生きるって。という話

こんにちは。一般大学生です。

今日で晴れて3日坊主になることができました。飽き性の私にとっては、3日続けられただけでも少なからず達成感のようなものがあります。自己肯定感、大事ですよ。

昨日、一昨日と、就活をやりたくないという ”社会の大人” たちが聞いたら、呆れ或いは憤慨しそうな話をだらだらとさせてもらいました。残念ながらこの気持ちに変化が起きていないことはさておき、世の中って生きづらいことが多いよねという話です。

私は人付き合いが嫌いです。ただ、一般的な人見知りや一人が好きという意味での人付き合いが嫌い、という話ではないのが面倒くさいところです。私はいわゆるコミュ力とかいうやつは結構高いです。自他ともに認めるところであります。加えて、気軽にご飯を食べに行ったり、飲みに行ったり、旅行に行ったり、そんな仲の良い友人がありがたいことに性別問わず10人程度います。この数字の多寡は置いておくとして、私にはこの10人程がいるだけで充分です。この10人の中には頻繁に会う友人も数人います。それこそ週1,2のペースであって酒を飲んだりするわけです。では人付き合いが嫌いとはなんなのか。まず、新しいコミュニティになじんだり新しい友人を作ることを面倒くさいと思うわけです。初対面の人間を ”嫌い” という感情から入ってしまう私にとって、人間関係を築くという行為が非常に苦痛になるのです。そこから紆余曲折を経て今の友人がいるわけですから、世の中とは不思議だなあと思ったりもするわけですが。初対面の人と会話をする際、相手のどこに地雷があるかわかりません。この地雷を踏みぬかないようにおそるおそる気を遣うことが面倒くさいのなんの。私はモノをオブラートに包まず単刀直入にいうことが多いです。きついことや毒舌も結構言います。関西で育ったせいにしておきましょう。この会話のノリについてこられる人でないと仲良くすることは難しいのですが(非常に我儘ですね)、初対面の人はそうもいかないわけです。それゆえに、大半の初対面の人とは、以降もう関わりたくないと思ってしまいます。しかし、私は残念ながらコミュ力が高いのです。相手の雰囲気に合わせて、当たり障りのない会話から少し踏み入った話まで上手にこなせてしまうのです。その結果、相手には少なからず好感を持たれてしまい、”ありがたいことに” 次回以降も話しかけてくれたりするわけです。私は貴方に全く興味なんてないのに。

というわけで私はあまり人付き合いが好きではないのです。同じような悩みを抱えている方、いらっしゃるのではないのでしょうか。生きづらい話はまだまだあるのですが、満腹で眠たくなってきたので今回はこの辺りで。読んでくださった方、どうもありがとうございました。

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