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友人画家の展覧会を観て、「3つの視座 3.11の記憶と未来」から

絵を描くことだけでなくその鑑賞もまた創造的な行為です。絵の正しい見方などなくて、作者自身による解説にしてもその内のひとつにすぎません。大切なのは絵を見てひとりひとりの心の中に何かが形作られることで、たとえそれを言葉にできなくとも良いのです。

などと考え、絵についてあまり語らない私ですが、友人画家がグループ展を催したので、そこで見てきた絵について書いてみようと思います。

「3つの視座 3.11の記憶と未来」から画家髙橋勉氏の作品について

これは展覧会のタイトルからわかる通り、3.11の震災風景です。単純明快な構成から強烈な実感が伝わって来て、絵の中で心を遊ばせることなど許してくれません。人間の力を遙かに超えた破壊が見る者をねじ伏せます。 

しかし、その光景も人の生きる世界なのです。遠景に点在するハイライトが人々の生活を示し、それが、黒い大地の示す圧倒的な破壊に対して健気に均衡を得ようとしています。この非対称なバランスにより、この絵は単なる絶望の絵画になってしまうのを逃れ、その中に希望の種子を残したのです。

震災直後を過ぎた髙橋氏の作品では、巨大な自然の力と人間の営みのバランスが変わります。描かれるものがふたつの世界の対峙から、この世界で繰り広げられる様々な物語の交差へと向かうのです。

このモノトーンに抑制された色彩の絵画は、見る者を圧することなく、まるで母親が我が子に絵本を読み聞かせているようです。これが震災直後の作品とこれらを分けます。重厚なバスの響きから優しいアルトの調べへと浮上したのです。

震災から時を経て髙橋氏の作品は自然と人間が織りなすひとつの「地球誌」となりました。それは人類の思い出であり過去の物語です。一方、氏の最近の作品に現れた蔦の絡まる扉は、これから始まる物語を暗示し、その向こうに控えているものへと期待を抱かせます。作品自身が次の新しい展開を告げているかのようです。さて扉からはいったい何が出てくるのでしょうか。


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