるか、なぜ判断基準が必要なのかというと、プロダクトやサービスと彼/彼女にまつわるNarrative Makingをするからです。
Narrativeは物語と訳されることが多いですが、もう少し”語ることそのもの”に近く、デザイン思考においては「ペルソナが、どう自分たちのデザインしたプロダクトやサービスに触れていくか、出会うところ、買うところ、使うところ、そしてどう感じるか。一挙一動、その時の感情、周りの反応、その全てを、描いたもの」となります。
よく、デザインのプロセスの中でCJM(customer journey map)を作ることがありますが、CJMはただ1シーン1シーンに何が必要かを書き出したものになります。
NarrativeはCJMを下地として物語を作る都合上、ペルソナとプロダクト/サービスの在り方を淀みなく、そして破綻なく一つのタイムライン上に乗せる必要があります。具体的にはユーザーの生活や人生の中でのプロダクト/サービスへのタッチポイントを描くことになります。
Narrativeを描くとソファが生える。
Narrativeを描き始めると面白いことが起きます。
基本的にはペルソナと、それまでのプロセスでデザインしたものの接点を描くのですが、どうしても物語やペルソナの都合上、アイディアや設定を曲げたくなる瞬間があります。この感覚が非常に大事で、これが魅力的なデザインになる肝ではないでしょうか。
「これをこのタイミングにするということはこれについて知らないとだめだな…」とか「こういう時こうしたいよな…」とか。
Narrativeを描くことを怠って、単純な図表としてのCJM(customer journey map)で終わってしまうデザインを見かけることがありますが、Narrativeまで書くことによってはじめて見えてくるものが沢山あります。
ちなみに私は本当にいつも物語を書いてます。
私の修論の付録には、私の書いたNarrative、短編小説が乗っています。
私はこれを「ソファが生える」と呼んでいます。
またもやあなたは、「リラックスできるホテルのラウンジ」を作っている。
窓から見える景色は立ち止まって見たくなるほど綺麗で、ホテルとしてもウリのひとつです。
ペルソナはそこを訪れ、景色を見る。思わず見蕩れてしまう。でもずっと立って見ているのは億劫だから、綺麗な景色が見える場所に座りたい。だから「ソファが生える」。
文字に起こせばすこぶる単純な話ですが、事実はかなり異質です。
「オーナー(この場合の依頼人)がロビーにソファが置きたかった」わけでも、「ソファがひとつ欲しかった」わけでもなく、「私がソファを置きたかったわけではもありません」。
ただ、物語が、デザインが自立して、そこに「ソファが生える」のです。
床からにょきにょきって。
創作をする人なら味わったことのある、キャラや物語が動くというやつでしょうか。
ここで「生えたソファ」ってのは、ペルソナがそうしたかったから生まれたもので、つまり「ここに座りたかった」はユーザーのインサイトで、「ソファ」はインサイトに対するソリューションです。
ちなみに、座りたいがインサイトなのだから、必ずしも座る形はソファじゃないかもしれません。ベンチかも。あるいはもはや椅子の形をしていないのかもしれない。
Narrativeを描くと、Visonを実現するのに必要な要素がNarrativeの端々に現れます。
それをリストとしてまとめたものがユースケース。
ユースケースまでくるとアイディア出しはほとんど完了。プロダクトやサービスの場合は、あとは実装。
あとは、これらのVisionとユースケースからぶれないように、物をデザインするだけです。
まとめ
・デザイン思考とは、「良いデザイナー達はいつも良いものを作るから、その考え方や方法をまとめてみた」ということです。
・デザイン思考とは、ユーザー中心主義を実現するための思考法です。
・デザイン思考とは、単なるメソッドではなくマインドセットです。
・デザイン思考とは、ユースケースを作るために行われる。
・ユースケースとは、ユーザーのインサイトとインサイトへのアプローチをまとめたもので、要件定義にも近い。
・良いユースケースを作るためには、「圧倒的な情報を効率的よく収集する」「バイアスを排除して考える」「アイディアが自立して成長する土壌を作る」という意識が重要です。
・良いユースケースとは、アイディアと良いペルソナと、そのあとに作成されるNarrativeによって生まれます。
・ペルソナとは、「架空の、実在しうる人格」であり、その人が好むプロダクトやサービスを作れば、似たような属性の人が欲しいものとなる、とされています。
終わりに
結局デザイン思考の手法(あるいはプロセス)は、今日の話を知らない人でも良いデザインを作るために設計されたものとなります。
こういうことを知らなくても、再現すると何となく良いものを作ることが出来るという便利手法。
ただ、私としてはやっぱりこういう思想があるんだ、と知っていただけるといいなぁと思っています。
今日の話は、もはや自己流に近いので、ご意見・反論などあるかもしれません。あるようでしたら是非お聞かせください!
これが、今の私なりのデザイン思考です(もうすぐ7年目!)。