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世界一周3か国目:カンボジア美術(2022年7月28日~8月10日)
今回のカンボジア編では、シェムリアップ以外にも多数あるクメール帝国が残した遺跡を中心に見ていきます。カンボジアのシェムリアップには今から8年前、2014年に既に訪問済みですので、以下の記事をご参照ください。
タイ国内のクメール遺跡
元々クメール帝国の領域内だったタイ国内では、クメール美術はロップリー美術と呼ばれ、人よりも猿が多いロップリー遺跡がよく知られています。そこから東に240kmほど進むとアンコールワットのモデルとされているピマーイ遺跡があり、さらに100kmほど南東のカンボジア国境ブリラム県にあるのがタイ国内におけるクメール美術最高傑作とされるパノムルン遺跡です。
「型」を発展させる型破り
タイの華麗に対しカンボジアの重厚感としばしば比較されます。
クメール(カンボジア)の後にスコータイ、アユタヤとタイ王朝が続きます。クメールの型を独自に発展させています。クメールを型にしていてその型を破ったという意味で型破りな表現になるのは自然な流れです。また、タイが漆喰装飾、カンボジアが砂岩への彫刻という素材の違いから来る表現の固さもあります。そのため、カンボジア→タイの順に固い表現から柔らかい表現が見られます。
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一方ベトナムでは、石彫が非常にしなやかです。中国統治時代も経たベトナムでは、中国何千年の歴史、技術を引き継いでベトナム流に昇華させています。単に素材の違いから来る表現の固さはここにはありません。
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アンコールワットのモデルになった寺院
アンコールワットのモデルになったと言われるプラサット・ピマーイ。
つくられたのはアンコールワットよりも早く、発見されたのはアンコールワットよりも遅く、保存状態のいい見応えのある遺跡です。
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11世紀~12世紀建造。祠堂上部の浮彫装飾や構造などはアンコールワットのモデルになったと考えられています。
その要因としては、1点目にアンコールワットが12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世によるものであるのに対し、ピマーイ遺跡の美術的・建築的特徴、また壁面記載の文字情報に基づき、スーリヤヴァルマン1世またはジャヤバルマン6世の時代、つまり11世紀~12世紀頃の建造だと推測されていること。
2点目に、他の大多数の遺跡が東に向いているのに対しピマーイはクメールの首都アンコールに向いていることなどが挙げられています。
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タイ国内でのクメール美術最高傑作
ピマーイ国立博物館にて、カンボジア国境ブリラム県にあるパノムルン遺跡が、タイにあるクメール美術最高峰だという情報を入手したので行ってきました。
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10世紀~13世紀建造で、同時期に造られたカンボジアにあるクメール美術最高傑作バンテアイスレイ並みの浮彫の精巧さと保存状態です。カイラサ山山頂にあるとされるシヴァ神の家になぞらえているため火山山頂にあります。もし活火山ならポンペイのようになっていたかもしれません。
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パノムルン遺跡の近くにムアンタム遺跡もあります。
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こちらは11世紀建造。13世紀に衰退し、放棄されました。遺跡の向きは東向きで、その他のクメール遺跡に見られる顕著な特徴を含む構造になっています。
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カンボジア国内のクメール遺跡
プノン・チソール
プノンペンから50km以上南に位置するプノン・チソール。1000年前に建てられた寺院で、山頂にあります。山頂からは遠くに地上のメインゲートとそこに続く細い道が真っ直ぐ伸びているのが見えます。
浮彫一つ取っても緻密なクメール文化が窺えますが、それがあるのが山頂だったり、山頂から遠くに見えるゲートがあったりと、土地全体の構成にその世界観を感じます。
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ウドン
アンコールワットをつくった王朝の後からフランス統治まで、1618年から1866年まで約250年間続いた王朝の遺跡が残る町、ウドン。ローマ字表記だとOudong「おうどん」となります。
プノンペンから40km北に位置しアクセスが悪いためか客足は少なく知名度も低いですが、アンコール遺跡群のあとにつくられただけあって精巧な浮彫が見られます。
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クメールルージュやベトナム戦争などによってその多くは破壊されたようですが、当時は100以上もの寺院が歴代の王たちによって建てられていたとのこと。ミャンマーのバガン遺跡群のような光景がここウドンの丘からも広がっていたのだと思います。
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タイ美術とクメール美術における比較対象
タイ美術とクメール美術の比較において、比較対象にしていたクメール美術はスコータイ王朝が成立する13世紀以前のものでした。クメール美術と言えばアンコールワットというイメージが強すぎてそれ以降のクメール帝国の存在が希薄になっていたためです。
ただ、クメール美術最高傑作と言われるバンテアイスレイが10世紀に手掛けられたように、10世紀~13世紀頃のクメール美術が最も油がのっている時期と捉えて間違いではありません。
しかしウドン遷都後のクメール美術が語られることがないのは、質の低さからではなく単に資料の少なさに起因していると言っていいでしょう。
遺跡から感じる「芸術は爆発だ」
今この時代に各文化圏において最高傑作として認知されているものの多くは、衰退したのちに放棄され、生活の場が別の場所に移ったために忘れ去られていた時期があります。
ウドンでも、破壊されたものの中に語られるべきものがあったかもしれません。生活の中心がそこにある以上、意図的であるにしろないにしろ、後世に残らない状態になる可能性は常にあります。
盛者必衰の理というのは、美しいものを美しいまま後世まで保存する唯一の条件なのかもしれません。だとしたら、美しいものを生み出すためには栄えることも条件になります。変化を嫌い安定を求める社会よりも、短命でも思い切りのある社会の方が後世から見ると美しいのかもしれません。
岡本太郎さんの「芸術は爆発だ」という言葉が染みます。