Art,walk to me. | アート鑑賞と多様性をめぐるとある市民たちのはなし。vol.4
ーーこの企画は、鹿児島市主催の講座「カルチャークリエイター講座」のプログラムの一環として企画・運営されています。
はじめまして、今回の記事を担当します「シオ」です。
アートイベント『Art,Walk to me. |アートが歩いてやってくる。』の企画に加わっています。
さて、私は“自分から見たアートの姿”がどんなものだったかを起点にして、今回の企画に対する思いをお話ししたいと思います。
私から見たアートのすがた-これまで
私とアート(芸術)との初めての関わりは、音楽でした。
小さい頃にピアノ教室に通い始めてから、習い事や部活動でエレクトーンや合唱、吹奏楽を通じて音楽に触れてきました。演奏することは日々の練習で、コンサートはその成果を発表する場という意味合いが強かったように思います。
ホールに出向いて音楽を鑑賞するときも、演奏技術を学ぶことを大切にしてきました。(もちろん、胸打つ演奏に触れた経験はたくさんあります。)
これまでの私にとってのアートは、どこか日常から離れた特別なものというイメージが強かったです。
アートの見えかたが変わったきっかけ
「いつもと違う休日を過ごしたい」という小さな冒険心から美術館やギャラリーを巡ることが好きになりました。かごしま文化情報センター(KCIC)のホームページで気になったイベントに出向くことが多かったです。
今年の春ごろにある美術展を訪れたことが、私のアートの見えかたを変えるきっかけとなりました。
そこには写真があり、切り絵があり、彫刻があり(ほかにもいろいろ…)、作品たちが自由に息をしているように見えました。美術の授業にあるような平面の絵画、立体の造形という枠は無く、感じることだけを楽しめる空間に静かな感動を覚えました。
私は確かにあの日、アートが自分の感性を、そして感性が日常を光らせることに気付きました。
その日の帰り道、私がメモしたことをそのまま引用すると、『芸術とかアートとかいう言葉の高尚な響きの壁を乗り越えて、ただ「いいな」ってだけでおいしいものを食べに行くように、感性を“感じる”ために出かけてもいいんだなと思った』のです。
私から見たアートのすがた-これから?
「アートとは特別なもの、自分の日常とは遠く離れたもの。」
以前の私のようにこう思っている方は少なくないと思います。
素敵なギャラリーに行った、何故かわからないけれど、心を揺さぶられるような作品に出会った。美術館やギャラリーに行った日の帰り道は、目に映る世界の景色が少し違うように思えます。
そのような経験は日常をキラキラ輝かせるためのスパイスになります。
こう考えると、アートは非日常性を持つと考えることも悪くないような気がします。
非日常的なアートは日常の裏側、つまり日常のすぐそばにあるのです。
ぜひこのイベントで、歩いてやってくるアートを一緒に体験しましょう。
今回の企画がなければ、きっと出会うことのないような方たちと人生が交わったことをとても嬉しく思っています。
皆さんの日々に『Art,Walk to me. |アートが歩いてやってくる。』が爽やかな刺激という風を吹かすことができたら幸いです。
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