絵だからできる表現
こんばんは。
ねむるまえにです。
今日は5月31日に発売になった『みにくいマルコ〜えんとつ町に咲いた花〜』の絵本を読んで思ったことを書きます。
ずっと発売を待っていた『みにくいマルコ』の予約本が届きました。
作者の西野亮廣さんがお忙しい中で1冊1冊サインを書かれた本。
動画配信中にサイン書いてて、逆さまに書いちゃったサインがあって、それには正しい向きのサインも書き足して”当たり”とされてました。
失敗ではなく、当たり!(笑)
家に届いたのは通常のサインでした(笑)もちろん嬉しいです!
舞台は『えんとつ町のプペル』から3年後のえんとつ町。
えんとつ町には色々変わった部分を感じられて、素敵な変化であり、でもそれだけじゃなく、生まれた問題が描かれているのが今作で、リアルでした。
それにマルコとララの純粋な思い、西野さんが物語の裏に込めた思い、せつなすぎて泣いちゃった。
その余韻がまだ胸に残っちゃってて収まらないので今日書こうと思ったんです。
西野さんのラフ画のアンティーク調の表紙、落ち着いたデザインなのに宝物感あっていいなぁ。
今回は西野さんが毎朝喋ってるvoicyの特別版で、『みにくいマルコ』の副音声があります。
この副音声がまた楽しませてくれる!
今回もまた圧倒的な絵の綺麗さだったけど、その解説の中で、”一眼レフ感を出した”と仰ってました。
私は特にこの西野さんの言葉が刺さりました。
自分の絵が写真みたいになっちゃう時があって悩む時があったけど、西野さんの仰ってる”写真みたいな”の意味は全く違う。
違いすぎて恥ずかしい。
普段の自分達は、目で見るよりもレンズ越しに見てることが多いから、そっちのがリアルだと。
今回、そのレンズで見た感覚が強い、新しい表現があって、そこもまたそそられました!
そして、正しくは違うけど心情によって見える見え方のがリアルなことがあるし、そうゆう表現ができるのが絵の良さだよねって仰ってて、その描き方の部分がとってもイキイキとしてリアルに伝わってきて、頭ガツーンと殴られた感じでした。
絵のジャンルによって描き方もそれぞれあるんだろうけど、絵を描く意味、改めて思わせてもらいました。
その物らしく見える箇所はおさえながら、絵ならではの魅力的な表現。理想すぎる。
圧倒されるクオリティーを手元で見て、興奮しながらそんな事を思いました。
どの作品も何度も読み返してるけど、この『みにくいマルコ』も物語も絵もたくさん見ます。
おやすみなさい。