瀧本哲史さんとの20年
今回のAOAは、NPO法人全日本ディベート連盟の専務理事である久保健治による#瀧本宿題の内容となります。
はじめに
「久保さんは、私のディベート活動の中で、ある1番の記録をもっています。なので、声をかけました」
瀧本哲史さんが、なぜ、私を特定非営利活動法人全日本ディベート連盟(以下、CoDA)にリクルートしたのかについて答えた言葉です。現在、私(久保健治)はCoDAで専務理事を務めています。瀧本さんと初めて出会ってから20年。CoDAという組織で一緒に動くようになってから15年。一度だけ、瀧本さんが私との関係について発言してくれた言葉を借りれば「ディベート普及活動で、我々はパートナー」でした。もっとも、私にとって瀧本さんはメンターでもありました。
現在、瀧本さんの最後の講演録である「2020年6月30日にまたここで会おう」(以下、「また、会おう」)に併せて、特設Noteが作られ、多くの方が#瀧本宿題というハッシュタグで瀧本さんとの宿題を報告しています。
瀧本さんは、表に出ることを嫌いましたが、CoDAでは18年間、代表理事を務めてくださいました。ただ、瀧本さんのCoDAでのエピソードは、あまり世に出ていない感じもします。そこで、今回瀧本さんとディベートという関係に焦点を絞って、ほんのわずかではありますが、エピソードを紹介しつつ、CoDAとしての瀧本さんからの宿題を書こうと思います。(私個人の宿題は、また別の形で書きたいと思います)
CoDA(全日本ディベート連盟)とは
CoDAを知らない方も多いと思うので、まずは簡単に紹介します。CoDAはディベートを通じて、日本に議論文化を根付かせることを目的にした団体で、ディベート団体では日本で初めてNPO法人となりました。
現在、CoDAは大きく3つの事業を行っています。1つ目は、日本語ディベート活動の普及事業。2つ目は、企業等の法人に対するディベート研修やディベート技術の内製化に関するコンサルティング事業。3つ目は、高等教育を中心とするディベート教育普及事業です。
CoDAはこのように幅広く活動をしていますが、全員が本業を持っている点に大きな特徴があります。理事クラスのメンバーは、ベンチャー起業家、研究者、医師、弁護士、コンサルタント、大手広告代理店などを中心に、社会で活躍しているメンバーです。私自身もマーケティング・ブランディングのコンサルタント会社経営と大学講師という仕事を持っています。日々の仕事の中で、ディベートを活用しているメンバーが、それに意義を感じて、世の中に還元しようと思って動いているのが、CoDAです。
瀧本さんとの出会い
私と瀧本さんの出会いは、高校生の時に遡ります。当時、高校2年生の時に、慶応大学のディベートサークルが開催した年齢不問のディベート大会に参加した時です。主に大学生が参加していたので、制服で参加している私たちが目立ったのだと思います。レセプションにチームパートナーと一緒に参加したものの、同世代がいなかったので、用意されていたマクドナルドのチーズバーガー(当時120円くらい)をひたすら食べていました。その時、ある大人が「せっかく、こういう場所にいるのだから、安いご飯だけ食べるのは勿体ないですよ。交流するほうがいい」と声をかけてきました。これが私と瀧本さんとの最初の出会いです。
その後、大学院修士1年の時にCoDA理事になりました。大学のディベート活動で既に色々とお話しするようになっていたのですが、正式に瀧本さんから直接誘われたのがきっかけでした。大学4年の時に、大会後の打ち上げで瀧本さんから「久保さんも、CoDAにジョインしましょうね」と言われ、大学院に入学して約束を果たした形です。
CoDAに残された宿題
瀧本さんから、CoDAに残された宿題はただ1つ。それは日本に議論文化を根付かせるというミッションであり、その方法としてのディベート普及です。議論文化について、CoDAでは「議論によって物事を解決することを是とする文化」と規定しています。これは当たり前の事を言っているようですが、実は大変難しい行為です。議論以外にも物事の決定方法はいくらでもありますし、現実社会では、時に議論は無力なのではないかと思う瞬間も1度や2度ではありません。こうした事が起きる背景の1つに、議論に対する悪いイメージや経験があるのではないでしょうか。
