ハセガワ

日本の歌や物語をテーマにした油絵を描いている画家です。油絵と言ってもいわゆる西欧絵画ではなく、油絵具を使った和風の絵です。技法は油絵具を伝統工芸風に使い、絵画と工芸とか、洋画と日本画とかの枠を越えたいと思っています。https://shiro-hasegawa.com

ハセガワ

日本の歌や物語をテーマにした油絵を描いている画家です。油絵と言ってもいわゆる西欧絵画ではなく、油絵具を使った和風の絵です。技法は油絵具を伝統工芸風に使い、絵画と工芸とか、洋画と日本画とかの枠を越えたいと思っています。https://shiro-hasegawa.com

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私の絵画スタイル遍歴 写すことを乗り越えて

初めまして、画家のハセガワです。作品を出来るだけ多くの方々に見て頂きたくnote を始めました。 画家生活はかれこれ四十年近くになります。若い頃は本質的な問題より描写技術ばかりに気を取られ目先を変え迷い続けてきました。こんなフォトリアル・アクリルもその中のひとつです。 色々な様式・技法を試した末、元々の志望で美術大学の専攻でもあった油絵・西欧絵画に戻ることでいったんは落ち着くかに思えたのですが、、、 しかし何かが足りない。深いところで自分に結びついた土台がない。そこで、

    • ドローイング作品の新たな展開

      この春から試行錯誤してきたドローイング作品が、新たな展開を見せました。やっと油彩と並ぶひとつの独立した作品となりそうです。

      • 新しいドローイング発案顛末 (下)

        YouTubeのプロモーション動画を作るために人物デッサンを描いていたら、いつの間にかその人物デッサンそのものに興味が移り、動画制作の意欲は萎えても、このまま人物デッサンを続けたくなりました。もう束縛なく自由に描けます。 写真的な人物描写は人間の目が捉えた人物像とは別物と思っていますから、より自然に見える絵画的なリアリティの追求を目指しました。理想はベラスケスの油彩です。印象派の先駆とも言える彼のタッチをモノクロームの鉛筆に変換できないかと考えました。 大まかに言えば、細

        • 新しいドローイング発案顛末 (上)

          ネットのこれからは動画の時代と思っていたので、昨年暮れから今年初夏にかけて、プロモーション活動としてYouTubeを中心に据えました。ところで、私の作品制作は様式や技法の性質から時間を多く要し月に一点完成させるのが限界です。 そうすると、作品を紹介する動画だけでは量が全く足りません。そこで量を補うために制作過程の披露となります。これはYouTubeに限らず美術系制作者動画の主流になっているようです。 始めは油彩作品の制作の様子を動画にしていましたが、撮影が制作そのものの邪

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        私の絵画スタイル遍歴 写すことを乗り越えて

          自分の絵を描く道筋 (下)

          普段は画集の解説すら読むことのない私も日本美術に関する本をずいぶん読みました。その中でも東京大学出版の日本美術史の全集は、収録論文も多岐にわたり色々と参考になりました。そもそも「美術」と言う言葉自体が明治期の造語だったのです。飛鳥・白鳳の仏像から江戸の浮世絵まで既に多様で長い伝統を持った「美術」があったにもかかわらず。問題は西欧的美術の観点からいかに解放されるかでした。 私的趣味を保留し日本の伝統に従って物語や和歌から主題を採ることにした私は、次にどのような絵画スタイルが可

          自分の絵を描く道筋 (下)

          自分の絵を描く道筋 (上)

          少しずつ新たな変化の予兆を感じて来たので、十数年前に辿り着いた現在の表現様式についてまとめておきたくなりました。 美術大学の油絵学科を卒業して、その延長で長く絵を描いてきた私は、自分の絵を打ち立てられず悪戯に目先を変えた実験に明け暮れていました。 美術大学の油絵学科に学ぶとは、西洋絵画(あるいは欧米絵画)の流れに浸かるということです。その中で自分独特の絵をいかにして描くかが問題でした。 まず、ギリシャ美術があり、中世・ルネサンスを経て近代・現代へ、さて、デュシャン、リヒ

          自分の絵を描く道筋 (上)

          作品の形が決まるまで

          新作万葉集シリーズ「たより」(サムホールサイズ)のアイデアエスキースから最終的な形が決まるまでの過程です。 ここから横長の高津に変わります。

          作品の形が決まるまで

          4月のデッサンまとめ

          制作に時間のかかる寡作画家が、YouTubeのチャンネルを維持するために、人物デッサン描画過程をアップして来ました。 差別化を狙って、リアルモデル・リアルタイムなどと大袈裟な恥ずかしいツッコミ所満載のキャッチコピーも使いました。 今月は、最初の一枚こそ同じ設定で描きましたが、二枚目からはモデルさんが帰った後、記憶に従って描き込み、習作としての人物デッサンから、ドローイング作品へと変化させています。

