何のためにディベートをするのか
【概要】ディベートという言葉はかなり市民権を得たものの、反対する人もいれば賛成する人もいる。結局どうなんだろう?
●リベート連盟と勘違いされた時代
僕が学生時代だったころ、とあるディベート組織の名義でディベート合宿をしようと施設に予約をした時のお話です。
受付「団体名を教えてください」
私「〇〇ディベート連盟と申します」
当日、その施設は昔ながらのところだったので、入口のところに「歓迎御一行様」と書いている立て札がありまして、そこに大きく次のように書いてくれていました。
「〇〇リベート連盟」
===引用開始===
※リベート【rebate】三省堂大辞林より
①支払い代金の一部を手数料・謝礼などの名目で,支払者に戻すこと。また,その金。割り戻し。歩戻し。
②一定の行為に対する報奨として,受け取る金銭。世話料。手数料。
===引用終了===
なんか、すごそうな団体です。しかも来るのは学生ばかりだし、お前らナニモンだよ。という目線を受けた事を覚えています。受付の方もリベート連盟はおかしいだろうと思わなかったのだろうか。
ただ、観光地に来たのにほとんど外に出歩くわけでもなく、部屋に閉じこもって、たまに大きな声で話し合ってて、当時としては珍しいノートパソコン所持率の異常な高さ、毎朝眠そうな顔をしているとなると、観光地の受付の人からすると大差なかったかもしれない。
それから云十年。いまやこのような間違いはまったくなくりました。ディべートという言葉を知らない人はいない状況になっており、セミナーの中では定番の科目になっています。学校などでディベートを授業で行ったという人も多くなっており、ディベートという言葉が広く浸透した感じがしています。
●ディベートは役に立つのか?
ただ、一方でディベートという言葉が独り歩きしてしまっている感じもしています。反ディベート論も数多くあります。ただ、調べてみると「ディベート」が日本にはじめて輸入された明治の時代から反ディベート論はあります。逆にこれだけ批判されているのに、まだ残り続けているというのはなぜなのかという事の方が不思議になります。
結論から言えば、車も使い方によっては便利だったり、危なかったりするのと同じで、ディベートもいい面も悪い面もあるだけです。そのどちらかを大きく切り取れば推進、反対となるにすぎません。なので、ディベートの「いい面」だけ獲得すればいいじゃない。というのが私の考えです。しかし、それを知るためにはディベートとは何か?という点を見ていかなくてはならないと思います。次回はディベートって何?という事を記載します。
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