しかし、未知の問題について、異なる価値観のメンバーと共に新しい知見を生み出す建設的な営みこそ議論の本当の価値です。ただ、そういう経験をする人が少ないのではないか。それは、日本では議論のトレーニングを受ける機会が少ない事が大きな原因ではないか。このことが、日本の議論文化への成熟を阻害していると我々は考えます。私たちは議論文化を定着させるという宿題に対して、いまも挑戦しています。
議論文化―ディベート活動の実験場
具体的な話をする前に、我々自身がどんな議論文化を持っているのかについて、お話したいと思います。その前提として、CoDAの大きな特徴を説明します。それは、「理事会でGOが出れば、自分がやりたいことができる」という事です。ディベート普及を対象にして、自ら課題を発見し、自ら解決策を作る。そして、それを実行するために、必要なリソースをCoDAから獲得するというプロセスです。規模は小さいながらも、やっていることは、ほぼ社内ベンチャーです。
CoDAの理事会は、めちゃくちゃなスピードで議論が行われます。全員がディベーターなので、瀧本さんの早口もなんら問題ありませんし、なんならみんなも早口です(笑)当然ながら瀧本さんは全く遠慮しないで議論しますので、中途半端な案が出てきたときには「ああ、それは〇〇ですね。はい、終わり。」といった感じです。
ただ、それで気分を悪くするようなメンバーはいません。ディベート普及という究極の目標においては連帯していますし、みんなの中には議論文化を信じることで生まれる信頼関係がありました。CoDAの理事会にとって反論とは、相手を否定することではなく、新しい視点と価値観による仲間からの検証に他なりません。
もちろん、私たちも瀧本さんに反論していました。課題を乗り越えるために、様々な専門知を容赦なくぶつけ合いながら、みなの意見がまとまっていき、問いが解かれていく瞬間はとても面白いものでした。手前味噌ではありますが、CoDAの理事会はまさに議論文化そのものだったと思います。
このような、瀧本さんとのミーティングは、私たちにとっても楽しいもので、朝方まで延々と議論し続けるということも良くありました。毎年、ディベート甲子園などの大きな大会が終わった後に、朝方まで瀧本さんを囲んでディベート界の課題と未来について。よく語り合いました。
瀧本さんのディベート普及への思い
「また、会おう」の中で、瀧本さんは、世の中を変えるために、若者世代が大人世代を味方につけていくことの重要さについても論じています。CoDAでも、議論文化の実現に向けて、大人世代と若者世代の両方に対してチャレンジしています。具体的には、大人世代に向けては、企業向けのディベートプログラム。若者世代に向けては競技ディベートを中心にしたディベート教育環境の提供です。
まず、企業向けサービスの開始は、私が立ち上げた新規事業で、CoDAの財務基盤を構築することに貢献しただけではなく、現在のより広く社会にディベートを普及させる団体へと変化する大きなきっかけとなりました。そして、この事業の拡大と共に私は専務理事になりました。
企業向けサービスは、CoDAの数ある事業の中でも、私が瀧本さんと一緒に作り上げたと自負できるものです。この事業は、規模こそ小さいものの、まぎれもなくビジネスの立ち上げでした(後に、一時期、本当に瀧本さんと一緒に仕事をするようになりますが、それはこれがきっかけだったと思います)。著作「武器としての決断思考」(以下、「武器決」)の中で紹介されているディベート指導の方法論のいくつかは、この事業で生まれました。
瀧本さんは、企業向けサービスについて、フィーよりもその企業がディベートを身に着けることでどれだけ社会にインパクトが生まれるかを、強く意識していました。そのため、CoDAでは、企業からのオファーを受けるかどうかを決める時は、クライアントが議論文化推進のパートナーとなり得るかどうか、それが実現できることで社会にどれだけのインパクトを与えられるのかを最重要視しています。その結果、生まれたのが、ディベートを仕事にどう活用するのか、といった点にまで踏み込んで、依頼先ごとにカスタマイズした「ディベートスキルを内製化するためのカスタマイズ研修」です。
瀧本さんは、常々私たちに対して、本業で実績を出す事の大切さを話していましたし、実際我々も自分の仕事の中でディベートを活用して実績を出すために日々努力しています。その意味を込めて、我々は研修を実施する際には、「ディベート活用のプロ」と名乗っています。
