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自分の絵を描く道筋 (上)

少しずつ新たな変化の予兆を感じて来たので、十数年前に辿り着いた現在の表現様式についてまとめておきたくなりました。

美術大学の油絵学科を卒業して、その延長で長く絵を描いてきた私は、自分の絵を打ち立てられず悪戯に目先を変えた実験に明け暮れていました。

美術大学の油絵学科に学ぶとは、西洋絵画(あるいは欧米絵画)の流れに浸かるということです。その中で自分独特の絵をいかにして描くかが問題でした。

まず、ギリシャ美術があり、中世・ルネサンスを経て近代・現代へ、さて、デュシャン、リヒターの後にどんな絵画があるうるのか、独創性をどう獲得するか。

そこで私が最初に試したのは誰も敬遠して取り組まないであろうテーマの設定でした。その少し前にやっとの思いで読み終えたプルーストの「失われた時を求めて」を選んだのです。これなら誰も描いていないだろうと。

しかし、テーマを決めても絵の描き方が決まりません。ほとんど誰にも見せていない試行錯誤の期間が続きました。

その頃読んでいたヴァージニア・ウルフの日記にあったプルーストへの敬意を知り、いっこうに進まないプルーストを取りあえず横へ置き、ウルフの小説をテーマにする脇道を考えたのです。今にして思えば単なる逃避です。

私は、ウルフの「波」を描こうと、取材のため近郊の菖蒲田海岸へ向かいました。スケッチ用の携帯椅子を砂浜に拡げて寄せては砕ける波を見ていると、全く予想もしていなかったものが、波しぶきの中から湧き上がって来たのです。それは、船に揺られる那須与一や波間に消える安徳天皇でした。

高校時代、絵ばかり描いていた私は古文が苦手なのは当然のこと、興味もありませんでした。従って平家物語に関する知識は世間一般の平均を超えることはなく、日常生活の中で突然古典文学の世界が浮かぶなどありえないことでした。

でも、日本で平凡な生活を送る中にも、何処かに、ほんの少し伝統とでも言えるものが潜み、いつの間にか心の奥に刻まれているのでしょう。「違う!」と思いました。私が描くべきものはプルーストでもウルフでもないと。


一旦そう思うと、見上げる空も、地上の草花も、湿っぽい空気も、食べているものも、自分の体や精神を作っているもの全て何もかも西欧とは違うように思えて来ます。

特に文化において、ある意味極端に国粋主義化しました。絵画等美術に限らず、音楽も西欧クラシック音楽を封印し雅楽や箏曲などへ、文学は文語文で書かれた国文学だけとなり、いわば明治維新の否定となったのです。極めつけの悪筆のくせに硯に墨、筆も揃え矢立まで買おうとしました。

この変革の最初の段階で問題としたのは主題であり、何を描くかということでした。ここに来て私はある意味自分を棄てたのです。自分が何を描きたいかでなく、日本の伝統の流れの中で何を描くべきかにシフトしたのです。

つづく

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