          4月のデッサンまとめ

          デッサンのまとめ

          YouTubeのコンテンツ用に、15分前後で一気描きしたデッサンをまとめておきます。 写真を使うのは、モチベーションが上がりませんから、モデルさんに座って貰っています。

          デッサンのまとめ

          絵に使う文様について

          私の絵画スタイルに使われている文様について、いくつか書いてみようと思います。私が絵の中に文様を入れたのは、西洋絵画からの日本回帰を決めた十数年前に遡ります。最初に絵画の日本化で参考にしていたイメージは日本や中国の絵画でしたが、利用できるものが限られて、早期に行き詰まりを感じました。そこで、見ていた資料の中に偶然あった染織工芸の文様を、画面へ置いて見ると、描写的な絵画にはない強い表現力を示したのです。 文様の力は、単に形や色のシンプルさにあるのではなく、その意味にもあります。

          絵に使う文様について

          新作の紹介からの脱線

          新作の紹介記事を書こうかと思っていました。こんなふうに、 万葉集の歌がテーマですが、裏テーマとして現代のポピュラーソングを下敷きにしています。 この絵は、有名な「思いがけない再会」を歌った曲からイメージを作りました。昭和の名曲で、今でも多くのミュージシャンがカバーしているようです。 昨年から少しずつこんな文章を書き始めたのは、多くの方に自分の絵を知っていただき、実際の展覧会で絵を見て貰えたらと思ったからです。 このようなネットを使ったプロモーション活動は、動画が中心の

          新作の紹介からの脱線

          「パリの今」 個展を開いた画家のスナップ

          7年ぶりにパリで個展を開催し、2週間余り滞在しました。展覧会の開場時間が午後2時の設定だったので、午前中を中心にあちこち写真を撮って歩きました。ただ、雨の多い天候に恵まれない季節で空の機嫌を伺いながら撮影です。 前回のパリ滞在でお気に入りとなったリュクサンブール公園には、北と南両方向から2度訪れました。珍しく晴天でも以前と比較して思いのほか人出は少なく静かで落ち着きホットしました。 この公園からは、遠くエッフェル塔やモンパルナスタワー、近くのサンシュルピス教会、パンテオン

          「パリの今」 個展を開いた画家のスナップ

          パソコンによる油絵のエスキース

          アイデアを油絵にする過程で、どうパソコンを使っているか紹介します。 今回の作品は0号(縦18cm 横14cm)の小品、万葉集シリーズ「たゆらき」、このところ続いている相聞(恋愛歌)の連作のひとつです。テーマ歌は 絶等寸の 山の峰の上の 桜花 咲かむ春へは 君し思はむ (絶等寸の 山の上の 桜の花が 咲く春ごろになったら あなたも思い出してくださるでしょう) 絶等寸(たゆらき)は地名なので横に置いておいて、山と桜を文様の中心題材としました。その文様に入る前に歌の気持ちに合

          パソコンによる油絵のエスキース

          最新作について、古典に今を重ねる。

          日本の古典文学を主題に絵を描き始めて10年以上になります。きっかけは突然でそれまで絵画に限らず読む小説しても西欧(もちろん翻訳ですが)べったりの私でした。 万葉集の歌を伝統文様と女性像の構成で象徴的に描くスタイルは一定の結果を得させてくれましたが、そこには表現されていない自分の側面もあるのです。 この様式にたどり着いていても、若い頃から親しみ今も時折YouTubeで聴いている、身近にありながら「芸術」ではないと脇へよけていた、万葉集でも他の和歌でもない、自分の心に住み着い

          最新作について、古典に今を重ねる。

          芸術の秋、友人の個展を見に上京する。

          画家であるのにうかつにもあまり考えなかったことですが、絵を見るのと個展を見ることの間には違いがあって、特に作品数が多くなると鑑賞者が抱く感想は、一枚の絵に対するものとはカテゴリーが別だと思います。 今回観た「小林哲郎展」は近作だけで構成されているからなのか、そこで感じたのは、因果関係を持った作品群が織りなすひとつの歴史と言うよりも、極小から極大まで本来同時には見渡し得ない多様な物質の生起する様々な空間、言わば宇宙の諸相を見渡しているような感覚です。 あるものは小さな世界で

          芸術の秋、友人の個展を見に上京する。

          友人画家の展覧会を観て、「3つの視座 3.11の記憶と未来」から

          絵を描くことだけでなくその鑑賞もまた創造的な行為です。絵の正しい見方などなくて、作者自身による解説にしてもその内のひとつにすぎません。大切なのは絵を見てひとりひとりの心の中に何かが形作られることで、たとえそれを言葉にできなくとも良いのです。 などと考え、絵についてあまり語らない私ですが、友人画家がグループ展を催したので、そこで見てきた絵について書いてみようと思います。 「3つの視座 3.11の記憶と未来」から画家髙橋勉氏の作品について これは展覧会のタイトルからわかる通

          友人画家の展覧会を観て、「3つの視座 3.11の記憶と未来」から