未来のために行う2つの事業
「また、会おう」の中で、瀧本さんが仰っているように、世代交代はパラダイムシフトのチャンスでもあります。日本に議論文化を実現させるためには、未来を担う若者たちに議論文化を広げることが重要です。ここでは、今後CoDAが新しく挑戦していく2つの事業について記載します。
ディベート教育
1つ目はディベート教育です。しかし、ただのディベート教育なら既に実施しています。CoDAに残された宿題は「第2、第3の武器としての決断思考」を世に出すことです。これは「武器決」の改訂版を出したい、ということではありません。「武器決」はディベートのエッセンスを決断というフィールドに応用させた本です。決断はディベートの中にある1つのエッセンスであり、それ以外にも様々な要素があります。
我々が言うところの「新しい武器決」とは、ディベートをどのように活用するのかといった応用ディベート教育の開発です。瀧本さんが目指したのは「ディベートを使って社会をより良くしていくこと」でした。そのためには、「武器決」を広げていくのはもちろんですが、決断以外の領域にもディベートを活用していく道を模索していくべきだと思っています。
日本語ディベートの世界展開
2つ目は日本語ディベートの世界展開です。あまり知られていないのですが、ここ数年、東アジアで日本語ディベートを実践する動きが起きています。日本では、九州大学を中心に日本語ディベートを活用した国際交流イベントが行われており、私も協力しています。実は2011年にCoDAでは台湾の国立交通大学から日本語学習者向けの日本語ディベートの実践について相談を受けており、瀧本さんがCoDAの代表として台湾へディベート指導をしたという歴史があります。
今まで、日本語学習者による日本語ディベートは、各国がそれぞれ実施してきました。しかし、本年度よりCoDAが主幹組織として世界大会を開催する予定です。この大会は、世界各国の日本語学習者が参加しますが、チームエントリーではなく、参加者混成の多国籍チームを結成して大会に向けてセミナーと準備を進めていく形式です。更に大きな特徴としては、日本人もグループに日本語メンターとして参加してもらい、多国籍チームと連携して議論を作り上げていくチームビルディングに参加するという工夫があります。ディベートに熟練した審査員とスタッフを配置しますが、あくまで学生が主体になって準備を進めていきます。
瀧本さんは、「仲間を作れ」、「1つの学派を作れ」と言いましたが、それは日本国内に限定されるものではありません。CoDAは日本語ディベートを世界へと展開し、国籍を超えた若者の連帯を構築することに貢献していきます。
おわりに
現在、瀧本さんの前に代表理事を務めていた株式会社オトバンクの上田会長が、CoDAの代表理事に復帰しています。CoDAは瀧本さんの志を継ぐべく、新体制で走り出しました。しかし、自分たちで言うのも何ですが、新体制と言いつつも、もはや長年にわたってやってきたくらい自然です。私たちの間で大きな目的を共有できているからだと思いますが、これこそが瀧本さんが残してくれた最大の遺産でしょう。
私たちは、瀧本さんが考えていたディベートを最も体現している組織だと自負しています。ですが、それだけでは遺志を継いだとはいえません。瀧本さんが唸ってくれるような方法でディベートという武器を配り続けていきたいと思っています。誰かを傷つけるような破壊のための議論ではなく、建設のための議論を広げていきます。
ところで、冒頭に書いた、私が持っている瀧本さんのディベート活動での1番の記録について、文章の中で書かれていないと思われた方もいらっしゃることでしょう。個人的には、汗顔極まりない内容ですので、知りたい方は、ぜひ直接お会いした時にお尋ねください。きっと、「ああ、瀧本さんらしい」と思うことでしょう(笑)
よくこういう文章の最後は、「ゆっくりしてください。」とか書くのですが、瀧本さんに至っては、絶対にゆっくりしないでしょうね。CoDAとしても個人としても、瀧本さんがニヤッとするような成果を成し遂げたいと思います。
瀧本さんがいなければ、いまの私はいないと断言できます。20年、本当に色々とありがとうございました。それでは、思い出話をしすぎると瀧本さんに怒られそうなので、そろそろ宿題に戻ろうと思います。
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