【アルフォンス・ミュシャ】が人々を魅了する理由をテレビマンが考えてみた
僕がミュシャに出会ったのは旅行で行ったチェコ。「チェコ知らんなぁ、やること何があるんやろ?」とネットで行き先を検討していると、地ビールの種類が豊富なことと有名な時計のある市庁舎かなんかと、チェコ出身のアルフォンス・ミュシャという画家のアートギャラリーがおすすめに挙がってきた。テレビ以外に映像も含め「芸術作品」に興味がなかった僕だが、内定後だったので「まあテレビマンってこういうの知ってそうだよな、絵が解るのカッコいいし」という絵の具の水差しぐらい不純な理由でアートギャラリーに行くことにした。
結論から言うと、アートギャラリーでは無料で見られるコーナーだけで帰った。それはミュシャの良さがわからなかったのではなく、全く逆で、無料のコーナーに入っただけで「ミュシャすごい!」と思った。あの時は、合格最低点+0.3点で大学に受かった時よりも高まる興奮を抑えられなかった。ずっとソワソワしてた。
ミュシャを知らないままアートギャラリーを眺めるより、「自分が何故ミュシャをこんなにもミュシャの作品に対して興奮を覚えたのか」「ミュシャの優れた点は何なのか」を理解してからじゃないと真にこのギャラリーを楽しむことは出来ない、と直感したからだ。今までそんなことなかった。
前置きが長くなったが、そうした感覚を通じて僕がその後に分析してみた結果、僕はミュシャの「写実的でありながらイラスト的であるという真逆の性質を違和感なく作品に出来ている」ことだ。僕はピカソの絵とか現代アートとか、感覚で捉えるアートは良いと思ったことがない。これ解るのが真の芸術家なんやろうな、とは思うけど。その点ミュシャの作品は写実的なので、理解しようとしなくても何が描かれてあるか理解できる。今後投稿しようと思うけど、漫画家の小畑健さんが好きな理由にも、写実的という要素がある。ミュシャはそれでいて、実際に目でみているのとの差を埋めるような細かい描き込みや陰影は少ない(と、素人目に思う)。実線で明瞭な境界線とベタっぽい塗りもあって、アイコニックでシンボライズされていてイラスト的な印象も受ける。
このように、それぞれが持つ特徴の喧嘩しない部分を上手く混ぜ合わせることにより、写実的でありイラスト的であるという相反する2つが同居し、それが視聴者に自然な違和感として残るから、また見たくなる、惹き込まれる作品になっているんだと思う。
ま、そんなことその場では言語化出来なかったから、感じた事を忘れないように無料で入れたお土産コーナーで、ミーハーにもマグカップだけ買って帰りました。
今では僕のスマホのロック画面もホーム画面もコースターも額縁に入れて壁に飾ってあるものも領収書保管ファイルもミュシャです。僕の生活はもう、ミュシャをミュシャ(無視)できない生活になっています。下手やなぁ
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